ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。
ゲストは、茅葺き(かやぶき)職人の相良育弥(さがらいくや)さん。今回は幼少期〜専門学生時代の思い出をスローバック。ヘッズになったきっかけや、DJとしてのキャリアなど、ヒップホップカルチャーとの関わりについてもじっくりお聞きしていきます!
前回の記事はこちら → オールドスクールな知恵を生かした新たな手しごと。ヒップホップ好きな茅葺き職人・相良育弥とは
野山を駆け回って遊ぶのも
絵を描くのも好きだった少年時代

レペゼン :
相良さんの少年時代についてもお聞きしたいと思います。ご出身も淡河(おうご)町ということですが、どんな少年時代を過ごされたんですか?
相良育弥 :
喘息持ちで体が弱く、よく学校も休んでいましたね。でも虫とか植物とかは好きで、野山で遊ぶのは好きでした。ちょっと内気な体の弱い少年、みたいな感じですね。
レペゼン :
喘息がありつつも、外で遊ぶのはお好きだったんですね。
相良育弥 :
そうなんです。遊びすぎて疲れて発作が出るという、よくわからないルーティンを繰り返していました笑
レペゼン :
きっとそれくらい夢中だったんですね笑
昔から物を作ったり手先を動かしたりすることは得意だったんですか?
相良育弥 :
得意でしたね。図画工作だけはずっと成績が良かったです。絵描いたり、物を作ったり、秘密基地作ったりとかもしてましたね。
レペゼン :
外遊びも絵を描くのも好きな少年とは、珍しいかもしれませんね。
中学時代はどんな学生生活でしたか?
相良育弥 :
中学はあまり覚えてないんですよね。
絵を描くのが好きな少年だったんですけど、中学に入るとみんな多感な時期なこともあって「絵描いてんのとかダサいよな」っていう空気感になっていったんです。その空気の中で、僕も「絵を描くのは好きやけど、ダサいか」と思って、描くのをやめちゃったんですよ。
レペゼン :
時代もありそうですよね。「男の子が絵を描くのか」みたいな。
相良育弥 :
そうですね。あと僕の住んでる地域がヤンキー文化圏なのも大きかったですね。男の子が健康に育つと全員ヤンキーになるような地域だったんですよ笑
だから中学校の3年間はあまり面白くなかったですね。アウトプットの方法を失ってしまい、気がついたら3年間が終わっていた感じがします。
レペゼン :
そうだったんですね。高校に入ってからはいかがでしたか?
相良育弥 :
高校1年生の時にヒップホップに出会ったんです。だから絵を描くかわりにDJというアウトプットが手に入ったので、高校は比較的楽しかったですね。
他のアーティストとは一味違う!!
BUDDHA BRANDのパンチライン
レペゼン :
先ほども少しお話いただきましたが、お友達がBUDDHA BRAND(ブッダ・ブランド)を教えてくれたのがヒップホップとの出会いだったんですね。
相良育弥 :
そうです。当時、それまで続いていたバンドブームがちょうど終わりかけていた頃だったんですが、田舎の不良たちの選択肢として、ヒップホップしかなかったんですよね。ハウスとかテクノみたいなカルチャーは地元には全然届いてなかったんで笑
たまたま同級生にDJやってる奴とかヒップホップ好きな奴が何人かいたんですが、特に仲が良かった友達に「やばい曲あるぞ」みたいな感じで紹介してもらったのが「人間発電所」です。
レペゼン :
特にどの辺に衝撃を受けましたか?
相良育弥 :
あの英語か日本語かもよく分からないけど刺さってくるリリックに食らいましたね。生活するなかで、普通にJポップも耳に入ってきていたんですが、そういうジャンルには全然興味がなかったんです。喘息持ちの少年やったんで、ちょっと斜に構えてるところもあって笑
そんな時にあの曲を聴いた時に、ビートのかっこよさも含め「なんじゃこりゃ!」と衝撃を受けたのを覚えてます。
レペゼン :
それがヒップホップを聴いた初めての経験だったんですね。
相良育弥 :
もちろんそれまでも、EAST END×YURIとか、スチャダラパーとかm.c.A・Tとか、そういうアーティストの曲がメディアでも流れているのが耳に入ってはいましたけど、「別に好きじゃない」って感じやったんです。でもBUDDHA BRANDを聞いた時は衝撃でしたね。
レペゼン :
「人間発電所」の中でも、特に好きなリリックはありますか?
相良育弥 :
CQの
普通がなんだか気づけよ人間
とか、好きですね。あの直球のリリックが高校生の時の歪んだ感性にぶっ刺さりました笑
レペゼン :
良いですね!本当にパンチラインだらけですよね。
コロンビアのレコードプレーヤーで
自宅にDJブースが完成!

