DJ YAZZ|カルチャー・キャリア・リサーチ Vol.1|大阪編

ラスベガスでの長期DJ活動経験を持つDJ YAZZのキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第一回はラスベガスでの長期活動を経て現在東京を中心に活動するDJ YAZZさんのキャリアを大阪編、そしてラスベガス編の二部編成でお送りします!今回は「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEがインタビューを行ってきました。

SHUNSUKE:
自己紹介をお願いします。

YAZZ:
DJ YAZZです。滋賀県出身の42歳です。DJを始めたのは18歳の時に進学で大阪に出てからですね。長く大阪で活動をしていましたが、33歳の時にラスベガスへ活動の場所を移しました。2021年の1月に日本に帰国してから1年くらい大阪にいて2022年の6月に東京に引っ越してきました。

DJを始めたきっかけは?

SHUNSUKE:
ラスベガスでの活動前に大阪で活動していた頃から自分はYAZZ君を知ってました。年齢も近いんだろうなって感じてましたね。そもそもDJを始めたきっかけって何だったんですか?

YAZZ:
大学の時の友達、先輩の影響です。スケーター、DJばっかりで。先輩から誘われたイベントでDJの存在を知って「カッコいい、やってみよう!」ってなりましたね。音楽は元々好きでした。ただ、中学高校でギターもベースもやったりしたんですけど中々練習が続かなかったんですよ。でもDJはあんまり飽きる事なく20年以上続いてますね。

思い返してみると小学生の頃から自分で作るカセットテープの音の繋ぎ目を短くして綺麗に聞こえるようにしたり、曲をテンションがゆっくり上げていくように並べたり、そういう事をしてました。自分の気持ちの良い感じに作って、親の車で聞いたりしてましたね。今思えばDJの作るミックステープみたいなことを無意識にやってたなと思います。

衝撃を受けた曲は?

SHUNSUKE:
DJを志すきっかけの話に少し似てるんですけど、衝撃を受けたり撃ち抜かれた曲って何ですか?

YAZZ:
洋楽を聞くようになったきっかけはNirvana の“Smells Like Teen Spirit”。出だしのイントロでやられました。僕らの世代はバンドブームで中学生の頃とかはロックとかパンクとかハードコアとか聞いてたんです。

SHUNSUKE:
僕たちの世代的にバンドが相当流行りましたね。メジャーシーンにも沢山メロコアとかそんな雰囲気のアーティストいっぱいいたし。

YAZZ:
そうそう!HI-STANDARDとかもすごく流行った時代だった。高校生になってからHIPHOPを聞くようになったけど“Smells Like Teen Spirit”を超える衝撃があった曲はまだないです。今でも誰かがかけるとテンション上がりますね。

HIPHOPで言うとThe Fugeesの“The Score”を買って聴いた時に「今まで聴いてきた音楽と違う、面白い」っていう感覚がありました。そこからDJ MASTER KEYさんのDEF JAM MIXを聞くようになったり。それでも大きな衝撃を受けた曲って言われたらNirvana の“Smells Like Teen Spirit”かな。

プロになろうと思ったターニングポイントは?

SHUNSUKE:
DJでちゃんとお金を稼ごう、って思ったポイントってあったんですか?いわゆる「プロ」になろうと思ったタイミングと言うか。

YAZZ:
DJだけで食べれるようになっても、お昼の時間はDJの友達が経営してる会社でデザインの仕事もしてたのでそう言う意識はあんまりなかったです。気がついたら食べれてたって言うか。DJって水商売だし、いつどうなるか分からないから仕事はしてた方がいいなって思ってました。アメリカにいた時はDJしかしちゃいけないって言うビザだったんでDJ以外しなかったけど、そしたらコロナになっちゃって。

SHUNSUKE:
なるほど「プロになる」「これで食べていく」という事を強く意識していた訳ではなかったんですね。自然にそうなっていた、というのも凄いですけどちょっとびっくりです。

YAZZ:
でも“その瞬間”がなければDJを辞めてたなって言うポイントはあります。昔大阪にAZURE(アズール)って言うクラブがあって、そこでの出来事ですかね。色々なお店でDJしてたんですけど平日のAZUREのクローズの時間を回していた時に、当時経営の立場にいたDJ LEADが「彼DJ良いね、うちでやってるR&Bのパーティにブッキングしてみたら?」ってスタッフに言ってくれて。で、そのパーティで出会ったのかDJ 下拓で。下拓が色々紹介してくれた事でどんどん仕事が増えていったんですよね。なので、LEADには本当に感謝しています。あの時、僕のプレーを聞いてくれた瞬間がなければ今に繋がってなかったかもしれないな、とは思います。

SHUNSUKE:
現在まで繋がっていくストーリーの始まりというか。とても重要な瞬間だったんですね。

YAZZ:
後はアメリカに行こうって決意した瞬間かな。32歳くらいの時ですかね。大阪で週に4、5のスケジュールでDJをしていた時期でした。どのパーティでもプレイする時間が大体一緒で「こなしちゃってるな」って若干感じていて。周りから受けるプレイ的な刺激もなくなりつつあったんです。このままで良いのかなって漠然と感じていた時、DJ KANGOさんに教えてもらったのが「DJ FIVE」でした。LAにいる先輩に連絡してみたら「FIVEはラスベガスでDJしてるんだよ」って聞いて。早速1人でラスベガスとニューヨークに行ってみたんですよね。パーティ的にニューヨークの大人びた感じも良かったんですけどラスベガスのあの派手な感じにやられてしまって。その時に「挑戦するなら今しかないな」って渡米する事を決意しました。

第二部に続く。

プロフィール

  • DJ YAZZ

    DJ YAZZ

    1999年より大阪を拠点にDJとしての活動をスタート。音楽とDJへの探究心を原動力に着実にキャリアを積み重ね、大阪を代表するDJの1人にまでに成長。 そして2014年、世界最大クラスの一流ナイトクラブが立ち並ぶラスベガスに単身渡米。 全世界から様々な人種の観光客が訪れ、多種多様な音楽を求められるという土地柄から生まれたオープンフォーマットの本場を肌で体験し、彼のスキルがさらに向上された事は言うまでも無い。 ダウンタウンラスベガスのナイトクラブでのレジデントをはじめ、テキサス州やカリフォルニア州等での ゲスト出演などアメリカでも数多くの現場を経験した。彼の選曲の幅の広さとスキルは現地でも絶賛され、 ローカルDJ、業界関係者、クラバーからの信頼を獲得した。 さらに2019年には、毎年ダウンタウンラスベガスで開催される、その年のトレンドを反映した超豪華なラインナップが揃う事で人気の都市型フェス、“LIFE IS BEAUTIFUL Music & Art Festival”のFergusonsステージへの出演を果たした。 2021年日本へ完全帰国。2022年東京に拠点を移した彼に今後も目が離せない。

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