目指すは100個の生き抜くスキルを持つ“百姓”!相良育弥が茅葺きの世界に足を踏み入れたワケ

バイトで始めた茅葺きが、価値観を変え人生を変えた

ライター:ほりさげ

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。
今回のゲストは茅葺き職人の相良育弥(さがらいくや)さん。茅葺きの世界に足を踏み入れたきっかけ、そして下積み期間について振り返っていただきます。想像を絶する厳しさの中でも絶対に修行を投げ出さなかった相良さん。彼が胸に秘めていたメンタリティとは!

前回の記事はこちら →  食費を削ってレコードを掘り続けた結果、栄養失調に!?茅葺き職人・相良育弥のDJ時代のメモリーレーン

震災を機に考え始めた
「百姓」の生き抜く強さ

レペゼン :
専門学校卒業後はどういった進路に進まれたんですか?

相良育弥 :
別に就職する気もなく、かといってDJで食えるような状況でもなかったんですが、やっぱり生まれが田舎だったこともあって、「百姓になりたいな」と思い始めたんです。

レペゼン :
百姓ですか!何かそう思うきっかけがあったんですか?

相良育弥 :
阪神淡路大震災(1995年1月17日)を経験したのが大きいですね。「もう一回ああいう大きい震災が来た時に、DJって電気ないと何にもできへんよな」と思った時に、これじゃねえなってなったんです。そして淡河町に戻って米とか野菜を作り始めました。しかも田舎で、音をガンガン出しても怒られない環境があったんで、DJ的にも願ったり叶ったりだったんです笑

レペゼン :
音楽は、引き続きトリップ・ホップやアブストラクト的なジャンルを追求されていたんですか?

相良育弥 :
そうですね。アブストラクトからの流れでいろんな音楽を聴くなかで、サウンドアート(*)という世界に興味を持って、音の作品を作ったりする時期もありました。そして最終的にJohn Cage(ジョン・ケージ)(*)を知り、「音を奏でない状態で『耳を澄ます』こと自体がクリエイティブやな」って思ってしまい、音が出せなくなったという悲しい過去があります。なのでDJはその時に一回辞めています。

※ … 音楽ではなく「音」や「音響」を表現の主体や中心とした現代アートの領域。厳密な定義はないが、聴覚を中心とした空間的・感覚的な芸術表現を指す。

※ … 演奏者が4分33秒間楽器を一切弾かない「4’33″」という作品で、無音ではなく周囲の環境音すべてを音楽と捉える革新的な表現などで知られる。

【John Cage’s 4’33″】

レペゼン :
音を奏でないという境地……。相当ディープですね。

半・引きこもり生活から
たまたま声がかかった茅葺きバイト

レペゼン :
じゃあしばらくは淡河町で百姓を目指して生活されていたんですか?

相良育弥 :
はい。実際に米作ったり野菜作ったりをずっとやってたんですけど、まあ米と野菜は手元にあるんですが現金がないんですね。いわば「飯食えるけど飯食えへん」という謎の状態なわけです。それに百姓になりたいというのも、職業的農家になりたいわけじゃなくて、「もう1回大きい地震が来ても、自分とか自分の家族が死なないぐらいの食料は作っておこう」っていうスタンスだったので、他に売るほどは作っていなくて。

レペゼン :
自給自足の生活は送れていたけど、お金を稼げるわけではなかったわけですね。

相良育弥 :
はい。ほとんど引きこもりみたいなもんでしたね。23~25歳くらいにかけては、たまに日雇いのバイトに行ってお金を得て、そのお金もほとんど本を買うのに使っていました。コミュニケーションを取るのは、基本的にじいちゃんばあちゃん世代の人たちだけでしたね。

レペゼン :
少し前までファッションのイベントなどでDJをしていた生活と対極ですね笑

相良育弥 :
そうですよね。そんな時に、たまたま「茅葺きのアルバイトがあるから来ないか?」って声をかけてもらったんです。

レペゼン :
おお!ここで茅葺きが出てくるんですか!

相良育弥 :
そうなんです。はじめは、1~3月の冬に現場があるから、この3ヶ月の間バイト来れへんかって言われて。その時期は「農閑期(のうかんき)」っていって、百姓はあんまりすることがないんですよ。 「じゃあ冬の間は金を稼いで、春からまた農作業に戻るか」と、軽いノリで参加しました。

レペゼン :
でも、茅葺きも日本で受け継がれてきた技術ということで、百姓とも通じるものもありそうですよね。

相良育弥 :
そうなんです。まさにその「百姓」っていうのも、僕の中では「サバイブするための100のスキルを持った人」っていう認識なんです。その茅葺きのアルバイトに行った先で、親方に「100個のスキルを持つ百姓になりたいんですけど、まだ自分は3つくらいしか持ってないので、“三姓”ですわ」って話したら、「そうやったんか。じゃあ茅葺きやったらいいやん。100個のうちの10ぐらいは茅葺きにあるぞ」って言われたんですよ。

レペゼン :
なるほど。たしかに茅葺き屋根は、衣・食・住の「住」の部分ですもんね。

相良育弥 :
そうです。当時の僕も、その親方の一言を聞いて、住むところを作るのも百姓のスキルの1つということに気づいたんです。そこから、茅葺き職人の方に対しても、それまでは「日本の伝統文化を守ってらっしゃる方々」っていう感じで見てたんですけど、一気に自分のやりたいことの延長線上にあると思ったんです。

レペゼン :
茅葺きには、相良さんが目指すあり方に近いものがあったんですね。

相良育弥 :
はい。なので、アルバイト期間の後、「本格的に茅葺を学んで、その10の技を身につけたいです」と言って、そのまま弟子入りさせてもらいました。

レペゼン :
今、これだけ茅葺きシーンに貢献されている相良さんが入られたのは偶然であり、必然でもある感じがしますね。

真冬に庭でテント泊!?
超過酷な下積み時代

レペゼン :
実際入ってみていかがでしたか?やはり職人の世界は厳しいものでしたか?

