本場アメリカのレジェンドハット職人から託されたのは大量の……!?稲葉光亮がハットメーカーを志した日

アメリカの雄大な大地の中でリピートしていたShing02&Nujabes

ライター:ほりさげ

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストはハットメーカーの稲葉 光亮(いなば こうすけ)さん。
第3回では、ハットメーカーとして独立を決心するまでの経緯に迫ります。ラッパーとしての活動に心血を注ぐ一方で、感性の赴くままに世界各地に足を運んでいた稲葉青年は、いかに職人の道を志すようになったのか?

前回の記事はこちら → 顔も知らないアーティストの虜になった高校時代!ハットメーカー・稲葉光亮のヒップホップ青春白書

専門学校、ライブ活動、世界一周!
上京後の怒涛の日々

レペゼン :
ヒップホップに出会い、自身もラップするようになった高校生活についてお聞きしましたが、卒業後はどんな道に進まれたんですか?

稲葉光亮 :
その後は、東京の音楽の専門学校に進みました。

レペゼン :
おお!音楽をやるために上京されたということでしょうか?

稲葉光亮 :
でも「絶対ラッパーになるんだ」っていうよりは、何か音楽系の仕事に就けたらとぼんやり思っていたんです。そこで東放学園(*)というところに2年間通いました。

※ …エンターテインメント業界特化型の専門学校。テレビ・映画・アニメ・音楽など、業界の第一線で活躍するキャストとスタッフを育成する。

レペゼン :
エンタメ業界では有名な専門学校ですよね。どんなことを専門に学ばれたんですか?

稲葉光亮 :
僕が行ってたのは、DTM、いわゆる音楽制作を教わる学科でした。学んだことは面白かったし、卒業もできたんですが、2年生の途中で一度休学して、3ヶ月間「ピースボート(*)」に乗ったんですよ。

※ … 1983年に設立された日本の国際交流NGOがコーディネートする地球一周の船旅の名称。約100日間の日程で、世界各地の港を巡るクルーズを定期運航している。

レペゼン :
へー!よく街中でもポスターを見かける世界一周ツアーですよね。

稲葉光亮 :
そうです。そこに参加して世界を一周して、戻ってきてから専門学校を卒業しました。その後は、音楽を作ってくれる友達もいたので、そういう友達と一緒に曲を作って、東京の小さい箱でライブしたりしていました。だから、結局専門に行ったものの、音楽系のところに就職したわけではなく、しばらくの間はバイトをする期間が続くことになりましたね。

レペゼン :
アーティストとしての活動にがっつり向き合っていたんですね。

少数精鋭の映像制作会社で
磨いたスキルとマナー

レペゼン :
その後は映像関係の仕事に就かれたそうですが、音楽ではなく映像の道に進んだのはどういった経緯があったんですか?

稲葉光亮 :
当時、音楽をやりながらウエディング関係の映像の会社でバイトしていて、そこで映像制作を学んだのがきっかけで。素材をテンプレに当てはめるだけの作業だから、すごくクリエイティブな作業ではないんですけど、映像編集のやり方は学べましたね。それを活用して自分の曲のPVを作ってみたりとかもして。

レペゼン :
映像のスキルを自身の活動に還元できるのは素敵ですね。そこで映像に興味が出てきたんですか?

稲葉光亮 :
そうなんです。もっと音楽業界のPVとかライブ映像に携わりたいと思い、大手の音楽プロダクションの中の映像制作部に入社しました。そこは、著名なアーティストが数多く所属している会社で。

レペゼン :
すごい!本格的に映像の技術を学ぶ場とも言えそうですが、働いてみていかがでしたか?

稲葉光亮 :
かなりハードでした笑
そもそも少数体制なので、バイトでやっていたウエディング映像の仕事とは全然働き方が違っていて。例えば、PVの制作現場でカメラマンさんのアシスタントとして動いたり、所属アーティストのライブの撮影現場に入ったり。分かりやすく言えばADみたいな感じですよね。しかも直接教えてもらうというよりも、ひたすら先輩の動きを見て覚えるスタイルで。

レペゼン :
そうでしたか。映像会社のAD的なポジションということは、あまり休めないし、寝れない系の環境では…….?

稲葉光亮 :
その通りです笑
毎日毎日、体が全然追いつかない状態でした。でも、今振り返ると良い経験だったと思います。例えば先輩とか上司への気の使い方だったり、社会人マナーだったり。そういう映像のノウハウ以外の部分も勉強になりましたね。

レペゼン :
それは大事な経験ですね。

趣味で始めた帽子作りが
次第に熱を帯び始め…

レペゼン :
ハットとの出会いもお聞きしたいと思います。アメリカに渡った際に現地のハットメーカーと出会ったことが、稲葉さんがこの業界に進むきっかけになったそうですが、アメリカには定期的に行っていたんですか?

稲葉光亮 :
そうですね。ピースボートに参加した後、もっといろんなところに足を運んで自分の目で多くのものを見たいと思うようになったんです。専門学校を卒業した後、20歳と24歳の時にアメリカでバックパッカーをしたり、映像会社に入ってからも、長期の休みが取れるとアメリカのモンタナなどに行ったりしてました。

レペゼン :
良いですね。ハットにも既に興味があったんですか?

