「体一つで、住むところも決めずに上京しました。」ナイトクラブの第一線で常に戦い続けるDJ KENMAKIのキャリアとは?

本物のプロになる為にDJ KENMAKIが実践してきたこととは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第十三回は、長きに渡り東京のクラブシーンの最先端で戦い続けるDJ KENMAKIさんのキャリアについてお送りします!今回も「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEとLeeがインタビューを行ってきました。

SHUNSUKE:
まず自己紹介をお願いします。堅苦しいのも嫌なので普段通りの会話形式で話していきますね。

KENMAKI:
DJのKENMAKIです。出身は和歌山で、歳が39歳になります。

DJを志したきっかけ

SHUNSUKE:
個人的に聞いたこともなかったと思うんだけど、DJを志したきっかけってなんだったの?

KENMAKI:
18.9の頃ですかね。当時和歌山に住んでいました。PEPO NA MALAIKAっていうクラブとGATEってクラブがあったんですけど、今とは違う場所にあった旧GATEにちょっと尖ったスケーターの先輩に連れて行ってもらって。そこでDJの存在を知り「めちゃくちゃかっこいいな」って思ったんですよね。そこから結構早かったですかね、二、三ヶ月でDJをするって決めました。計画的にアルバイトしてターンテーブルを買って。

プロになりたいと思ったのはいつ?

SHUNSUKE:
僕らの世代あるあるかもしれないですね、尖った先輩に連れて行ってもらうって結構あったかも。本気でこれでご飯を食べていきたいって思ったタイミングというか、プロになりたいって思ったのっていつだったの?

KENMAKI:
当時和歌山にはギャランティシステムっていうのがなくて。基本的にこっちがお金を払って、箱を借りてパーティをやってました。自分たちでチケットを売って、お客さんを呼んでたんですけど、金銭的な上りは中々出ないっていう環境で最初はやっていました。プロとしてDJで生活するという環境は当時の和歌山では正直中々難しかったと思います。「こんなに音楽もDJもヒップホップも好きなのに、なんでご飯が食べられないんだろう?」って単純に疑問に思ってました。

SHUNSUKE:
クラブも12時を過ぎたら踊ってはいけないという風営法に振り回された時代だったし、数も多く無かったから箱代を払ってお店を借りるって普通だったよね。当時の和歌山ってパーティに対してあまりアグレッシブな人が多い街じゃ無かったのかな?

KENMAKI:
そんな事もないです。全国区のアーティストを見たいっていうお客さんも多かったので東京や全国からもゲストを呼んだりしてました。自分たちのパーティで、TOKONA-XさんやDABOさんを呼んだり、周りの仲間もAK-69さんを呼んだり。シーンとしては盛り上がっていたように思います。何かリンクアップして、次のステップに行こうみたいな動きはしてましたね。ただ、ゲストを呼ぶ事でギャラをみんなに配分とかは中々出来なかったです、次のイベントのために浮いたお金はプールしていくっていう感じでした。あとは、自分達がお店にお金を払ってパーティをしている感覚もあったので、思い切り自己主張の強い内容になってしまう事もあったのかなと思います。そこが好きだっていうファンの人達も着いてきてくれてたんですけどね。地元では本当に多くの事を勉強させてもらいました。ただ、やっぱり本当のプロになりたい、これでやっていきたいって強く思うようになったのもこの経験を経て感じた事って言えると思います。

SHUNSUKE:
なるほど。色々感じて、悩んで考えたんだろうなっていうのが伝わってくる。東京に行く決意をするきっかけは?

KENMAKI:
仲の良い後輩にDJ MARTINって当時和歌山で一緒にやってた仲間がいるんですけど「僕ニューヨーク行きます。」って言い出したんですよ。フットワーク軽いんですぐに行ってしまって。正直、弟分というか仲間がニューヨークに行ったという出来事は、かなり刺激的でしたし触発されましたね。負けてられないなって。その後、自分も東京に行く事を決めました。 MARTINは自分に影響を与えてくれた兄弟というか。そういう流れもありつつ25の時東京へ出てきましたね。お互い和歌山を離れて何年も経ちましたけどMARTINとは今も東京で一緒にやってます。

 

LEE:
それまで東京には来ていたんですか?上京する時に印象に残ってる出来事とかってありますか?

KENMAKI:
ちょこちょこ来てはいました。上京してくるときの大きな出来事としては当時Super Good DJsを運営していた元DJ CITYのCHOJI君とYUKI君と出会った事かもしれないですね。最初は大阪でお会いしたんですけど、紹介してくれたDJの方が「彼、東京に行くんだよ。」って話してくれて。上京したその日にCHOJI君とYUKI君の事務所に遊びに行ったんですが、そこでお会いしたのがDJのNACHIさんでした。NACHIさんは当時、六本木にあったFLOWERというクラブのレジデントDJを務めていた方なんですけど、お会いした時がちょうど新しくイベントを始めるっていうタイミングだったんです。そんな時に「オープンDJにどう?」って紹介してくれて、NACHIさんも快く「やろうよ!」って受け入れてくれました。よく考えてみると東京に来て1週間でレギュラー結構決まってましたね笑

この出会いと流れはそれだけ大きかったし、新たな始まりだったなって思います。自分の実力というよりも、本当に人の繋がりや巡り合わせで進んでいったので有り難かったなって思っています。

SHUNSUKE:
自分が初めて会ったのはDJ皿師和太鼓が紹介してくれた時かな。会ったのはFLOWERだった。あれは上京したばかりだった頃だったんだね。六本木で紹介してもらったのを覚えてます。

上京して目の当たりにした現実と違和感

SHUNSUKE:
実際東京に出てきて率直に感じた事とかって覚えてる??