相良育弥 :
アルバイトとして働いている間は優しかったんですが、弟子入りした瞬間にその優しさは全てなくなりました笑
もう今はそんなことないんですけど、当時はもう昭和の修行スタイルでしたね。例えば、雨が降らないと休めないですし、日曜日でも晴れてたら仕事するような生活でした。さらに住み込みで、親方の三度の飯と掃除、洗濯も全部僕がやっていました。

レペゼン :
本当に日本の伝統的な師弟関係ですね。でも、そこでもしっかり踏ん張って頑張られたんですね。

相良育弥 :
はい。それまでろくでもない生き方しかしてなかったし、当時26歳だったこともあって、「ここはちょっと腹くくってちゃんとやろう」と思ったんです。そこから5年間、嫌なこともいっぱいありましたけど、修行に励みました。

レペゼン :
特に大変だったエピソードはありますか?

相良育弥 :
そうですね。例えば修行時代は、親方が住んでる小屋に僕も一緒に住んでたんですけど、そこには一部屋しかないんです。なので僕は廊下で寝るので、親方がトイレに行くたびに頭の上を通られるんです笑
さすがにこれはしんどいと思い、「親方すいません、個室欲しいんですけど、近所の納屋でもいいんで借りれませんか?」と相談したら、「個室が欲しいんか、わかった」と言って、庭にテントを張ってくれたんです。ちょうど夏やったんで、「これは悪くないかも、楽しいし!」って喜んでたんですけど、12月になってもずっとテントなんですよ笑

レペゼン :
え!じゃあ極寒の中、テントで寝ていたんですか?

相良育弥 :
そうです。テントの中で寝袋に入って寝るんですけど、寒すぎて寝れないんです。そこでまた親方に「寒くて死にそうなんですけど、暖房器具とかないですか?」って言ったら、今度はヘアドライヤーを支給されました笑

レペゼン :
すさまじいですね!笑
ドライヤーをどう使うんですか?

相良育弥 :
ドライヤーを寝袋の中に入れて5分ぐらい温風を送ると、たしかにちょっとあったかくなって 30分ぐらいは寝れるんですよ。 でもまた寒くなって起きて、またドライヤーで暖めて寝て……みたいなことを繰り返していました笑

レペゼン :
すごい……。ちょっと厳しさの次元が違いますね笑

相良育弥 :
「なんで俺あれでやめへんかったんかな」とも思いましたが、当時は「20代前半までうだうだやってきたことのしわ寄せやな」って自分に言い聞かせていました。あとはやっぱりヒップホップ出身なんで、そういうゲットー的な環境の中で燃えるとこがあるんですよ笑
「見てろよこの野郎!!」って思うぐらいの。そうやって心の中で中指立てるのは好きかもしれません。
でも親方とは今でも付き合いがあって、ずっとリスペクトしていますけどね。

レペゼン :
めちゃくちゃかっこいいです!まさに曲にできそうなエピソードですね。

きつい時はTHA BLUE HERBで
気持ちを奮い立たせて現場へ

photo : junpei iwamoto(DOR)

レペゼン :
そんなハードな下積み期間ですが、ヒップホップは聴けたんですか?

相良育弥 :
車の移動時間が長い仕事なんです。例えば関西から東京出張の時は、7~8時間くらい運転するんです。なので移動中に「なんか好きな曲かけろよ」と言われて、CDでいろいろかけたりしていました。

レペゼン :
特に励まされたラップソングを教えてください。

相良育弥 :
ああいう時期はやっぱりTHA BLUE HARBに励まされましたね。特にファーストアルバム・『STILLING, STILL DREAMING』の「AME NI MO MAKEZ」とか、もう内容がまさにその通りなんで。雨やのに「今日は現場あるぞ」って言われた日に聴いて、気合いを入れてました。僕は宮沢賢治も好きなので、両方の意味でこの曲は自分にとってのアンセムだと思っていました。

【 THA BLUE HARB – AME NI MO MAKEZ 】

レペゼン :
朝一でこの曲を聴いて現場に向かっていたんですね。

相良育弥 :
はい。あと「未来は俺等の手の中」も好きですね。やっぱりBOSSさんの言葉は刺さります。

【 THA BLUE HERB – 未来は俺等の手の中 】

レペゼン :
こちらも厳しい生活の中でも、負けずに進み続ける強さを授けてくれるような名曲ですよね。ありがとうございます!

次回は相良さんインタビュー最終回。茅葺きの可能性を模索し、発信する「株式会社くさかんむり」は、いかにして立ち上がったのか。そして相良さんが今なお貫いているヒップホップから学んだ“3原則”とは!

プロフィール

  • 相良育弥(さがらいくや)

    相良育弥(さがらいくや)

    1980年生まれ。株式会社くさかんむり代表取締役。茅葺き職人。兵庫県神戸市北区淡河町を拠点に、空と大地、都市と農村、日本と海外、昔と今、百姓と職人のあいだを草であそびながら、茅葺きを今にフィットさせる活動を展開中。 平成27年度 神戸市文化奨励賞 第10回 地域再生大賞 優秀賞 ジャパンアウトドアリーダーズアワード2020 優秀賞 令和4年度 日本文化藝術財団 創造する伝統賞受賞 Loewe Craft Prize 2024 ファイナリスト

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