「東京に来たことは、DJだけでなく人生のターニングポイントになった」ナイトクラブの第一線で常に戦い続けるDJ KENMAKIのキャリアとは?

最前線で戦うDJ KENMAKIの考える「プロとしてあるべき姿」とは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第十三回は、長きに渡り東京のクラブシーンの最先端で戦い続けるDJ KENMAKIさんのキャリアについてお送りします!前後編の後編になります。今回も「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEとLeeがインタビューを行ってきました。

人との出会いがターニングポイント

KENMAKI:
ターニングポイントというか、東京に来て、この人に出会って影響を受けたなって思うのはDJのHOKUTOさんとDJ KEKKEです。二人とも大活躍されてますが、やはり大きな存在ですね。HOKUTOさんからはそれまで知らなかった世界を沢山見せていただきました。自分もこうなりたいって感じたり。HOKUTOさんとの出会いからZIPANG STARという事務所に所属した事で少し前に出会っていたFUJI TRILLやDJ CHARIとの関係も濃いものになっていきましたね。KEKKEは近くでものすごく頑張っている姿を見せてもらってます。自分も頑張らないといけないって素直に思えますね。考えてみると今第一線で活躍している人達が根っこは繋がっているんだなって思ったりすることもあります。やっぱり思い返してみても、東京に来たことは、DJだけでなく人生のターニングポイントになったなって思います。それまでの人生を180度変えたかも知れないです。

SHUNSUKE:
東京へ来てから、動き回った事で起きた出会いの連続が、最も大きなターニングポイントへ直結したというか。

KENMAKI:
はい、本当にそうです。あとは、DJそのものへの価値観も六本木のパーティに出るようになってから劇的に変化しました。六本木のパーティって、やっぱり人をハッピーにさせることが大きな目的っていうのを気づかせてくれたというか。目の前の人が何を求めてるのか、それを読み取って選曲する事は和歌山に居た頃にやっていた自己満足な選曲が出来たパーティとは対極にあって。まず「お客さんが楽しくないと意味がない」というような考え方ですよね。はい。

SHUNSUKE:
クラブDJの根本的考え方の一つというか。プロDJとはいったい何なのか?ってところだよね

KENMAKI:
身内に向けただけのパーティだけだったらそれでよかったのかもしれないんですけど、DJで生活をしていくって考えると顧客満足度が高くないとリピーターは増えない。DJの中身を点数で表す事って難しいと思うんですけど、敢えて数字で表現するならば「一晩の売り上げ」じゃないですか?そこが上がっているなら一つの正解の可能性がありますよね。売上を良くするために自分達が最善を尽くすべきじゃないかなと。お客さんのお満足度を上げる=ドリンクが多く出たり、VIPでシャンパンが出る、というような。Too Muchな選曲をすればやっぱりお客さんの満足度は下がって帰っちゃう=売上が伸びない。売上ってクラブDJの一つのバロメーターになるのかなって自分は思ってます。そこに関しては強く意識を持ってDJしていますね。満足度を上げる為だけにお客さんに寄りすぎるのも違うなって考えたりもしますけど、その辺はバランスですよね。
とにかく明確な正解がない空間を自分たちは演出しているので、とにかく長い時間人を滞在させていくことで、より良い事が起こるって思ってます。

「なんやこれ!こめちゃくちゃカッコイイ!!」
KENMAKI少年の受けた衝撃

SHUNSUKE:
キャリアの初期からプロになるまで、そしてプロとしての考え方まで色々話を聞かせてもらったんだけど、DJ KENMAKIの音楽についても聞きたいです。ジャンルを選ばず、衝撃を受けた楽曲はどんな曲だった??

KENMAKI:
スケボーをやっていた中学高校の頃に聴いた「Fast Life (feat. Nas) (Norfside Remix)」ですね!あの衝撃は本当に凄かった。今でもはっきり覚えてます。スケボーやりながら、曲を初めて聴いたときに「なんやこれ!こめちゃくちゃカッコイイ!!」って先輩にすぐ聞いて。これはヒップホップっていうジャンルの曲なんだぞ、って教えてもらたんですね。間違いなく、一番衝撃を受けた曲です。そこからNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDにもハマっていきました。ヒップホップにのめり込んで、いざDJ始めるぞっていう時は色々知識も増えててDr.Dreとか2PACとか大好きになってました。ちなみに、DJを始めて半年間が一年位は実はWest Side DJでした。凄い頭硬くて、ウエッサイしかプレイしない!みたいな時期がありましたね。

