「ストリートヘッズのバイブル」では音楽や文化の知識を知ることができる映画や本を紹介していくよ!今回はクリストファー・ノーラン監督の名作『ダークナイト』。
『ダークナイト』とは?
2008年に公開されたクリストファー・ノーラン監督のダーク・ファンタジー映画。クリストファー・ノーラン監督の「バットマン三部作」、『バットマン ビギンズ』、『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』の2作目だ。
バットマンとしてゴッサム・シティの平和を守るブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は絶対的な悪、ジョーカー(ヒース・レジャー)と対峙する中、地方検事ハーヴィー・デント(アーロン・エッカート)と出会う。退廃的なゴッサム・シティにおいては稀有な要素であるハーヴィーの高潔な人柄に希望を見出したブルースは、彼こそ真の街のヒーローだと考え、ハーヴィーを支援していくことにするのが、ジョーカーの邪悪な策略によりハーヴィーは顔の左半分に大火傷を負い、悪の道に染まってしまうことになる。
①ゴッサムシティというディストピア
『ダークナイト』の舞台である”ゴッサム・シティ”は政治が腐敗し、凶悪犯罪が頻発する大都会。ニューヨークやシカゴなどのアメリカの大都市にインスパイアされたとされるその街の雰囲気は、ノーランのゴシックな映像表現とあいまって、まさにディストピア(現代文明の負の側面が強調されて描き出された「未来社会」)といえる様相を呈している。超高層ビルの上層階では富裕層のパーティーが開催される一方、
ストリートでは人々が貧困と犯罪率の高さに苦しんでいるゴッサム。それはアメリカのみならず現代世界の多くの都市で起きている格差の縮図であり、“バッドマン”というフィクションの中に没入するための“リアリティ”を提示してくれているんだ。
②ジョーカーが体現する絶対悪
ヒース・レジャーが演じた“ジョーカー”は『ダークナイト』における最もアイコニックな存在であり、ヒースの脅威的な演技によるインパクトから、現在にいたる“ジョーカー”人気の起爆剤となったキャラだ。
「混沌」と「狂気」の象徴であり、映画内における”絶対悪”として登場するジョーカーだが、その彼の“悪”としての役割が機能しているのは、もう一人のキャラの存在が少なからず関連している。それが映画冒頭、ゴッサム・シティの救世主として登場する検事ハービー・デントだ。
③正義の味方が闇の世界へ。ハービー・デントの存在が表すものとは?
映画序盤ではゴッサムの正義の象徴として登場する検事ハービー・デントだが、ジョーカーの策謀により、恋人レイチェルを失ったことをきっかけに、憎しみに支配されたヴィラン“トゥーフェイス”へと変貌する。「狂気が新たな狂気を呼び起こす」。この設定は我々が生きる現実の世界ともリンクする。
例えばUSを代表するラッパーであるJAY-Zは彼のヒットソング「Izzo (H.O.V.A.)」の中で、“I’ve seen hoop dreams deflate like a true fiend’s weight(バスケで成り上がる、そんな夢は本物のヤク中の体重みたくしぼんでいくのを見てきた)”と歌った。バスケットボール選手になりたいと願っても、犯罪や薬物の取引に巻き込まれ、夢を諦めてしまった多くのゲトーの子供たちを多く知っているということだね。
当初は希望を持って人生を生きていた人間が環境要因から犯罪に走ってしまうことは世界のいたるところで起きている現実だ。ハービー・デントのヴィランへの変貌はまさにそんな世界の現実を投影しているのかもしれない。
④ハービーが体現する“オルター・エゴ”とラップミュージック
またハービー・デント“トゥーフェイス”が体現する“二面性”は、ラップシーンにおける“オルター・エゴ(別人格)”の発想とリンクする。“オルター・エゴ”とはラッパーがリリックの中で異なる人格を演じることで、自己の中に内在する葛藤や思想をより鮮明に表現する手段だ。代表的なものはエミネムの“スリム・シェイディ”であり、最近ではタイラー・ザ・クリエイターの“ウルフ・ヘイリー”などもその一例だ。
ゆえにハービー・デントの二面性というのはラップシーンにおいて受け入れられやすいヴィランの設定であり、リリックの中でもサンプリングされている。
例えば、デンゼル・カリーは2013年の楽曲「N64」の中で、
Avenger, but yet I be the Joker and the Riddler
With a mindset that’s switched like Harvey Denture’s dent
アベンジャー、それでもオレはジョーカーでありリドラーでもある
ハーヴィー・デントの義歯のように切り替わるマインドセット
とラップしている。同じくバットマンの悪役であるジョーカーやリドラーに自分をなぞらえ、さらにハービーデントのようにマインドが切り替わるという内容だ。ただここでさらにテクニカルなのは本来、”ハーヴィー・デントの義歯”は正しくは“Harvey Dent’s denture”が正しい文法だが、それをあえて“スイッチ”させて、文法的にも“切り替わり”を表現しているんだ。
⑤世界が求めているのは、悪党か、善人か
『ダークナイト』はもちろんであるが、“ヒーローもの”である。ヒーローものというのは正義の味方が悪者を退治し、人々を救うというのが古今東西テンプレートだ。
だが、『ダークナイト』ではそのシンプルなストーリーはなぜかうまく機能しない。ヒーローであるバットマンは苦戦し、多くのものを失う。そして退治されるべき悪党であるジョーカーは映画内を通して常に高らかに笑い、全てを破壊していく。
そんな善と悪の対比を強烈に印象づけたノーランの『ダークナイト』の公開から約10年後、悪役であるジョーカーを主人公にした映画『ジョーカー』が公開される。
世界はホアキン・フェニックスが演じる悲しみを背負ったヴィランに熱狂、映画はR指定映画として初めて興行収入10億ドルを超え、第76回ヴェネツィア国際映画祭やアカデミー賞などで多くの賞を受賞した。
世界が求めているのは“狂気”か”正義”か。もしかしたらその答えは、現代社会というゴッサムシティに生きている僕たちが知らず知らずのうちに出してしまっているのかもしれない。