目 次
ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。
今回のゲストは、鋳造メーカー・佐野政製作所(さのまさ せいさくじょ)の代表を務める佐野秀充(ひでみつ)さん。作業中にもヒップホップを聴くと話す佐野さんは、いかにしてこのカルチャーと出会い、虜になったのか。青春の日々に迫ります!前回の記事はこちら → その鋳造職人、ヒップホップヘッズにつき。400年続く伝統産業を受け継ぎ、世界へ発信する佐野秀充
夏休みには鋳造工場のお手伝い!
佐野家ならではの風景

レペゼン :
佐野さんの子ども時代についてもお聞きしたいと思います。地元高岡市で、どんな少年時代を過ごされたんですか?
佐野 秀充 :
自分で言うのもあれなんですが、小学校の時とかは、通知表でオール5を取ったりするくらいの優等生でした笑
レペゼン :
それは優秀ですね!お父様が鋳造の会社を立ち上げられたりと、ものづくりが身近な環境だったと思うんですが、家の仕事を手伝ったりはしていたんですか?
佐野 秀充 :
そうですね。なので夏休みとかに、「漫画買ってやるから」って言って職場に連れて行かれて、機械の脱着(*)などの作業をさせられていました笑
今思えば、すごく忙しい時代だったんだと思うんですよ。
※ … 脱着説明 自動で削る機械に削るものをセットする作業。
レペゼン :
佐野家ならではのお手伝いの光景ですね笑
子どもの頃は、将来なりたい職業や夢はあったんですか?
佐野 秀充 :
いや、全然なかったです。特に高校の頃なんかは、「モテたい」ということしか頭になかったですね笑
レペゼン :
そうだったんですか笑
「人間発電所」に衝撃を受け
ヘッズ街道まっしぐら!

レペゼン :
ヒップホップとの出会いは小学生くらいに聴いたスチャダラパーという話がありましたが、どんな媒体で聴かれたんですか?
佐野 秀充 :
それがまったく覚えていないんですよ。でも「これがかっこいいらしい」っていう風に流れてきたことは今でも覚えています。
レペゼン :
そうだったんですね。逆に、夢中になって聴き出したのはどんなきっかけだったんですか?
佐野 秀充 :
中学生の時に、友達の兄貴か誰かからCDを借りたのがきっかけだと思います。BUDDHA BRANDの「人間発電所」を聴いて、「わ、これだ…!」ってなったんですよ。
【BUDDHA BRAND – 人間発電所】
レペゼン :
衝撃が走ったんですね!どのあたりに特に食らいましたか?
佐野 秀充 :
具体的に何を言ってるかはわかんなかったんですけど、とにかく「かっこいい!」ってなりましたね。今まで聴いていたジャンルとは全然違うぞって思いました。あとは「証言」とかも衝撃を受けました。
レペゼン :
こちらも、今なお日本語ラップのかっこよさを象徴するクラシックですよね。ではそこから日本のヒップホップを掘っていくようになったんですか?
佐野 秀充 :
そうですね。家から自転車で30分くらいの距離にCD屋さんに行ってSHAKKAZOMBIEさんとか、餓鬼レンジャーさんとかのCDを買ったりしてました。あの頃のCDって、歌詞カードがあるものとないものがあったんですよね。だから歌詞カードがないものは、友達と一緒に曲を聴きながらノートに歌詞を書き起こしたりしてましたね笑
レペゼン :
そこまで聴き込んでいたとは!でも、たしかにネットもなく、歌詞を調べる術もないですもんね。
佐野 秀充 :
そうですね。それが中学生の時で、1996年くらいだったと思います。
レペゼン :
さんぴんキャンプ(*)がその年なので、まさに日本のヒップホップが爆発的に広がりを見せた時を経験されたと言えますね。ちなみに学生時代は、ファッション的にもいわゆるBボーイだったんですか?
※ … 1996年に日比谷野外大音楽堂で開催された日本初の大型ヒップホップイベント。BUDDHA BRAND、キングギドラ、RHYMESTERなど豪華アーティストが集結した伝説的な1日として日本のヒップホップ史に刻まれている。
佐野 秀充 :
中学校の時は、ティンバーランドを履いて通学していました。ただ、高校になると路線が変わって、髪の毛を伸ばして、ローファー履いて、日焼けサロンで肌を焼いて……みたいな、いわゆるモテ路線にいきました笑
レペゼン :
そうなんですか!ガラッと変わりましたね笑
日焼けサロンで働きながら
パラパラをディグる大学生活
レペゼン :
高校卒業後はどういう進路に進まれたんですか?
佐野 秀充 :
富山を出て、神奈川の大学に進みました。私立の学校で、全然勉強に励むこともなく、日焼けサロンでバイトするような日々でした笑
レペゼン :
一気にギャル男になったんですね!笑
おそらく時代的にパラパラ全盛期だったんじゃないかと思うんですが、佐野さんもそういう音楽を聴いたりしていましたか?
佐野 秀充 :
はい。モテるために、いわゆるユーロビート(*)系の音楽もチェックしていましたね笑
※ … 派手なシンセサイザーや力強い四つ打ちが特徴の音楽ジャンル。そのハイテンポな音楽に合わせて踊るのが「パラパラ」。
レペゼン :
やっぱり当時はああいう音楽だったり、パラパラをおさえている男子がモテたんですか?
佐野 秀充 :
ギャルっぽい子たちがそういう音楽を聴いていたんですよね。当時の自分は、そういう系統の子たちにモテたくて笑
レペゼン :
今の佐野さんからは想像できません!笑
ホストクラブから鋳造メーカーへ
異例のジョブチェンジ

