映画 『ワイルド・スタイル』を観るべき5つの理由|ストリートヘッズのバイブル Vol.49

ヒップホップ黎明期の熱狂を描いたマスターピース。

ライター:Lee

みんな文化ディグってる?
「ストリートヘッズのバイブル」ではヒップホップ好きにオススメの映画を紹介していくよ。

今回取り上げるのは『ワイルド・スタイル』。ニューヨーク・ブロンクスで生まれたヒップホップカルチャーの黎明期のリアルを捉え、多くのラッパーが影響を受けたと公言する伝説的な作品だ。

『ワイルド・スタイル』ってどんな映画?

ニューヨークのサウス・ブロングスに住むレイモンドは、夜な夜な地下鉄にグラフィティを描き、謎のグラフィティ・ライター“ゾロ”として注目を集めていた。レイモンドは新聞記者との出会いを通してグラフィティを仕事として依頼される機会に恵まれるが、ストリートでの表現と勝手が違う制作に悩み、うまく描けないスランプに陥ってしまうが…。

『ワイルド・スタイル』を観るべき5つの理由

①ヒップホップ映画のマスターピース

映画が公開されたのは1983年。ヒップホップがまだ世の中に浸透していない時代にヒップホップの四大要素であるDJ、グラフィティ、ラップ、ブレイクダンスを互いに交差させてひとつのカルチャーとしてバチっと映像化したのがこの作品だった。

本作を通して人々はヒップホップカルチャーに触れ、ヒップホップがアメリカのスラム街の文化にとどまらずに世界中に広がっていくきっかけになったんだ。

さまざまなカルチャーが描かれる作中でも、特にヒップホップ文化を象徴するのがエンディングのシーン。大胆なグラフィティが描かれた野外ライブ会場でDJが音楽をかけ、ラッパーがライブをし、ダンサーがブレイクダンスを踊るごとに観客の熱狂はヒートアップしていく。その姿は、40年経った今やカルチャーのメインストリームを張っているヒップホップの無限大の可能性を、予言しているみたいだ。

②シーンで活動していた人たちが創り上げた作品

映画の登場人物たちは役者ではなく、当時ブロンクスで活動していた本物のアーティストたちが演じている。主人公のレイモンド役を演じたリー・キノネスは地下鉄グラフィティのキングと呼ばれたグラフィティライターだ。

当時からグラフィティは違法行為として取り締まられていたため、あまり表に出たくなかったキノネスは、架空のキャラクターとしての出演ならと承諾をしたそう。主人公なのに映画のポスターにも登場していないのも、現役ライターとて活躍していたからこそのリアルを感じるよね。

監督であるチャーリー・エーハンも70年代からニューヨークで活動していた人間であり、ストリートのパフォーマーの様子をカメラに収めて発表していた人物。劇中でアーティストたちの仲介役として登場するフェードのモデルになったグラフィティ・ライターのファブ・ファイヴ・フレディが、監督とキノネスをつなげたことが、映画誕生のきっかけだ。

「見てるだけじゃライターとは言えない。最前線に飛び込んで、スプレー缶を盗んで、作品を描かないといけない。アウトローと呼ばれてもな」と、劇中のレイモンドが言うように文化が作られていく時代ののど真ん中で活動し、新しいカルチャーの誕生を肌で感じていた監督だからこそ作ることができた映画であり、映し出せたリアルなのかもしれないね。

③日本がヒップホップと出会った作品

実は『ワイルド・スタイル』が世界で最も早く劇場公開された国は、なんと日本。ニューヨークの映画祭で偶然この映画を見て、衝撃を受けた映画プロデューサーの葛井克亮氏とフラン・クズイ氏が日本での配給権を獲得。まだニューヨークでも知る人ぞ知るカルチャーだったヒップホップを日本に紹介したんだ。

また映画のプロモーションのために、監督含む出演者たち30人を日本に招待して、東京の西武デパートやライブハウスでラップやブレイクダンスのパフォーマンスを披露。これまで見たことがない新しいカルチャーに触れた日本の人たちをたちまち熱狂の渦に巻き込んだんだ。

特に日本とヒップホップの出会いとして象徴的だったのが、ツアー中に日本のカルチャーとニューヨークのカルチャーが衝突した瞬間だ。葛井氏は当時の日本のストリート文化のメッカだった代々木公園に出演者たちを連れていき、タケノコ族やロックンローラーたちとの交流を図ることに。

出演者たちは日本のロックンローラーたちのファッションが怖そうだったためケンカになるかもしれないと恐れていたらしいのだけど、快く受け入れられ、互いにダンスを披露しながらピースな交流がおこなわれたんだ。その後、原宿ではブレイクダンスをはじめる若者が現れて90年代の「ダンス甲子園」などのダンスブームへと繋がっていく。この出会いは日本のヒップホップの歴史にとって、とても大きな意味を持つものだったんだ。

 

④ストリートと商業主義の狭間でゆれる主人公

作中で孤高の正体不明ライター“ゾロ”として活動するレイモンドと対照的に描かれていたのが、“ユニオン”というグラフィティー・グループ。彼らはチームとしてお店の人から依頼を受けて、完成図を片手に真昼間に共同でグラフィティを制作し、お金をもらうことでグラフィティを仕事として成立させていた。

そんなのグラフィティ・ライターじゃないとばかりに、レイモンドは彼らの活動に対して冷めた態度をとっていた。リスクがつきまとうが、発散せずにはいられないエネルギーの表現活動にグラフィティの美学を感じていたレイモンドだったが、それだけじゃ「食えない」現実はある。ストリートで発生したアートを仕事として商業に落とし込むことで生まれる歪みとの向き合い方は、いつの時代のアーティストにもつきまとってくる問題だ。

仕事として作品制作を依頼される彼がどう矛盾を乗り越えていくかも、この作品の見所のひとつだね。

⑤表現の圧倒的なエネルギー

劇中のラップでも歌われるように、サウス・ブロンクスは治安が悪くて夢も希望もない街だった。だけどそんな街だからこそ、ラップやブレイクダンス、DJにグラフィティが生まれたんだ。街のナワバリ争いをする子供達はラップやブレイクダンスで競うことで、暴力沙汰は起きなくなっていった。ティーンエイジャーが持て余している怒りに近いエネルギーを発散させる矛先として、ヒップホップカルチャーはぴったりだったんだ。

「ヒップホップはコール&レスポンスのカルチャーだ」とチャーリー・エーハン監督がいうように、ラップバトルは言葉の応酬によって言葉が磨かれ、DJの音楽によってダンスが激しさを増していく。表現が連鎖していった先に凄まじいエネルギーを持つカルチャーが育まれていった。

その生々しさをそのまま閉じ込めたようなみずみずしい映像だからこそ胸を打たれ、自分も何か表現をしてみようと気持ちを盛り上げてくれる。本作はヒップホップを語る上では必見の作品だ。いたるところにエネルギーがほとばしる、新しいカルチャー誕生の熱狂をぜひ体感してみてね。

 

画像出典元:SYNCA

配信先:Ameba