【前編】ひたすら曲をディグり続けた中高生。「好きな音楽の話がしたい」と、DJになったDJ TIGUのキャリアとは?

DJ TIGUのヒップホップにかけるクレイジーな情熱を目撃せよ!

ライター:Lee

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第十一回は、クラブDJのみならず、MCバトルのDJなどでも大活躍中のDJTIGUさんのキャリアについてお送りします!今回も「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEとLeeがインタビューを行ってきました。

SHUNSUKE:
自己紹介をお願いします。

TIGU:
DJ TIGUです。静岡の出身で、ピエール瀧と同じ高校の出身です。年齢的にはDJ CHARI、DJ TATSUKI、DJFUJI TRILLとかが同世代で、DJが多い世代の1人です。

DJを志したきっかけ

SHUNSUKE:
DJを志したきっかけを教えてください。

TIGU:
自分の世代は中学生の頃にヒップホップの服が流行ってたんですよね。それから色々なヒップホップを聴くようになったんですけど、地方だから情報も入ってこないし中学生でお金もなかったんで、ラジオで音楽の知識を仕入れてました。J-WAVEで月曜から金曜日までやってるSOUL TRAINというラジオ番組があったんですけど、その番組を毎日欠かさず聴いては毎日メールを送るようなハードなヘビーリスナーでした。

生放送で聴くだけでは飽き足らずMDに録音して、それを翌日の朝から聴いて曲をひたすら頭に叩き込んで曲の知識をどんどん仕入れていきました。ラジオだから、曲の解説やヒップホップの文化のこと、アメリカで流行ってる曲とかいろいろ話してくれるので、それを聴くのが本当に楽しくて。

SHUNSUKE:
まだYoutubeとかサブスクがなかった時代だったもんね。

TIGU:
1時間半のラジオの中で40分間ぐらいDJミックスが毎日あって、MUROさんとかDJ HAZIMEさんとかDJ WATARAIさんがやってたんですよ。それを聴いて「なんだこの繋ぎ」とか、「この選曲よくわかんないけどカッケー」みたいなことを思ってるわけです。ふとしたときに、めっちゃ羨ましいなと思って。自分の好きな音楽をかけると、リスナーの人に「やばかったです」とかそういう共感をしてもらえるのが超うらやましくて。

僕は流行りを通り越してヒップホップをすごく好きになっちゃってたので、周りに同じ温度感で聴く人がいなかったんです。だから話をする相手もいなかったんですよね。僕は音楽にしても洋服にしても映画にしても、自分の好きなことをひたすら話すのが好きだから、話せる相手がいないのが結構寂しかったんですよ。DJになったらそういう関係が作れる気が勝手にして。なので、中学生の時にDJをやりたいと思って、高校生になってからDJを始めました。

SHUNSUKE:
キャリアのスタートは15〜16歳だったんだ。

TIGU:
始めたのは早かったですね。高校生の頃は静岡のクラブでDJやってました。

SHUNSUKE:
僕も地元にヒップホップの話をする人が1人もいなくて。世代的にバンド全盛の時代で、Hi-STANDARDとかメロコアと呼ばれるものが一世を風靡した時代だったから。大学に進学してから、ちゃんとそういう話ができる友達と出会ったんだけど、もっと前の段階から仲間を見つけるためにDJをやってみようと始めたのがすごいね。

TIGU:
DJをやりはじめたら友達が見つかったんですよね。レコード屋さんを起点にしてどんどん同年代や年上の友達ができました。毎回クラブに忍び込んでると、若いから話しかけてくれるんですよ。おじさん世代のDJが曲の元ネタを教えてくれたり、すごくいろいろ教えてくれるから、超嬉しくてクラブに通いまくってました。自分は大学生になったら東京に出たいと思って受験勉強をちゃんとやって出てきたんですけど、それでもクラブだけは通って音楽のキャッチアップはめっちゃしてました。ちなみにKMCってわかります?

SHUNSUKE:
もう大好き。

TIGU:
自分が初めてDJした現場がレコード屋だったんですけど、その日にお客さんでいたのが高校生だったKMC君だったんです。

SHUNSUKE:
へー!