SHUNSUKE:
ええ!状況に合わせて柔軟にDJする今の姿からは想像できないね笑

KENMAKI:
ただ、その後、Mobb Deepの「Shook Ones」に出会うんですよ。そこでまたガーンと衝撃を受けて。「ニューヨークのHIPHOPメチャクチャかっこいいです。今まで聴かないですいませんでした。」みたいな気持ちになりましたね笑
もうそこからはイーストコースト、ウエストコースト関係なくDJでかけられるようになったというか。もう一曲凄く衝撃を受けた楽曲があります、LudacrisのMove B***hっていう曲です。この曲を聴いて、YING YANG TWINZやLil Jonとかも聴くようになって。サウスの音楽ってヤバイ、アトランタってヤバイ!!って感じるようになるんですね。当時、和歌山に「FLY DAY」っていうパーティがあって。そこにDJのSENJUさんというがいらっしゃったんです。その方が後にアメリカのダラスで大活躍するDJ PRINCESS CUTさんで。アメリカ南部の曲をどんどん聴かせてくれたんですよ。本当に強い影響を受けました。結果的にアメリカ全土の音楽を普通にプレイできるようになったんですが、特に南部の音楽には凄く強くなったんです。実際にダラスにも遊びに行ったりしました。その経験が六本木の外国人が多く集まるお店とのニーズが嚙み合ったんです。それで4.5年の間、IBEX TOKYOのレジデントを任せてもらいましたね。こういう経験を繰り返していたので、EDMが流行る前のエレクトロミュージックと言われるラスベガスとかでも流行っていた音楽もすんなり受け入れられました。今はテクノとかも凄くハマっていて、仕事以外でも夜な夜な聴きに行ったりしています。DJというか、根本的なスタンスの軸足をヒップホップに置いていれば、どこを向いてもどんな音楽を聴いても自分がブレる事は無いと思ってます。軸足を動かすとトラベリングでファウルになっちゃいますけどね。軸足だけは絶対にブラさないです。

求められる事にチャンネルをしっかり合わせていきたい

SHUNSUKE:
最後に凄く大きな枠での質問なんですが、今後の日本のシーンに対する希望や願いとかってありますか?

KENMAKI:
コロナ前とコロナ後の今ではもう全く違う世界になっていると思ってます。外国人のお客さんがとてつもなく増えてる状態ですよね、住んでる人も増えてるんだろうし。そういうお客さんを相手にしていく上で、今まで以上に柔軟性だったり多様性だったりリリックの大事さっていうのを意識してやっていかないといけないなって思ってます。本当に沢山の国の人が今日本に来ているので、そういう人たちのリクエストも柔軟にに応えたいですね!後は、今日本語ラップって凄く流行っている時代だし、そういうのも外国人のお客さんへいい意味でのアピールをしていきたいですよね。クラブへ遊びに来るお客さんに対してこうなったらいいなって思う事としては「世界情勢が色々ある中でもクラブに入ったらラブアンドピースでいてほしい」って事ですかね!

SHUNSUKE:
先輩とも話すけどインバウンドのお客さんは増えてるけれど、故郷を離れて日本で暮らす人もいるからこそ「遠く離れた日本で、自国のアーティストの曲が掛かる」っていうのはとてもうれしい事だろうしね。DJとしてはやっぱり意識してやっていきたい事だよね。

KENMAKI:
そういう対応が基本になってくるだろうし、時代の変化というか、求められる事にチャンネルをしっかり合わせていきたいですよね。多分これが出来なければ時代に追いつけなくて振り落とされちゃうと思うし、ベテランの域に達してると思うからこそ、ベテランしかできない事をやっていきたいと思います。フレッシュさも絶対に忘れずに。インバウンドのお客さんと日本に住んでいるお客さん、両方しっかりロックして盛り上げていけるように精進し続けないといけないですね!1人1人がこういう意識を持てるようになると、自然とシーン全体の底上げにもつながってくると思うんですよ。こういう話をすると、長くやってきて、達成感のようなものを感じるか?と聞かれることもありますが、僕にはまだまだやりたいこともあるしやらなきゃいけない事もあると思っています。結果的に自分の行動や活動が、シーンの何かに繋がったらいいなとも思ってますね。

プロフィール

  • DJ KENMAKI

    DJ KENMAKI

    2002年にCLUB DJとして活動を開始するや瞬く間に関西を中心に脚光を浴びる。国内外問わず、様々なビッグアーティストとの共演は彼にとって大きな経験となり、着実に実力とキャリアを築いていく事になる。 そしてそんな状況にも奢る事無く、更なる目標を掲げ2009年に東京へ進出。またそれに照準を合わすかのように2009年と2011年にMIXCDを全国展開し、更に新たなファンを獲得する事に成功。大都会のスピーディーかつポリティカルな環境をもってしても彼の勢いは止められず、「今最も成長している都内のDJ」として多くのCLUB関係者の間で注目されている。東京を中心に全国規模で年間250本以上、数多くのCLUBのResident DJをこなすDJ KENMAKI。2011年、2012年には海外アジア台湾でのDJ Playも成功させている。2013年、2014年は徹底的にCLUB Playに特化したSTYLEで現場からの信頼と熱い指示を得る。同年2014年には世界的にも有名なRecord Pool ”DJ CITY JAPAN”のMix Cloud企画の第一弾DJとしてPick UPされ、MixCloud内で”HipHop,Rap部門””TRAP部門”で世界1位を獲得。そのMixの反響も凄まじくMixCloudのOfficial TumblrとTwitterでNewsとしてもPick UPされた。2016年から大人気WEBサイト「DJ HACKs」のHIPHOP,R&Bでの曲紹介担当や、全国雑誌の「411mag」などでもモデルやライターとして「GO DJ!」と言うコラムを半年間に渡り掲載している。また2016年にはNew York発祥の新感覚フィットネスfeelcycleの大型フェス“LUSTER’s”のオフィシャルDJとしても活躍した。トップDJの一人である。

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