パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
第十回は、クラブDJ・ビートメーカー・Novel CoreのOfficial Live DJとしてメジャーの最前線で活躍中のK LARK a.k.a. KOTAさんのキャリアについてお送りします!今回も「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEとLeeがインタビューを行ってきました。
SHUNSUKE:
自己紹介をお願いします。
K LARK a.k.a. KOTA:
K LARK a.k.a. KOTAです。東京の築地生まれの月島育ちで、94年生まれの29歳です。元々DJ KOTAとしてDJを始めたんですけど、コロナ前に初めて曲を出したことをきっかけに改名しました。ビートメイカーが一番やりたかったことなんで、名前からDJを取った感じです。
DJとビートメイカーを志したきっかけ
SHUNSUKE:
KOTAはDJもビートメイカーもやっているけど、それらを志したきっかけを教えてください。
K LARK a.k.a. KOTA:
高校を卒業して就職したんですけど、つまんなくて半年で辞めて。同じ20万円を稼ぐなら、好きなことで稼ぎたい気持ちがありました。でもその時は好きなことがなくて、見つかったときにすぐ動けるようにと、定職を辞めてバイトで築地市場に入りました。
築地市場って時代が一昔前なんで、遊ぶのも飯食うのもタバコ買うのも先輩が全部出してくれて、1年くらい働いたら100万円くらい貯まったんです。
好きなこととして行き着いたのは「ヒップホップやりてえな」ってことだったので、地元で唯一ヒップホップ好きだったやつと「ラップしようぜ」って話になったんですけど、俺らビートなくね?ってことに気づいて。「俺がビート作るわ」って言って、次の日に速攻で専門学校に入りました。
Lee:
すごい行動力ですね。
K LARK a.k.a. KOTA:
当時は音楽やってる知り合いゼロだし、パソコンすら持ってなくて。先生に「結構頑張らないと厳しいよ」って言われたくらい、なんの知識も技術もなかったんです。だから真面目に学校に通って勉強を頑張って、そこで自分の音楽の0→1を作った感覚ですね。
SHUNSUKE:
学校に行ったことによって、少しずつ繋がりができていったの?
K LARK a.k.a. KOTA:
特に就職の斡旋もなかったんですけど先生に「ラッパーが来る環境で仕事したい」って言ったらClub Bar Familyを紹介してくれました。同じタイミングで、学校で唯一DJやってるやつに「俺もDJしてみたい」って言って、VISIONに一回だけ出たんです。次の日がClub Bar Familyの面接だったんですけど、ゴリゴリに酒飲んでゴリゴリに寝坊して笑
結局、当日は行けなくて「謝りに行きたいです」って後日伺ったんですけど、当然不採用でした笑
でもラッパーとも知り合いたいし「じゃあDJやろうかな」みたいな流れでDJを始めました。
SHUNSUKE:
そうだったんだ。
K LARK a.k.a. KOTA:
曲を作っても歌ってくれる人がいないし、DJになったらラッパーといろいろ知り合えるんじゃねって思ったんです。当時一緒に遊んでたプロモーターのRIHOって子に「DJしたいんだけど、どっか入れない?」って聞いたら、SHINSAKUさんを紹介されたんですよ。
そこから火曜日のATOMに入ったのがDJとしての始まりでした。それからいきなり帯になって、オープンをずっとやってて、そこからいろいろ広がっていきました。
大きな転換になったNovel Coreとの出会い
SHUNSUKE:
そこでいろいろ出会いがあって、今のキャリアに繋がるターニングポイントがあったんだ。
K LARK a.k.a. KOTA:
ターニングポイントだなと思うことはいくつかありました。クラブDJは楽しくて、元々ビートメイクをしたかったことを忘れるぐらい、一時期DJばっかりやってました。自分の中でも「全然ビート作ってねえな」って危機感を持った頃に、BULLさんがVUENOSでやってた『TRAVIS』っていうパーティーに誘われたんです。
ラッパーのショットライブをガンガンやっていて、そのとき回してるDJがラッパーの曲もかけるので、ラッパーと仲良くなれるきっかけも生まれやすいパーティーだったんです。そこで仲良くなったラッパーと曲を作ったり、BULLさんとも曲を作ったり、元々の目標だった「ビートを作って曲を出す」っていう原点に帰れました。
もう一つキャリアとして大きかったのは、NovelCoreのバックDJになったことですね。
SHUNSUKE:
どういう経緯でやることになったの?