TIGU:
レコード屋さんの人が、年が近いからって繋げてくれて「一緒に組もうぜ!」って意気投合して。びっくりするくらい暑苦しいやつなんですけど、KMCが先に上京して「東京でさ、こんなラッパーとサイファーしたぜ」って話をしてて「俺が持ってるCDの人と交流あんのか?」みたいな笑
それで俺も東京行きたいと思ったんで、そのきっかけを作ってくれたのはKMCですね。

衝撃を受けた楽曲

SHUNSUKE:
衝撃を受けた楽曲を教えてください。

TIGU:
Missy Elliott(ミッシー・エリオット)の『Work It』という曲ですね。中学生の時にムラサキスポーツでかかってたんですけど、当時の中学生にとってムラサキスポーツは一番イケてる場所だったんで、ムラスポでかかってる音楽=イケてるっていう単純な発想が自分の中でありまして笑

象さんの鳴き声が入ってるめっちゃかっこいい曲が爆音でかかって、店員さんに「この民族音楽なんですか?」って聞いたら、ザ・ラッパーみたいな女の人が写ってるジャケットを見せてくれて。「ヒップホップじゃんこれ!」と思って、CDを速攻買いました。ヒップホップは日本語ラップを中心にキングギドラとかKICK THE CAN CREWを聴いてて既に免疫はあったんですけど、それから洋楽へのアンテナがだいぶ上がったし、自分の中でヒップホップへの第一歩を踏み出させてくれた衝撃の1曲でしたね。

SHUNSUKE:
確かに、民族音楽って言われてもおかしくないようなワンループだよね。多分TIGUは当時若かったかもしれないけど、僕たちが若手で音楽の世界に飛び込んだときと同じ時代でモノを見てる感じがする。年齢が若かっただけで、ヒップホップを聴いてる歴は相当長いんじゃないかな。

TIGU:
本当にブームのおかげと、ムラスポでかかってたおかげですね。

LEE:
周りと比べても、曲をめっちゃ知ってる自覚はあったんですか?

TIGU:
本当に周りにヒップホップを聴いてる人がいなかったので。当時はTimbaland(ティンバランド)とThe Neptunes(ザ・ネプチューンズ)っていうビートメーカーの二大巨頭がいて、もともとオタク気質なところがあったからか、中学生ながらラジオで曲を聴いただけでビートメーカーを判別できるような状態になってました。

もうラジオで流れる曲は全部わかるから、次に少しだけ持ってるお小遣いで何を買うかというと、ラジオでかかっていないヒップホップを買うようになるんですよ。静岡は車社会でウェッサイが強かったので、CD屋でギャングスタラップを買い漁ったりしてプラスアルファの知識をどんどんつけようとしてました。レコード屋に通うようになると店員さんがおすすめの曲を教えてくれるし、アパレルショップに行くと店員のお姉さんがレゲエを教えてくれて、どんどん聴く曲の幅が広がって行きました。

だから中高生の段階で、ある程度曲の知識は同世代よりもあったんだろうなとは思います。当時は曲を知ってる方が偉いみたいなカルチャーもあったと思うんですけど。

SHUNSUKE:
実際にあったと思う。

TIGU:
だからこそ曲を知っていくことが正義だと思ってたんで、どんどん知っていきたかったし、その過程が多感な中高生にはめちゃくちゃ楽しくて。自分の持っている時間を全部使ってましたね。授業中もずっとヒップホップのサイトを徘徊したり、レコード屋さんのレビューをひたすら読んだり、あと雑誌のBMR(Black Music Review)を教科書の中に挟んでずっと読むみたいなことを延々とやってました。基礎的な知識はその時期に身についた気がしますね。

SHUNSUKE:
すごいことだと思う。

TIGU:
でも全然苦じゃなくて、楽しくて楽しくてしょうがなかったですね

音楽は生で体験するのがポリシー

SHUNSUKE:
タイミング的にTIGUが当時聴いてた曲は、僕がこの世界に飛び込むぞってときに聴いてた曲だから、多感な時期にそれらを聴いてたのがすごい羨ましいな。

TIGU:
ただブーンバップ寄りのカルチャーが良しとされる傾向を感じたり、サウスもあんまりかかんなかったんで、自分がサウスの楽しさを知ったのは東京のクラブに来てからなんですよ。フリがあって踊るとか、そういう音楽のプラスアルファのカルチャーは身をもって体感しないとかっこ良さがわかんなくて、家で聴いてても実感があまり湧かなかったんです。東京のパーティーに遊びに行けるようになってから良さがわかりましたね。