レペゼン :
大学卒業後はどういう道へ進まれたんですか?
佐野 秀充 :
地元の富山県高岡市に戻って、友達と夜の飲食店を始めました。
レペゼン :
いきなり経営者の道に進んだんですか!具体的にどういうお店だったんですか?
佐野 秀充 :
最初はボーイズバーみたいな感じで始まり、後にホストクラブになりました笑
レペゼン :
ホストクラブですか!これも今の佐野さんからは想像できないんですが、何か始めるきっかけがあったんですか?
佐野 秀充 :
年代的にちょうどホストブームみたいな時だったのが大きいですね。あと、同級生に大阪のミナミ(心斎橋)の有名店でナンバーワンだった友達がいたんですが、その子と意気投合して一緒にやることになったんです。いっときは従業員が20人くらいまでいきましたね。スナックも2軒くらい経営したり。
レペゼン :
ものすごい勢いですね!佐野さんは、当時から経営者としての手腕を発揮されていたんですね。
佐野 秀充 :
いや、全然そんなことないです!一緒にやっていた友達が優秀だっただけですよ笑
レペゼン :
ちなみに、そのホストクラブは何年くらい関わられたんですか?
佐野 秀充 :
4~5年くらいですね。その後、今やっている実家の家業を継ぐことになりました。今までやっていたお店の方は共同経営者に任せて。
レペゼン :
そのタイミングで佐野政製作所に戻られたんですね。かなり勢いがあったホストクラブを辞めてご実家に戻ったというのは、何かきっかけがあったんですか?
佐野 秀充 :
今はもう元気なんですが、母親が病気をしてしまい、そのタイミングでいろいろ考えるきっかけになったんです。それにうちはほとんど家族だけで仕事をしている会社なので、仕事とプライベートが直結していることが大きくて。
レペゼン :
なるほど。それにしてもホストクラブから鋳造メーカーとは、すごいジョブチェンジですね!
次回は佐野政製作所に入社してからの日々を振り返ります。腕がものをいう伝統産業の世界で悪戦苦闘していた佐野さんが力をもらったのは、「根を張ること」の大切さを語るラップソング!

