孤高のオルタナ芸人・永野を作ったレッチリ、ベック、そしてリンプ・ビズキット

若手時代の永野青年が感じていたヒップホップに対しての怖さとは?

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人にインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月は芸人界随一の音楽通であり、音楽とカルチャー愛を語りまくる『オルタナティブ – 落ちこぼれ芸人・永野に寄り添った人、音楽、映画たち』を出版されたお笑い芸人・永野さんに4回に渡ってお話を伺います。強烈なインパクトで知られる永野さんの芸風を作り上げた、“オルタナティヴ”な音楽たちとは?

50セントの一個上。お笑い芸人・永野の青春の音楽とは?

レペゼン:
自己紹介をお願いします。

永野:
お笑い芸人の永野です。宮崎県出身で、48歳になります。50セントの一個上です。一応年下なんですよ、50セント。

レペゼン:

フィフティの先輩ということですね笑
改めてこの度はありがとうございます。
今回は高校生時代や上京当時に聴いていたヒップホップについて教えてください。

永野:
正直、高校時代はあまりヒップホップを聴いてなくて。
僕は6つ上の兄貴が車の中でカセットテープで流してた音楽に影響を受けてたんすよ。Bruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)*とかU2(ユートゥー)*とか。 

【高校時代の永野さん】

レペゼン:
もろにロックですね!

永野:
そうなんです。ただその当時1回だけラップが流れた気がするんすよ。今考えたらPublic Enemy(パブリック・エナミー)が。びっくりはしたんですよ。それまで聴いたことない感じの音楽だったので。でも当時はなんかそっちの方にいけなくて。そっち走れば今偉そうな顔で歩けたのに。悔しいです。

レペゼン:

*Bruce Springsteen:1970年代〜80年代のUSロックシーンを代表するアーティスト。アメリカ労働者階級の声を代弁するリリックで多くの若者たちの支持を得た。

*U2:アイルランドのダブリンで1976年に結成されたロック・バンド。宗教対立や人権問題など社会的なテーマを取り扱った曲を発表し、これまでにグラミー賞を22回受賞、ロックの殿堂入りを果たしている。

今一番口に出すと恥ずかしいアーティスト、Limp Bizkit

レペゼン:
高校時代は具体的にはどういったアーティストや楽曲を聴いていたんですか?

永野:
高校の時はRed Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)をずっと聴いてました。特に「Give It Away」と「Power of Equality」っていう曲はすごい聴いてましたね。それから上京してBeck(ベック)が出てきたんすよ。彼がロック界隈で騒がれた時のデビュー曲が「Loser」という曲で、今考えたらヒップホップ寄りなんですよ。サビはフォークにヒップホップを乗せてる感じです。でもやっぱりレッチリですね。でもやっぱりレッチリですね。

*Red Hot Chili Peppers:1982年にロサンゼルスで結成されたロック・バンド。オルタナティヴ・ロック、ファンク、パンク・ロックなどの要素を融合させた音楽性は唯一無二であり、世界で最も売れたロック・バンドの一つ。


レペゼン:
ずっとレッチリだったんですね。
最初に一番しっかり聴いたラップソングって覚えてます?

永野:
Limp Bizkit(リンプ・ビズキット)。今、口に出したら一番恥ずかしい。ほんとはNas(ナズ)とかBeastie Boys(ビースティ・ボーイズ)とか言いたかったです。恥ずかしい。レペゼンの名を汚すような。

レペゼン:
いや、大丈夫です笑
逆に今Limp Bizkit出すってアツいと思うんですよ。
リンプの曲で一曲選ぶとすると、どれでしょうか?

永野:
1曲だったら、Limpの2枚目のアルバムに入ってるWu-Tang Clan(ウータン・クラン)との曲ですね。Method Man(メソッド・マン)とコラボした「N 2 gether now」。

レペゼン:
なるほど。
これがある種初めて触れたラップソングというか。

永野:
そうですね。
Limpはびっくりしましたね、ロックしか知らなかったんで。
なんていうかな、あの人たち俗にいうストリートっていうのを出してきたじゃないすか。その感じがかっこ良かったですね。

最初は苦手だったラップ・ミュージック

永野:
ただリンプを初めて聴いた時は外国のラジオ聞いてる感じだったんですよ、ラップソングって。

レペゼン:
確かに。
ロックと比べると単調かもしれないですね。

永野:
そうなんです。
レッチリは後ろの演奏が変わるじゃないすか。
でもリンプはそれがなくて。なんか最初は違和感だったんすけど、次第に好きになりましたね。

レペゼン:
なるほど。当時は日本語のラップとか聴いていたんですか?

永野:
あんまり知らなかったですね。ただ「DA.YO.NE」とかあったじゃないすか。

レペゼン:
はいはい。

永野:
あったじゃないすかっていうと怒られるけど。「今夜はブギー・バック」とかね。申し訳ないですけど、正直、あの辺にはちょっと乗りきれなかったですよね。

レペゼン:
「DA.YO.NE」には。

永野:
チェケラッチョっていうのには乗れなかったっす。
なんていうのかな。僕の本を読んでもらったからわかると思うんですけど、そういう人間なんです。
チェケラッチョというのを全然いいと思ってなくて。なんか冗談みたいだなと思ってて。あと「今夜はブギー・バック」とかももちろん知ってて、大ヒットして良い曲って思うんですけど。ただ服屋の人とかが聴くものというか。服屋が悪いとかじゃないすけど。

レペゼン:
ちょっとなんか、カルチャー通ぶってるというか。

永野:
そう。
そういうの聴いてるような人たちとかも、おしゃれな藤原ヒロシのいとこみたいな人ばっかで。

レペゼン:

永野:
藤原ヒロシ全盛の世代でそのビビリもあったんすよ。
それがかっこいいて言われたら、オレたち何も言えねーじゃねえかみたいな。

レペゼン:
絶対ですもんね。

永野:
当時はヒップホップを自分が聴いていいのかな?みたいに思ってました。

レペゼン:
なるほど。その気持ちわかります。

永野:
今はヒップホップにもいろんな人がいるんだってわかるけど、当時はいなかったじゃないすか、アンダーグラウンドすぎて。
あとやっぱり怖いし、不良の怖さとはまたちょっと違う怖さもあって。自分は入れないかなみたいに思ってました。

レペゼン:
そういう感じはありましたよね。

永野:
なんかオレには無理なんだろうなみたいなのがあって。
でも外国のは聴けるじゃないすか、なんかその辺関係ないから。だからか結構リンプは聴いてましたね。

 

 

プロフィール

  • 永野(ながの)

    永野(ながの)

    お笑い芸人。音楽や洋画に造詣が深く、特に10代から聴き始めたロック音楽に関しては芸能界随一の知識を持つ。2014年に「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き」というフレーズを叫びながらダンスするという強烈なインパクトのネタでブレイクし、全国区に。また芸人としての活動の傍ら、清水康彦、斎藤工、金子ノブアキらと共に映像制作プロジェクト「チーム万力」を結成し、長編作品「MANRIKI」を発表。2017年からはももいろクローバーZの高城れにとのツーマンライブ「エキセントリックコミックショー 永野と高城。」を開催している。近年はYouTubeチャンネル「永野CHANNEL」にてロックやヒップホップ、そして洋画についてのトークを発信し、今年は音楽や映画に対する熱い想いを綴った書籍「オルタナティブ(リットーミュージック)」を出版するなど多方面で活動の幅を広げている。