KENMAKI:
色々なお店でやらせてもらったんですけど、当時違和感を感じてたことがありました。若い子と話しをしてると「●●君凄いよね、この前集客、何人呼んだらしいよ。」とかばっかりだったんですよね。集客力がバロメーターみたいな。それってDJの本質じゃないじゃないですか?DJが上手くて“凄い”っていう話が出るなら分かるけれど。音楽じゃなくて数がモノを言う、それって全然違うんじゃないかなって思ってました。そういう意味で、当時の渋谷には「??」っていう気持ちを抱きましたね。パーティの内容は派手だし、お客さんも楽しそうにしてるんですけどDJ達が考える“凄い”がなんだか違うなって。

SHUNSUKE:
実際そういう時代はあったし、100人呼べとか言われたこともあったのは事実です。DJするのもかなりしんどい時期もあった。プロになるって決めて東京に出てきてそんな事実を知ったら違和感を感じるよね。

2畳の部屋に住み、必要な事だけを徹底的に突き詰めた生活

KENMAKI:
びっくりしましたよね。時代が今とは違うんでしょうけど。渋谷がそういう状態の時に六本木FLOWERのレギュラーが決まって。
上京したばかりの頃は昼間はアルバイトしてましたけど、夜は30日あったら30日クラブに行ってました。毎晩行くうちにやっぱり色々な方が覚えてくれて。当時、六本木のシェアハウスに住んでたんですよ。とにかく体一つで上京しちゃおうって始まった感じではあったんですけど「六本木に住んじゃえば?」って先述のCHOJI君が勧めてくれて。家賃は¥42,000とかだったんですけど2畳くらいの間取りに住んでましたね。大きな机二つ分くらいかな。部屋は狭かったかもしれないけど、六本木に住めたこともあってフットワークは軽かったです。それだけ動いて六本木が主軸になったことでDJ HOKUTOさんと出会ったり多くの方と繋がっていきました。

SHUNSUKE:
シェアハウスに住んでた話は覚えてる!「裏に住んでるんですよ。」って言ってたね。こんな繁華街に住んでるんだ!ってびっくりした記憶がある。ただそれが2畳だとは思わなかったし、今考えると結構衝撃的な話だね。あまり今の若い子は起こさないアクションかもしれない。KENMAKIを知ってる若い子達も知らないお話かもしれないね。

KENMAKI:
これまで住んだ場所の中でもまあ、一番凄い場所でしたね。とはいえ、当時やるべき事はあの場所に住んでいたからこそできた部分もあるとは思います。シンプルではあったけどプロのDJになるための動きはしっかりやれたのかなって。それに、やっぱりそういう生活したからこそ、ある程度ですけど嫌なことあっても我慢もできたし乗り越えられましたね。もちろん沢山動いたのは事実ですけど、DJだけで食べていけるようになるまでに上京して1年掛からなかったと思います。

後編に続く。

プロフィール

  • DJ KENMAKI

    DJ KENMAKI

    2002年にCLUB DJとして活動を開始するや瞬く間に関西を中心に脚光を浴びる。国内外問わず、様々なビッグアーティストとの共演は彼にとって大きな経験となり、着実に実力とキャリアを築いていく事になる。 そしてそんな状況にも奢る事無く、更なる目標を掲げ2009年に東京へ進出。またそれに照準を合わすかのように2009年と2011年にMIXCDを全国展開し、更に新たなファンを獲得する事に成功。大都会のスピーディーかつポリティカルな環境をもってしても彼の勢いは止められず、「今最も成長している都内のDJ」として多くのCLUB関係者の間で注目されている。東京を中心に全国規模で年間250本以上、数多くのCLUBのResident DJをこなすDJ KENMAKI。2011年、2012年には海外アジア台湾でのDJ Playも成功させている。2013年、2014年は徹底的にCLUB Playに特化したSTYLEで現場からの信頼と熱い指示を得る。同年2014年には世界的にも有名なRecord Pool ”DJ CITY JAPAN”のMix Cloud企画の第一弾DJとしてPick UPされ、MixCloud内で”HipHop,Rap部門””TRAP部門”で世界1位を獲得。そのMixの反響も凄まじくMixCloudのOfficial TumblrとTwitterでNewsとしてもPick UPされた。2016年から大人気WEBサイト「DJ HACKs」のHIPHOP,R&Bでの曲紹介担当や、全国雑誌の「411mag」などでもモデルやライターとして「GO DJ!」と言うコラムを半年間に渡り掲載している。また2016年にはNew York発祥の新感覚フィットネスfeelcycleの大型フェス“LUSTER’s”のオフィシャルDJとしても活躍した。トップDJの一人である。

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