ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは東京・墨田区にある片岡屏風店の三代目、片岡 孝斗(かたおか こうと)さん。ヒップホップが好きでDJもされているという片岡さんのヒップホップキャリアについてお伺いしました。
前回の記事はこちら→ シンガー酒造、西平せれなのミュージック・キャリアとは?
東京唯一の屏風店、片岡屏風店・片岡 孝斗のヒップホップキャリアとは?
レペゼン:
現在は東京唯一の屏風店、片岡屏風店の三代目として働かれている片岡さんですが、もともと若い頃から屏風職人になりたいと思っていたんですか?
片岡 孝斗:
一応幼稚園の文集には「屏風職人になる」って書いてたらしいです。
ただ中学ではサッカー、高校はラグビーをやってて、当時はそこまで家業を継ぐことについて真剣に考えてなかったですね。
【片岡屏風店制作の屏風】
レペゼン:
ご実家の家業は小さい頃から見ていたり、手伝ったりしてたんですか?
片岡 孝斗:
お店は墨田区なんですが、実は僕はそこでは育ってなくて。僕が育ったのは杉並区なんですよ。
なので小さい頃はそこまで父の仕事現場とかも見ていないんです。実家が屏風店っていう感覚もあまりなかったですね。
レペゼン:
そうなんですね。片岡さんはヒップホップもお好きでDJもされているということですが、ヒップホップ音楽はいつぐらいから聴いていたんですか?
片岡 孝斗:
最初は姉の影響ですね。姉が持ってたカセットテープです。
レペゼン:
カセットテープ、懐かしいです。
片岡 孝斗:
海外のメインストリームのポップスに触れたのがそこが初めてで。中一くらいでしたね。それこそSpice Girls「Wannabe」とか。ポップス以外にもR&B、ヒップホップもあって。なんだこれはと。特に覚えているのが、姉が持ってたアルバムで1枚借りたLL COOL Jのアルバム「GOAT」で。めちゃくちゃかっこよくて、衝撃を受けたのを覚えてますね。
【LL COOL J – GOAT】
ヒップホップ三昧な学生時代
片岡 孝斗:
うちでMTVを見れたのもあって、アメリカのブラックミュージックにどんどんハマっていきました。その流れでDJっていう存在も知って。凄い格好いいなと思って、ターンテーブルを買おうとしたんですが、当時ターンテーブルって20万円超えてたじゃないですか。
レペゼン:
正直、中学生だと手が届かない価格でしたよね。
片岡 孝斗:
そうなんです。なんとかバイトしたりしてお金を貯めたんですが足りず。結局ラッパーをやってた従兄弟が持ってたターンテーブルをもらいました笑
それが14歳とかですね。
レペゼン:
なかなか早いですね。
片岡 孝斗:
その後は学校帰りに渋谷や新宿、高円寺のレコ屋に行って、レコードを集めまくって。どんどんDJやヒップホップカルチャーにハマっていきましたね。
レペゼン:
DJとして食っていこうとかは考えていたんですか?
片岡 孝斗:
そこまでは正直考えてなかったです。とにかく好きでやっていて。大学に入ってからは実際にDJとして回す機会も増えて。地元の先輩のイベントや大学のダンスサークルのパーティーなどで回させてもらってました。
自分たちでもオーガナイズしたいなと思って、渋谷にある現在のR Lounge(旧ROCKWEST)で「シンクロ」っていう名前のイベントをやったりしてましたね。
日本人とは?若き日の片岡さんの価値観を変えたアメリカでの経験
レペゼン:
ヒップホップ三昧な大学生時代を経て、卒業後はどういった進路に進まれたのでしょうか?
片岡 孝斗:
その後、アメリカに1年ぐらい留学してました。もともと高校の時に1か月だけアメリカに短期留学に行かせてもらった時期があるんですが、それがきっかけで自分の価値観が変わったのもあって、もう一度行ってみたいなと思ったんです。
レペゼン:
高校の時は、どういった形で価値観が変わったのですか?
片岡 孝斗:
アメリカのボストンの語学学校に1ヶ月行ったんですが、その学校がブラジル、サウジアラビアを中心に、いろんな国から来ている生徒が多かったんです。年齢もバラバラで。みんな自分の仕事や目標を叶えるために、英語が必要だっていうので来ていて、自国の話がテーマになることが多くて。
レペゼン:
なるほど。
片岡 孝斗:
他の国から来ている留学生から日本のことを教えてくれって言われても、僕が答えられるのって、アニメとか漫画とかそのくらいしかなかったんです。日本のトラディショナルな部分は全然喋れなくて。それが凄く恥ずかしくて、嫌になりました。帰国後、やっぱり実家が屏風屋ってことを改めて認識して。
レペゼン:
もろに日本文化ですもんね。
片岡 孝斗:
そうなんです。そこから実家を継ぐことを少し意識してて。
で、大学3年で、将来どうするってなった時に、日本の伝統を通じて、自分を表現できたらおもしろいんじゃないかって改めて感じたんです
レペゼン:
めっちゃいいですね
片岡 孝斗:
それで実家を継ぐことに決めたんですが、その前にもう一度自分の感覚を確かめるために、アメリカに行きたいなと思って。それで約1年、行かせてもらいました。
レペゼン:
良いですね。実際に行かれていかがでしたか?
片岡 孝斗:
長期的に外から日本を見ることが始めてだったので、とても良い経験になりましたね。
最初は語学学校に行って、その後は仲の良い友達とアメリカ横断したりとか。それでたどり着いた結論が日本の良さなんですよね。食もそうだし、治安もそう。もちろん文化的なことも。例えば日本語だってそうですよね。
レペゼン:
日本は本当に特殊ですよね。
片岡 孝斗:
でもそれが良いのかなと。例えば奥ゆかしさ。「ノー」と言えない日本人ではなく、「ノー」とあえて言わないことができる日本人。そこには文化的な背景が絶対あるんじゃないかと思って。よりそういった文化的な側面を自分の仕事というフィルターを通して、もちろんヒップホップの感性も入れながら、表現したいと思ったんです。それで改めて屏風職人としてやっていくことを決めましたね。
前回までの記事はこちら → ストリートカルチャーと日本文化の融合で可能性を切り開く屏風職人・片岡孝斗
プロフィール
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屏風職人。1946年創業の東京唯一の屏風店、片岡屏風店の三代目。大学卒業後、アメリカ留学、新潟の協力工場での勤務など経て、職人の道へ。現在は老舗屏風店の三代目として、伝統的な屏風制作に取り組む一方、ヒップホップ文化から受けたバイブスを胸に、ストリートカルチャーのアーティストとコラボした新しい形の屏風のクリエイションや海外アーティストとアートとしての屏風の共同制作など行っている。また落語家とラッパーを中心に、様々なジャンルの人々が芸や作品で表現することを目的としたグループ「音詞噺 -otoshibanashi-」のメンバーとしても活動するなど、多方面で活躍の幅を広げている。