金メダルの裏側にはヒップホップあり。アテネ五輪・女子マラソンを制した野口みずきの脳内で流れたパーティアンセム

海外遠征時はMTVで洋楽チャートをチェック!

ライター:ほりさげ

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。
今回のゲストは、アテネ五輪・女子マラソン金メダリストの野口みずきさん。今回は、本格的に陸上シーンに参入してから、女子マラソン日本代表選手としてオリンピックの大舞台に臨むまでの日々に迫ります。レース中に自然と脳内で音楽が流れるという、“脳内ジュークボックス”状態は、アテネでも発動。一体どんな曲が流れたのか!?

前回の記事はこちら → きっかけはIce Cubeのいかついラップ!? 元陸上選手・野口みずきがヒップホップヘッズになった原点

実業団に入るもすぐ退団!?
“チームハローワーク”の覚悟

レペゼン :
高校卒業後は実業団に進まれたんですか?

野口みずき :
はい。「ワコール(*)」に入りました。

※ … 京都市に本社を置く日本を代表するインナーウェアメーカー。

レペゼン :
いくつかの実業団からのオファーがあったという話でしたが、なぜワコールに入ったんですか?

野口みずき :
真木 和(まきいずみ)さんっていう、バルセロナ、アトランタの五輪に女子マラソンで出られた方がいるんですが、その方がワコールに所属されていたんです。とてもカッコ良くて、マラソンも強いという素敵な方で。

レペゼン :
その方への憧れもあったんですね。

野口みずき :
はい、あと当時のワコールは駅伝がすごく強かったんですよ。熱心に練習も見に来ていただいたうえで声をかけてもらったので、「行くしかない!」と思って決めました。でも、1~2年ぐらいでそこの社長とチームの監督の意見が合わなくなって私も辞めることになるんです。

レペゼン :
そうなんですか!それは大変ですね。

野口みずき :
ワコールは有名な企業ですし、会社の上司にも「ここにいたら安心なのに!」と止められたんですけど、「私は下着を売りにここに入ったわけじゃない。走るためです」と言いました。何よりも、最初に見てくれた人にずっと見てもらいたいっていう思いがあったので、一緒に辞めました。

レペゼン :
ではその後は、どこにも所属しないフリーランス的な時期になるんでしょうか?

野口みずき :
そうですね。次の会社が見つかるまでの3〜4ヶ月くらいは退職金で食いつなぐような状態でした。一緒に辞めた子たちと 「チームハローワーク」って冗談言いながら笑

レペゼン :
チームハローワーク!かっこいいです笑

野口みずき :
よく「あの頃はきつかったんじゃないですか?」 って聞かれるんですけど、全然そんなことはなく、むしろフリーになることで、それまでの環境にとても恵まれていたということにも気づけましたね。ワコール時代は栄養士さんに三食全部作ってもらって、それを食べて、仕事して練習…っていう生活だったんです。

レペゼン :
選手へのサポートがとても手厚かったんですね。

野口みずき :
そうなんです。なので自分がどれだけ恵まれていたかということに気づき、いろいろ勉強するようにもなったので良い機会でしたね。私にとって陸上人生のターニングポイントになったなと思いました。その少ない4ヶ月でしたけど、急にプロ意識が芽生えたと思います。

レペゼン :
環境の大きな変化を、きちんと学びに繋げられたのも一流たる所以ですね!

初挑戦にして堂々の優勝。
ハーフマラソンの世界へ

レペゼン :
フリーの期間を経た後はどんな道に進まれたんですか?

野口みずき :
名古屋にあった「グローバリー(*)」という会社が「新しく陸上部を作りたい」と申し出てくれたので、そこに同期で中距離をやっていた子と行くことになりました。

※ … 名古屋市に本社を置き、商品先物取引を手がけていた企業。

レペゼン :
高校時代は3,000mを中心に走られていたということですが、マラソンに切り替わったのは何かきっかけがあったんですか?

野口みずき :
ちょうどフリーだった期間に、愛知県の犬山市で開催された「読売犬山ハーフマラソン(1999年)」という大会に招待で呼んでいただいたのが、その後挑戦するようになったきっかけですね。それまではハーフマラソンも全然走ってなかったんですけど、「せっかく呼んでくれたしやってみよう!」と思ってやってみたら、優勝できてタイムもすごく良かったんですよ笑

レペゼン :
すごい!いわばこれが「ハーフマラソンの女王」のデビュー戦だったわけですね。

野口みずき :
たしかに練習の時から「長い距離を走っているときの方がテンポが良い」と言われていたんです。その2年後くらいには世界ハーフにも行けるようになりました。

レペゼン :
そこからさらにフルマラソンにつながっていくわけですね。

高橋尚子選手の金メダルが
フルマラソン挑戦のトリガーに

2003年世界陸上パリ大会の女子マラソンで2位に入り、翌年のアテネ五輪への切符を手にした野口さん

レペゼン :
アテネ五輪に挑戦するときはどんな気持ちでしたか?

