ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは、神奈川県 三浦市のパン屋「充麦(みつむぎ)」のオーナー、䕃山充洋(かげやま・みつひろ)さん。横須賀のクラブでDJとして活動、その後ヨーロッパを放浪し、自身で生産した小麦を使ったパン屋をオープン。異色の経歴を持つ蔭山さんのヒップホップ・キャリアについて伺いました。Vol.3の今回は自分で始めた小麦の生産、そして南部ヒップホップを愛する理由について話して頂きました。
前回の記事はこちら→ DJ、ヨーロッパ放浪、そしてパン屋へ。異色のキャリアを持つパン職人、蔭山充洋とは?
DJパン職人、30歳でヨーロッパへ。フランスで出会った小麦作り
レペゼン:
30歳の時にヨーロッパ放浪に行かれたということをお伺いしております。なぜヨーロッパに行かれたのでしょうか?
蔭山充洋:
もともと25歳くらいからパン屋で働いてて、30歳の頃にはある程度店を任されるまでになっていたんです。ただそこで独立するつもりはなくて。なぜかと言うと、パン屋さんってめちゃくちゃ多いし、別に僕がやらなくてもいいなと思っていて。そこで何をやろうかなと思って、なんとなくヨーロッパへ行ったんです。
レペゼン:
そこからどうパン作りに繋がっていくんですか?
蔭山充洋:
放浪中に、フランスで日本人の奥さんとフランス人の旦那さんでやってるパン屋さんに出会ったことがきっかけですね。そのパン屋さんでバケットを頂いたのですが、それがすごく美味しくて。ご夫婦に原材料や作り方を聞いたら、隣の農家さんが作った小麦を使ってると。
【フランスのパン屋のご夫婦】
レペゼン:
おぉ!
蔭山充洋:
僕、小麦っていうのは国が輸入して、その後製粉会社が製粉して、問屋さん経由でパン屋にやってくるっていう認識だったんですね。だから自分で作るっていう感覚がなくて。ただそこで、小麦って自分で作れるんだってなったんです。今考えれば当たり前なんですが。
レペゼン:
でも日本だとなかなか自分で作れるという発想にはいたらないですよね。
そもそも小麦作りがそこまで身近なものではないですし。
蔭山充洋:
そうなんです。実際当時は小麦から自分で作るパン屋って聞いたことなくて。
ただ僕はこの出会いがきっかけで、
ちょっと小麦、自分で作ってみたいなと思ったんです笑
レペゼン:
なるほど笑
知識ゼロから700キロの小麦を収穫
蔭山充洋:
その後、日本に帰ってきてから、当時付き合ってた彼女、今の奥さんの実家が農家だったので「ちょっと小麦を作ってみたいから畑を貸してくれ」ってお願いして。で、実際に神奈川県の行政からパン用の小麦の試験品を入手して、県の人と一緒に小麦生産を始めたんです。生活費はホテルのバイトで稼いで作っていたんですが、結局翌年には300キロくらい収穫できて。
レペゼン:
すごい!!
蔭山充洋:
ただ僕がホテルのバイトで忙しくなっちゃって。その300キロをほったらかしにしてたら、全部カビが生えてだめになっちゃった笑
レペゼン:
笑
蔭山充洋:
それで次はちゃんとしようと。小麦を加工する乾燥機や製粉機を買ってしっかり準備したんです。そしたら次の年には700キロの小麦がとれて。
レペゼン:
収穫高上がってる!
蔭山充洋:
たくさん収穫できたので、県や農協、地域のパン屋さんに売ろうかなと思ったんですが、そもそも小麦って本当に二束三文で、1キロあたり60円くらい。なので700キロで3、4万円ぐらいにしかならないんですよ。
しかも、そもそも僕が作った小麦より製粉会社が製粉した方がよっぽどちゃんとした小麦で、安いという笑
レペゼン:
笑
蔭山充洋:
それでどうせなら自分が作った小麦でパンを作ってみようと。そこから「充麦」を始めた感じですね。
ギャングサインが飛び交う横須賀のDJバーでの南部ヒップホップとの出会い
レペゼン:
小麦作りで試行錯誤してる時に、しんどい時期もあったと思うのですが、勇気をもらったラップありますか?
蔭山充洋:
B.G. Feat Big Tymers & Hot Boyz の「Bling Bling」ですかね。
この曲聴くと気分上がるんですよね。
【B.G. Feat Big Tymers & Hot Boyz – Bling Bling】
レペゼン:
やっぱり90s後半から2000年代初頭の南部が好きなんですね。
蔭山充洋:
むしろ南部しか聴いてなかったです。僕が働いていた横須賀のバーに来てた米兵が南部の方が多かったので。
米兵から「これかけてくれ、あれかけてくれ」ってリクエストが来るんで、それでどんどん90年代の南部ヒップホップを覚えていった感じです。
レペゼン:
その後、2000年代に出てくるLil Jon(リル・ジョン)、Crunkのムーヴメントもそうですが、
当時の南部のサウンドは良い意味でパワープレーというか、ちょっとアホな感じの雰囲気も楽しいですもんね。
蔭山充洋:
もう全体的にホントそうで。D.J. Jimiもそうですし、リル・ジョンも、今のHot Boyzもそうで。
なんか単純に盛り上がる感じが好きなんですよね。
あと当時米兵と関わっていて衝撃だったのは、ギャングサインですね。
*ギャングサイン・・・ギャングがお互いの組織を認識するための手を使ったジェスチャー
レペゼン:
どういった点が衝撃だったんですか?
蔭山充洋:
バーに来ていた米兵たちを見ていると、ギャングサインでコミュニケーションしてたんです。
レペゼン:
へー!
蔭山充洋:
よくLAとかWest Coastのハンドサインってありますけど、一つのポーズというよりも、手話みたいにそれを使ってコミュニケーションを取ってた感じですね。
レペゼン:
興味深いですね。
Juice WRLDやNLE Choppa とかもすごいギャングサインやってますし、本当にコミュニケーションツールなんでしょうね。
蔭山充洋:
そうなんです。あとは挨拶の仕方も地域や所属ギャングによって違ったりとか。
横須賀でのバーテンの経験は本当にいろんなことを学べましたね。
さまざまな試行錯誤の末に、小麦作りに成功した蔭山さん。次回はお店の立ち上げの苦労から人気店になるまでの道のりについて聞いていくよ!お楽しみに!
前回までの記事はこちら→DJ、ヨーロッパ放浪、そしてパン屋へ。異色のキャリアを持つパン職人、蔭山充洋とは?
プロフィール
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1975年生まれ、横須賀出身。高校卒業後、音楽の専門学校に通いながら、横須賀・ドブ板通りの米兵が通うDJバーで、バーテンダーとして働き始めたことがきっかけでヒップホップカルチャーと出会う。その後バーテンダー、DJとして活動後、30歳からヨーロッパを放浪。フランスで農家から直接小麦を仕入れてパンを作るパン屋と出会ったことで、小麦作りに興味を持つ。帰国後、2008年に三浦市で自ら小麦を育て、収穫して、パンをつくるパン屋「三浦パン屋 充麦」を開店。自家製小麦から作る香り豊かなパンとヒップホップバイブス溢れるお店が地域の方に愛されており、週末には東京からもファンが訪れる人気店となっている。