パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この生き方を選んだのか?このコーナーでは、パーティーというカルチャーに関わり続ける表現者・演出家たちの過去から現在へ続くキャリアを紐解いていきます。今回のゲストは、東京での活動を経て、現在は地元・熊本のシーンの活性化の為様々なアクションを起こすをDJ TOKUさんです。ローカルと都市、人と人をリアルに結びつけるハブとしての情熱。現場至上主義を貫く彼のキャリアと、シーンの未来にかける想いをじっくりとお聞きしました。

山下達郎とNITRO MICROPHONE UNDERGROUND
SHUNSUKE:
今日は宜しくお願いします!早速ですが、初めて「音楽」と認識したのって、いつ頃、どんな曲だったか覚えていますか??
TOKU:
山下達郎さんですね。小学生の頃だったと思うのですが、日曜日は家族で車で出かけることが多くて。いつもお昼になると車内のラジオから山下達郎さんの番組が流れていたのを鮮明に覚えています。
SHUNSUKE:
日本のポップス界の巨匠だったんですね。では、初めてヒップホップを聴いて「かっこいい!」と思った曲は何ですか?
TOKU:
NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDです。
中学生くらいの頃からストリートファッションに興味があって、雑誌をよくチェックしていたんですよ。そこに彼らがよく載っていて、「どんな音楽をやってるんだろう?」と気になってCDを聴いてみたら、1stアルバムの1曲目(「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」)から本当に衝撃を受けました。

上京、そしてDJとしての一歩
SHUNSUKE:
当時のファッション誌からのストリートカルチャーの流れ、すごくよく分かります。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDに出会って、ヒップホップを知ったTOKU少年はいつごろ、どんなきっかけでDJを始めたんですか??
TOKU:
高校生の頃、友達に連れられてPARTYに行った時にDJの存在は知っていたのですが、その時は割と漠然と「DJってかっこいいな」と思ったんですよね。実際にDJを本格的に始めたのは18歳で上京してからです。周りの友人たちも始めたりして、そこからハマっていきました。
SHUNSUKE:
初めてクラブでDJをしたのはいつ、どこの場所だったとか覚えてますか?
TOKU:
今でも鮮明に覚えているんですが、渋谷のSHIFTYでした。事前にしっかりセットリストを組んで気合いを入れて臨んだものの、いざブースに立ったら頭が真っ白になってしまって。レコードの針を持つ手がガタガタ震えたのを昨日のことのように思い出します笑

↑かつてShiftyのあった場所。代官山と渋谷の間位の場所に位置していた。2020年に惜しまれつつ閉店。
熊本へ戻るという決断
SHUNSUKE:
TOKUさんは過去、東京で活動していましたよね。僕らもその頃に最初に出会っているわけですが、あの東京にいた時期、特に印象深く残っている出来事は何ですか?
TOKU:
色々あるのですが、クラブでの出来事というよりも東日本大震災が物凄く印象に残っています。命にかかわる出来事でしたし、地震は熊本へ帰る大きなきっかけのひとつになったと思っています。
SHUNSUKE:
2011年の震災直後の空気感は、誰もが一度立ち止まらざるを得ないタイミングでしたよね。パーティどころではなかったですし。告知して叩かれる人もいたり。
TOKU:
はい。震災直後はナイトクラブも自粛ムードだったじゃないですか。当然しばらくDJもなくなったわけで、色々と考える時間が出来たんですよね。当時の年齢が25歳だったんですけど、年齢的なものも考えると「決断するのは今だな」と。東京で勝負を続けるか、地元に帰るか悩んだ末に戻る事にしました。


熊本のシーンへの視点
SHUNSUKE:
熊本に戻ってきた直後、当時の地元のシーンを見て率直に感じたことってどんな事でしたか?
TOKU:
率直に言えば、みんな意識もレベルも高いなと思いました。規模感は違いますけど、しっかりお客さん見ながらDJしてるなと。技術的にもしっかりしてると言う印象を持ちましたね。
SHUNSUKE:
東京で活動してきたTOKUさんは、そこからどう動いていこうと考えましたか?
TOKU:
「自分にしか出来ない事をやろう」と言う事ですね。DJ的な部分もそうですが、裏方的な動きでも自分にしかできない事って絶対あると思ってたので、熊本と東京やその他の都市のDJとの橋渡しのような動きをするようになりました。地方にいると中々都内のDJとも接点が無いので、地元DJの話を聞いたりする中で実際に呼ぶと言う事になったら積極的に動いてきた、という感覚はあります。