SHUNSUKE:
僕も同じように当時はそんなにサウスっていうものに理解がなくて。でもイケてる先輩たちはみんなサウスをかけてて、イケてるお客さんもみんなサウス超踊ってる。自分もイケてるようになりたいと思ったら、少ないお金の中で少なからずサウスを買おうとしてた。

TIGU:
そうなんですよね。レコードだから使えるお金が限られてるんで、その曲をかけて踊って楽しんでるイメージができないと悲しいかな、お金をかけられないんですよね。トラップが流行り出してみんながモッシュし始めた頃も、久々に自分が置いてかれてるような気がしました。大体の音楽の楽しみ方は会得していたつもりだったし、クラブで踊るのも好きだったんですけど、俺の中に今までその楽しみ方はなかったんです。

焦りもあったので超モッシュするトラップのパーティに遊びに行って一緒にモッシュしてみたんです。やってみると案外おもしろくて「みんなこんな感じで楽しんでるんだ」って、ようやく自分の中で腑に落ちました。今後ももし自分が楽しみ方がわからない音楽があったら、絶対にその場を楽しんでる人のところに行くと思います。

SHUNSUKE:
結局、体感するのが一番良い。

TIGU:
好きな音楽は極力体感しようというテーマが自分の中にあって。東京に出てきてからはなおさら、滅多に見れない海外DJを観に行きました。昔だったらKID CAPRI(キッド・カプリ)はやっぱ衝撃だったし、一番好きなDJのDJ SPINBADは毎回観に行ってひたすら研究しました。好きなアーティストの旬を見たいと思ったら、ニューヨークまでツアーを観に行くこともあります。

ヒップホップ以外も好きな音楽はいっぱいあって、最近観に行ったのはTERRACE MARTIN(テラス・マーティン)っていうサックス奏者です。TERRACE MARTIN(テラス・マーティン)と超絶うまいドラムと、キーボーディストのジャズトリオだったんですけど、本当にストイックなジャズで、もう最高でした。生で音楽を体験することで自分の腑に落ちてイメージに繋がるから、自信を持って音楽をかけれるし、かけてるときの光景が浮かぶようになります。カルチャーが見えるというか。なので、絶対に生で体感すると決めてますね。

SHUNSUKE:
素晴らしいことだと思う。

後編に続く。

 

プロフィール

  • DJ TIGU

    DJ TIGU

    15歳から地元静岡でDJを始め、現在東京を拠点として活動。 豊富な音楽知識を基盤にした、スクラッチやボディートリックを取り入れたテクニカルなスタイル。 何より、この世代で希少な「レコードDJの経験」を原点とするプレーから溢れ出る音楽愛こそが彼のDJの最大の持ち味である。 池袋bedに始まり15年の歴史を持つ渋谷familyの第三土曜”URAWAZA”を中心に、HARLEM土曜の"MONSTER"や、日本最大の90sパーティー”CLASSICS”など、1000人規模の大箱から音楽好きに愛される小箱まで、常に現場に根差した活動を続ける。 来日イベントで共演した海外アーティストの顔触れからは、彼の広い音楽性が伺える。 【DJ Jazzy Jeff, DJ Premier, Ty Dolla $ign, Fat Joe, M.O.P., Pete Rock & C.L. Smooth, De La Soul, IAMSU!, Smif-N-Wessun, Beatnuts, Nice&Smooth, Jeru The Damaja, Lord Finesse, O.C., Das Efx, Madlib, Beat Junkies, Ali Shaheed(A Tribe Called Quest), Dimitri From Paris, DJ Spinbad, DJ Craze, DJ Kast One, Kent Jones, Dave East, Vado, J.R. Writer…etc】 NHK等のTV番組、AbemaMix/WREPなどのWebメディア、UMB/戦極といったMCバトルのブレイクDJ、ライブDJなどナイトクラブ以外にも活動の幅を広げる一方で、半期毎にフリー配信するベストMIXなど製作も展開。 Mixcloud内で毎回ワールドチャートの上位を争う人気作となっている。 2016年よりBCDMG内に新設されたレーベル、"AIR WAVES MUSIC"に所属。

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