K LARK a.k.a. KOTA:
元々全然知り合いじゃなくて、きっかけはTIGUさんでした。「NovelCoreくんがデビューするから、クラブでもちゃんとDJできるバックDJを探してるんだけど」って声をかけられて、NovelCoreのバトル動画とか見るとラップ上手かったんで「興味あります」って答えました。何人か候補がいたらしいんですけど、ビートも作れることが決め手になって、僕を選んでくれたみたいです。
SHUNSUKE:
アーティスト的に、今大きく成長してるラッパーだよね。
K LARK a.k.a. KOTA:
初めは曲もあんまりなかったので、バトルの現場しかライブする場所もなかったんですけど、ABEMAの『オオカミくんには騙されない』に出演して人気が爆上がりして。
SHUNSUKE:
恋愛リアリティショーだよね。
K LARK a.k.a. KOTA:
その頃にアルバムを出して、自分が作った曲も1曲入ってるんですよ。KMさん、Lil’Yukichiさん、理貴さんとか名だたるメンバーがいたんですけど、食い込ませてもらいました。でもライブをしまくろうってときにコロナが流行り出してリリパとかも全部飛んじゃいました。
コロナが明ける頃に、NovelCoreがSKY-HIさん主宰「BMSG」に移籍する話がでて、BMSGとavexの共同音楽レーベル「B-ME」からメジャーデビューすることになったんです。これも今やってる仕事の大半に繋がってますね。それこそ、マニピュレーターの仕事もやるようになりました。
SHUNSUKE:
マニピュレーターってどんな仕事なの?
K LARK a.k.a. KOTA:
簡単に言うと、原曲をライブ用にアレンジする仕事です。もともと曲に乗ってるボーカルを削ったり、イントロを作ったり、各楽器の音も調整したり。この部分の音像を広げようとか、そういう調整も原曲のビートを作ってないとできない作業なので、これまでの全部が繋がった手応えがありました。
アーティストがメジャーに行くと元々のバックDJが切られちゃうことが多いですよ。たまに裏にマニピュレーターがいてDJは立ってるだけの状態もあるんですが、それはDJ的には屈辱的なことで。
SKY-HIさんのマニュピレーターとバックDJをやってるHIRORONさんにも色々教えてもらって、今もめちゃくちゃお世話になってます。
SHUNSUKE:
これまでのことがリンクしたんだ。コロナ前と今じゃ、全然やってることが違うもんね。
K LARK a.k.a. KOTA:
それこそNovelCoreとの出会いがなかったら、多分今でもガンガンクラブでDJしてアンダーグラウンドでビートを作ってたと思います。やっぱりメジャーに行ってから視野がめっちゃ広がりましたね。
SHUNSUKE:
体験しないとわかんないことだよね。クラブの現場でみえてる景色とはまた違うと思う。
K LARK a.k.a. KOTA:
クラブはクラブで、現場のリアルな感じを知れるからめっちゃ大事なんですよね。
SHUNSUKE:
それがないと、全ては成り立たないからね。
衝撃を受けた楽曲
SHUNSUKE:
これまでに衝撃を受けた楽曲を教えてください。
K LARK a.k.a. KOTA:
元々、特別音楽好きなわけじゃなかったんですけど、4つ上の兄貴がゴリゴリのB-BOYで部屋で爆音でヒップホップを鳴らしてて。その頃「なんだこの音楽は!」って衝撃を受けたのがJUSWANNAの『BLACK BOX』ですね。
SHUNSUKE:
ヒップホップの入り口は日本語ラップだったんだ。
K LARK a.k.a. KOTA:
そうですね。こんな音楽が存在するのかと衝撃でした。そこからNITROとかLAMPEYEの『証言』とか、兄貴の部屋に行って聴いてました。高校生のときから日本語ラップばっかり聴いてて、あんまり洋楽は聴いてなかったですね。
SEEDAやKREVAを聴いたり、TSUTAYAでマンハッタンレコード企画のDJ HAZIMEさんのミックスCDとか、DJ MASTERKEYさんとかDJ NOBU a.k.a BOMBRUSH!さんのミックスCDを借りて、iPodに入れてました。そこからいろいろ知っていきましたね。
これからのヒップホップシーンに願うこと
SHUNSUKE:
最後にKOTAなりに、今の日本のヒップポップシーンやクラブシーンで、こうなっていくといいなって願うこととかある?