SHUNSUKE:
ゲストを呼ぶとき、TOKUさんならではの「招聘基準や美学」みたいなものってあるんですか?
TOKU:
「美学や基準」と構えたものはないんですが、名前や流行りだけで声をかけることは絶対にしてこなかったですね。可能な限り自分が事前に現場へ足を運んで、今のプレイを生で観てから決めるようにしています。自分が東京にいた頃と今の熊本ではシーンの空気感も違うので、今の現場にちゃんと合うか肌で確かめるためにも。
SHUNSUKE:
中身がしっかりしてるか、自分の目と耳で確認してるってことなんですね。
TOKU:
はい。可能な限りですけどね。あとは、一晩呼んで終わりではなく、熊本のプレイヤーたちとその後も繋がっていける人かどうか。結局は人柄ですね。幸いこれまで呼んだ方は本当にいい人ばかりで、今でもずっと良い関係が続いています
ハブとなって人と人を繋ぐことの大切さ
SHUNSUKE:
現場のハブ役として各地にパイプを通すことが、熊本のクラブカルチャーやフロアにどんな価値をもたらしていると感じますか?
TOKU:
各地にパイプを通してきたことで、県外のシーンからも「熊本のクラブカルチャー」にしっかり目を向けてもらえるようになった実感はあります。自分が県外の現場に行ったときも、「熊本のシーン、良いっぽいじゃん」と声をかけてもらうことが本当に増えました。そういう繋がりがきっかけで、実際に県外から熊本の現場へわざわざ遊びに来てくれる人もいて。ただ名前が知られるだけじゃなく、外からの刺激が熊本のフロアに直接入ってくるのは、ローカルにとってもすごくいい循環だし、シンプルに仕掛けていて嬉しい瞬間ですね。


ブースの外からじゃないと、見えない事もある
SHUNSUKE:
これからの熊本のシーンを背負っていく次世代のDJやオーガナイザーたちに、現場で体感して受け継いでほしいことは何ですか?
TOKU:
自分がプレイする現場だけで完結せず、県内外問わずとにかく「純粋な客として遊びに行ってほしい」ですね。ブースの中にいるだけじゃ見えない景色って絶対にあって、フロアで踊って、遊んで、体感することで初めてわかる感覚が間違いなくたくさんあります。それに、熊本の中だけに留まらず外のハイレベルな現場や違うカルチャーを肌で知ると、「魅せ方」や自分たちの基準そのものがガラッと変わるはずなんです。外の世界を知った上で熊本のシーンを見つめ直す。そういう広い視野とフットワークを、次の世代にも現場から受け継いでいってほしいですね。
SHUNSUKE:
最後に、これから熊本のシーンへ飛び込んでくる新世代に向けてメッセージをお願いします!
TOKU:
DJもオーガナイズも、始めてすぐに目に見える結果が出る世界ではありません。でも、腐らずに続けていれば、見てくれている人は現場で絶対にちゃんと見てくれています。だからこそ、頭でっかちにならずに、まずは現場で思いっきり「遊ぶ」こと。現場の空気やフロアの熱量を自分自身の体で体感することが、何よりの経験値になります。
そして、自分の好きなジャンルだけに閉じこもらず、良い音楽にはボーダーレスに触れて、自分なりにどんどん吸収していってほしいですね。現場で遊んで、良い音を掘って、自分のスタイルを作っていく。そのプロセスを楽しめるようになれば、音楽は今よりもっと、何倍も面白くなりますよ。

編集後記
実は私、DJ SHUNSUKEは熊本生まれで、幼少期を少し過ごしたルーツがあります。ここ10年ほどは毎年必ず熊本へ足を運んでいるのですが、その度に現場へ顔を出してくれ、一緒にブースに立ち、酒を酌み交わしてきたのがTOKUでした。熊本のシーンはもちろん、福岡のプレイヤーたちと繋いでくれたのも彼であり、その恩と感謝は今でも尽きることがありません。普段は「仏のTOKU」と呼ばれるほど穏やかで優しい人柄ですが、その胸の奥には誰よりも熱い情熱を秘めています。熊本を訪れた際は、ぜひ彼のパーティーへ足を運んで、そのバイブスを体感してみてください!