稲葉光亮 :
ありました。もともとDouble RL(*)に見られるようなアメリカのオールドファッション的なテイストの洋服が好きで、ビンテージのハットもコレクションしていたんですよ。次第に集めるだけじゃなく自分でも作りたいと思うようになり、仕事のかたわら趣味で帽子作りの道具を少しずつ集めて、高円寺のマンションの1室で帽子作りをちょこちょこやってみたりしてましたね。

※ … 1993年に立ち上がった「ラルフ ローレン」のヴィンテージ、ワーク、ミリタリースタイルに特化したハイエンドライン。ラルフ・ローレン夫妻がコロラド州に所有する牧場「Double RL Ranch」が名前の由来。

現在の稲葉さんが手がけたハットの数々

レペゼン :
趣味とはいえ行動力がすごいですね。そこから本場アメリカの職人との出会いという流れですか?

稲葉光亮 :
そうです。ある日読んでいた雑誌に、「アメリカには大手のハットブランドだけじゃなく、ハットクラフトマン(職人)が点在している」と紹介されていて。それまでビンテージハットしか目がいかなかったけど、個人で帽子を0から作りあげている職人さんが各地にいることを知って、より一層興味が沸きました。そこで実際にアリゾナとかロスの職人さんにメールして、会いに行くことにしたんです。

レペゼン :
そのフットワークの軽さもさすがですね。

独立を後押ししてくれた
レジェンドクラフトマン

レペゼン :
とはいえ、映像や音楽の道からハットメーカーへの転向はかなり思い切った決断だと思うんですが、一番の決め手はなんだったんでしょう?

稲葉光亮 :
モンタナに住んでる友達に会いに行ったのがそもそものきっかけですね。「友達」と言ってもかなりのおじいさんですけどね。僕が初めて向こうに行った時、キャンプ道具を揃えて、自然の中でフライフィッシングを教えてくれたりと、すごく良くしてくれたんです。そんな彼が病気を患ったことを聞いたので、「これが最後になるかもな」と思ってまた会いに行ったんですよ。その時には僕は既に帽子作りを始めていたので、彼に僕が作った帽子をプレゼントしようと思い、日本で作ったものを持っていったんです。でも実際に彼に被ってもらったら、サイズが小さすぎて頭に入らなくて笑

レペゼン :
そうだったんですか笑

稲葉光亮 :
そこで、「近くのハットショップでサイズ調整してもらおう」という話になり、連れていってもらった先が「Rand’s Custom Hats(ランズ・カスタム・ハッツ)」というずっと昔から続いているカウボーイハットの本格的な工房兼お店だったんです。そこのボスがリッチ・ランドという、アメリカではレジェンド的なクラフトマンなんですよ。

レペゼン :
まさに雑誌で見たようなハットメーカーだったわけですね。

稲葉光亮 :
はい。彼は僕が帽子作りをしていることを聞くと、「もしこれから本格的に始めるんだったら」と、使っていない木型、3~40個ほどを勧めてくれたんです。木型というのは帽子作りには欠かせないものだし、彼が使い込んできた大量の木型は、僕にとっては宝物のようでしたね。

レペゼン :
すごい!いわばレジェンドハットメーカーからのエールですよね。

稲葉光亮 :
そうですね。ただ、その時はまだ映像の仕事もしていたのですごく迷いましたが、最終的にはゴーを出しました。今思い返せば、それがハット作りで行こうと決心した瞬間だったと思います。

レペゼン :
稲葉さんの人生が変わった日ですね!

稲葉青年に静かに問いかけた
Nujabes&Shing02の名曲!

レペゼン :
そうやってアメリカを旅している間、ヒップホップは聴かれていましたか?

稲葉光亮 :
めちゃめちゃ聴いていました。特によくリピートしていたのはNujabes feat. Shing02「Luv(sic) Part 3」ですね。アメリカの田舎の風景って延々変わらないんですけど、車窓から外の風景を眺めながらずっとこの曲を聴いていたのを、今でも思い出します。

【 Nujabes – Luv(sic) Part 3 feat.Shing02 】

レペゼン :
雄大な大自然と合いそうですね。でもUSのラップとかではなく、あえて日本のアーティストであるNujabesとShing02だったんですね。

稲葉光亮 :
不思議なんですが、アメリカに行くと、逆に日本の曲を聴きたくなるんですよね。でもこの曲、言葉は英語ですからね笑

レペゼン :
本当ですね笑
繰り返し聴くほどに惹かれたポイントは、どういったところにあると思いますか?

稲葉光亮 :
なんというか、あの曲には自分自身を回帰させるような、インナージャーニーを促す雰囲気があって。
そういう感じで「日本に帰ったら何をしようか」と、まさに自分のこれからのことについて考えながらずっと聴いていた記憶があります。

レペゼン :
なるほど。人生の岐路に立っているからこそ普段より沁みるものがあったのかもしれませんね!

次回はいよいよ稲葉さんへのインタビュー最終回。「Kohsuke Inaba」が目指すハットのあり方とは?そして最も敬愛するラッパー・Shing02さんとの出会いを果たしたエピソードも必見です!!

プロフィール

  • 稲葉 光亮(いなば こうすけ)

    稲葉 光亮(いなば こうすけ)

    ハットメーカー。単身アメリカに渡り、そこで得たヴィンテージツールや技術を
基に、2017年、熊本県を拠点にしたビスポークのハットメーカー「Kohsuke Inaba」を設立。
伝統的製法で古典的スタイルのハットをモダンに提案している。
アトリエにてオーダーメイドを請けながら、
アパレルブランドやショップからの受注生産も請け負う。

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