K LARK a.k.a. KOTA:
ヒップホップシーンだけじゃなくて日本の音楽全体の話をすると、そもそも日本の音楽はバラエティー番組と一緒になってて、テレビの枠から超えられていないというか。そこが変わらないと、日本のチャートは絶対に変わらないと思います。
そもそも海外にも通用する音楽を作りたいと思ってるレーベルも少ないし、世界を目指してないのが第一の問題なんですよね。もっとクオリティファーストになっていくと日本の上位チャートも変わってくるし、日本人はみんなが聴いてる曲を聴く風潮が強いので、世界基準のクオリティのヒップホップを生み出せれば、ヒップホップも聴きやすい音楽として受け入れられると思います。
世界的にはヒップホップはすでに主流の音楽と言えるくらいになってますもんね。
SHUNSUKE:
2000年代からヒップホップっていう音楽自体が、ビルボードチャートから絶対に外れないものになったからね。
K LARK a.k.a. KOTA:
その点、韓国は世界を見据えていてグラミーにもK-POP部門ができましたよね。国全体で音楽に対して力を入れてますし。
SHUNSUKE:
BLACKPINKもそうだけど、韓国の音楽はちゃんとしたクオリティの曲が多いよね。やっぱり圧倒的に世界基準で、もはや国内は見ていないというか。
K LARK a.k.a. KOTA:
そうですね。日本のアイドルからそれこそBLACKPINKみたいなグループが出てきて日本の音楽全体のレベルが上がっていけば、ヒップホップの水準も上がっていく気がします。ただそうなるまでには、現状だと何十年かかかりそうですけどね。
SHUNSUKE:
でも韓国のように国がそういう姿勢を示したら、劇的に変わるとは思うけどね。そうやっていくことによって、日本の音楽で初めてちゃんとしたビルボード1位が生まれるのかな。『PPAP』みたいなのじゃなくて。
K LARK a.k.a. KOTA:
今のXGが昔の韓国でいう少女時代になれば、この後に続いていく人たちがどんどん出てきて、全体的にクオリティがあがるかもしれないですね。だからヒップホップだけじゃなくて、日本全体の音楽が変わった方が絶対に良いと思います。
SHUNSUKE:
いちばん見えやすいメジャーのやることが変わらないと、なかなか本質的な部分も変わらないしね。それが変わるように、KOTAたちにも頑張ってもらわないと!
Novel Coreの武道館ライブを終えて
2024年1月17日に開催されたNovel Coreの初の武道館ライブ『ONEMAN LIVE -I AM THE- at 日本武道館』を終えたK LARK a.k.a. KOTAに、後日テキストインタビューを行いました。
photo by Taku Fujii
ーNovel Coreの武道館公演を終えての感想をお願いします。
まず初めに、音楽のキャリアの中で1度立てるかどうかの大舞台に立たせてくれたNovel Coreに、感謝とリスペクトの思いです。それと同時に、1人では本当に何もできないんだなと思いました。アーティストがいて演奏者がいて、PA、照明、ライブ制作、舞台監督、設営、事務所の人たち。挙げ出したらほんときりがないぐらい、一つのライブをつくるのにたくさんの人が関わっています。もちろんファンの人たちも。
誰か1人でも欠けたら成立しないし、ステージに立ってる人も裏方にいる人も、みんなに差はないと改めて思いました。
photo by Satoshi Hata
ー初の武道館に立った時の心境を教えてください。また、LIVE DJとしてどんな景色を見ることができましたか?
絶対にブレない信念を持って、コツコツとやってきて良かったなと思いました。Coreもそうだと思います。何かの曲がバズって、一気にファンが増えたという状況は一度もなくて、本当にライブを1回1回やるごとに地道にファンを増やしていったので、大勢のファンを目の前にしてそれを体感しました。
親身なファンもすごく多くて。武道館って意外と客席と距離が近くて、奥の人まで顔が見えるんですよ。みんな良い顔をしてたし、すごく幸せな景色が見れました。
ー今後の目標や意気込みがあれば教えてください。
ライブとしては、いまやってることを毎回毎回ブラッシュアップしてより良いものをどんどん更新していくことですね。個人的にはビートプロデュースした作品をしっかり出して、結果をちゃんと出したいですね。
photo by Satoshi Hata