野口みずき :
高橋尚子さんがシドニーで金メダルを獲ったことがとても大きかったですね。ただ「金メダルを獲った」というだけじゃなく、あの大歓声を独り占めしているところにもしびれたんです。「私もあの歓声を独り占めにしたい!」 と思いましたね笑

レペゼン :
日本中が「Qちゃんフィーバー」に沸いていましたが、野口さんもそんな高橋さんの姿に影響を受けていたとは。

野口みずき :
はい。「あの人には叶わない!」と思う一方で「あの人を超えたい!」とも思っていました。そういうふうに高橋さんを見てマラソンの世界に入った子は多いと思うんですが、私もその1人ですね。

レペゼン :
ではその頃に、フルマラソンに挑戦されたんですか?

野口みずき :
はい。当時の私は「ハーフマラソンの女王」と呼ばれるほど、いろんな大会で優勝していたんです。「これだけハーフで安定して入賞してるんだから、フルマラソンやったらどうだろうな」と思って。まずは2002年の名古屋で初めてフルマラソンを走って優勝できて、その翌年の大阪でも優勝できました。それを機にパリの世界陸上に決まり、パリの世界陸上でも銀メダルを獲って、その翌年にアテネに出場という流れですね。

レペゼン :
すごい……。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いですね!

走っている最中に頭の中で流れた
Joe Buddenのヒットチューン

レペゼン :
アテネ五輪の時期は、ヒップホップは聴かれていましたか?

野口みずき :
めちゃめちゃ聴いてました笑
50 Cent(フィフティー・セント)の「Disco Inferno」がリリースされた頃で、よく聴いていましたね。

【50 Cent – Disco Inferno】

レペゼン :
リリースが2003年頃の曲ですもんね!

野口みずき :
そうです。そして、レースの時に重要な部分で流れたヒップホップが、Joe Budden(ジョー・バドゥン)の「Pump It Up」です。

【 Joe Budden – Pump It Up 】

 レペゼン :
まさかの超パーティアンセムじゃないですか!笑
ちなみに、何キロ地点で流れたとか覚えていますか?

野口みずき :
27キロくらいからですね笑
やっぱり苦しいところでアゲていかないとダメですから。

レペゼン :
おお!レース後半にさしかかったあたりの大事なところですね。
この曲も当時よく聴かれていたんですか?

野口みずき :
そうなんです。アテネの前に、スイスのサン・モリッツという場所で合宿してたんですけど、そこでもMTVを観てたんです。そこで、ビルボードのランク入ってるやつを全部聴いたりもしていたので、当時上位に入っていたジョー・バドゥンも聴いていたんだと思います。

レペゼン :
なるほど!その脳になっていたんですね。

野口みずき :
ちなみにこの曲がサントラに使われている映画『ワイルド・スピードX2』も好きですね!デヴォン青木さんが出演されていて、よく観ていました。

【 『ワイルド・スピードX2』トレイラー 】

レペゼン :
むちゃくちゃ懐かしいですね笑
それにしても、メディアでも何度も報じられたあのアテネ五輪のレースの時に野口さんの頭の中では「Pump It Up」が流れていたとは、思いもしませんでした笑

次回、いよいよ野口みずきさんインタビュー最終回!怒涛の快進撃のあと、怪我の影響で「どん底を経験した」と振り返る野口さん。現役最後と決めたレースで目にした光景とは。そして辛い時期に救ってくれた音楽とは!?

プロフィール

  • 野口みずき

    野口みずき

    三重県出身の元陸上競技選手。2004年アテネオリンピック女子マラソン金メダリスト。2005年のベルリンマラソンで樹立した2時間19分12秒の日本記録は、その後19年間にわたり破られることのないタイムに。小柄な体躯から生み出すダイナミックなストライドで世界の頂点を極めた。ヒップホップ好きとしても知られ、練習前や試合前の集中を高める場面ではラップソングを好んで愛聴するほど。現役引退後も、解説者/アドバイザーとして日本各地で幅広く活躍中。

タグ一覧