友人とのヘッズトークに興じるDJ時代の相良さん(左)
レペゼン :
そこからDJに興味を持ち始めるんですか?
相良育弥 :
はい。でもターンテーブルとミキサーを揃えるってなると、高校生にとっては高すぎて買えないんですよね。そこで、当時コロンビアの縦長の赤と白のレコードプレイヤーとそれ用のミキサーを買ったんです。スクラッチができるわけではないですし、ちょっとでも強く触るとすぐに針が飛んじゃうようなものでしたけどね。逆にそこで繊細なタッチを覚えました笑
レペゼン :
後々、活きてきそうなスキルですね笑
実際にパーティーでも回されていたんですか?
相良育弥 :
いえ、しばらくは回すよりも聴く方が多かったです。クラブにはよく行ってましたけど、人前で回しだしたのは高校を卒業してからでしたね。
レペゼン :
そうなんですね。クラブは三宮などに行かれてたんですか?
相良育弥 :
そうですね。当時、三宮にあった「Diamond Love(ダイアモンド・ラブ)」とか「OTOYA(おとや)」っていう箱に遊びに行ってましたね。あとは大阪だったら「I to I(アイトゥーアイ)」とか、京都の「CLUB METRO(クラブ・メトロ)」なんかも、よく行ってました。
レペゼン :
おお!同世代の読者の方は「懐かしい!」ってなってそうですね笑
レジェンド・DJ KRUSHの
革命的なビートに受けた衝撃

レペゼン :
高校を卒業したあとは、どういった道に進まれたんですか?
相良育弥 :
専門学校に進みました。当時、芸術情報系の専門学校が神戸にあって、そこに行ってる時に一人暮らしさせてもらいました。
レペゼン :
地元を出て、初の一人暮らしはいかがでしたか?
相良育弥 :
もう「街近い!レコ屋も近い!」ってなって、楽しかったですね。でも食費を削ってレコード買い続けた結果、栄養失調になり、2ヶ月間ほど実家に強制送還されてしまったこともありました笑
レペゼン :
そこまで没頭されていたんですか!笑
DJとして活動されていた時は、どんなプレイスタイルや選曲だったんですか?
相良育弥 :
当時、DJ KRUSH(*)さんの『覚醒』っていうアルバムが出た頃だったんですけど、あれにどハマりしてしまって。僕もBPM80以下の曲を多く回すようになっていきました。
※ … 日本を代表する世界的なDJ兼サウンドクリエーター。DJ MUROらと「KRUSH POSSE」を結成し、日本のヒップホップ黎明期を支えた。その革新的なトラックは、多くのアーティストに影響を与えた。
【 DJ KRUSH – 覚醒 】
レペゼン :
KRUSHさんの当時のビートは、今聴いても新鮮でかっこいいですよね!
相良育弥 :
はい。でも、トラックも重たいし、ラップも乗ってないから、僕が回しても誰も反応してくれないみたいな時もありました笑
だから「人を踊らせるのは向いてないよな」って思っていました。
レペゼン :
なるほど。当時のクラブヘッズの耳がまだそういった音楽に慣れていなかったのもありそうですね。
相良育弥 :
そうですね。当時の関西でアブストラクトとかトリップ・ホップ(*)みたいな音楽を回せるクラブがそんなになかったので。
あと単純にクラブの環境が体に合ってないよなとも思い始めてきて、徐々にクラブじゃなくファッションショーとかサロンのオープニングパーティーみたいなところでDJをするようになりました。
※ … 1990年代初頭にイギリスのブリストルで生まれた、ゆったりとしたテンポと重厚な雰囲気が特徴の音楽ジャンル。
レペゼン :
クラブシーンから、ガラッと世界が変わったんですね。
でもDJ時代にKRUSHさんの影響を受けられていたとは。
相良さんが手がけた貴重なミックス音源
相良育弥 :
はい。KRUSHさんは未だに好きですね。今度、大阪で『XO』(*)のリリースパーティがあるので行くつもりです。
※ … DJ KRUSHとTHA BLUE HERBのラッパー・ILL-BOSSTINOによるジョイント・アルバム。2026年8月リリース。
レペゼン :
いやあ、めちゃくちゃヘッズですね!
相良育弥 :
はい。三十数年のヘッズです笑
次回はいよいよ相良さんが茅葺きの世界に飛び込んだ後のお話。強く生きていく術を身につけるべく、相良さんが目指した“生業(なりわい)”とは……!

