ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。
今月のゲストは世界的なDJの二大大会、「DMC」と「IDA」の両方で優勝した経歴を持つDJであり、現在は新潟県南魚沼市で米農家「こまがた農園」を経営する“DJ CO-MA”こと駒形宏伸(こまがた・ひろのぶ)さんにお話を伺いしました。全国区のお米コンテストでも優勝するなど、お米農家としてもチャンピオンになるという偉業を成し遂げている駒形さん。Vol.2では、DJに目覚めたきっかけや、農家として働くことになった意外な理由、衝撃を受けたヒップホップソングについて語っていただきました。
前回の記事はこちら→ 世界一のDJが米農家に!異色のキャリアを持つ駒形宏伸とは?
陸上での挫折、合コン三昧の大学生時代
レペゼン:
駒形さんは、学生時代、DJを始める前は何かされてたんですか?
駒形宏伸:
ずっと陸上競技をやってました。中学から大学まで全部スポーツ推薦で入らせてもらってて、陸上にのめり込んでましたね。種目は110Mハードルをやってました。
【陸上部時代の駒形さん】
レペゼン:
では大学でも陸上を?
駒形宏伸:
そうですね。ただ大学3年の終わりぐらいに辞めちゃいました。
ハードルって、中学から高校に上がると、ハードルの高さが劇的に変わるんですよ。めちゃくちゃ高くて。
僕身長173cmしかないんですけど、それだと結構厳しくて。
大学3年の時にコーチに「お前の身長じゃ限界がある」って言われたんです。
レペゼン:
結構ひどいこと言いますね。
駒形宏伸:
コーチは、「そこに反発して頑張ってくれ」っていう意味で言ったのかもしれないですけど、僕はそれでも一気にやる気なくなっちゃって笑
次の日から部活一切行かなくなって。で、やりたい事もなく、遊び呆けて、合コンばっかり行ってました笑
DJ、そしてターンテーブリズムとの出会い
レペゼン:
その頃にDJとも出会うんですか?
駒形宏伸:
そうですね。大学が石川だったんですが、大学の友達の家に遊びに行ったら、ターンテーブルとレコードがあって。で、そいつがおもむろに、その頃出たばかりだった宇多田ヒカルの「Automatic」をかけたんですよ。出だしがあのスクラッチの「ドゥクドゥク」って音で。それを聴いた瞬間、「うわぁカッケェ!」と思って衝撃を受けたんです。
【宇多田ヒカル – Automatic】
駒形宏伸:
もう次の日には持ってたギターとか、着てる服を全部売り払って、ターンテーブルを買いましたね。
レペゼン:
すごい笑
その後は独学で練習されていくんですか?
駒形宏伸:
基礎的なところは友達に教えてもらって、そこから独学でやってました。
とにかくDJの大会のビデオを擦り切れるまで見て、練習してましたね。
それで石川のクラブとか、少しずつDJとして出番をもらえるようになっていった感じです。
「初任給20万と車やるよ」という誘いで、農業の道へ
レペゼン:
大学卒業後はDJで食っていこうという感じだったんですか?
駒形宏伸:
プロで食ってくっていうよりは「大会に出たい」、「上手いやつと一緒に活動したい」って気持ちが強かったですね。
ただDJ以外のことはやりたくなかったので、2年間ぐらいはバイトしながらひたすら練習してました。
あとは、消防士って2日行けば、2日間休みだからDJの練習ができると思って、公務員試験を受けたこともあります笑
それで全然勉強せずに受けて、もちろん一次試験で落ちました笑
レペゼン:
笑
駒形宏伸:
本当に浅はかなんですよ笑
レペゼン:
バイトしながら生活してる中で、ご家族から何か言われたりとかあったんですか?
駒形宏伸:
ひたすら怒られてました笑
「何のために大学入れてやったんだ」って言われて笑
ただ全然気にしてなかったし、逆に言い返してたぐらいだったんですが、ある時、農家をしていた父に「初任給20万円あげるし、車も買ってやるし、雨が降れば休みだよ」って言われて、実家の農業を手伝い始めました笑
レペゼン:
それは結構美味しい話ですね!笑
駒形宏伸:
そうなんです。でも実際働いてみたら、給料は手取り4万5000円しかもらえないし、車も買ってもらえないし、雨降っても全然休みじゃなくて。
レペゼン:
全部違う笑
駒形宏伸:
とはいえ、とりあえずお金がないとレコードも買えないんで。実家の手伝いやってれば比較的休みやすいし。
そんな安易な考えでやってましたね。
レペゼン:
でも農作業って朝から晩まで結構大変じゃないですか?
DJの練習はいつしてたんですか?
駒形宏伸:
それが本当に大変で。仕事も一応やらなきゃいけないし、どうするってなった時に、もう睡眠時間削るしかないと。だから大体18時ぐらいに仕事が終わって、自宅に帰ってすぐ飯食って風呂入って、その後20時半ぐらいから練習して、夜中の2、3時とかまでやってましたね。で6時に起きて、また農作業みたいな。親からうるさい!ってよく言われてました笑
レペゼン:
笑
でもそれでDMC WORLDで優勝ですもんね!すごいです。
前回の記事はこちら→世界一のDJが米農家に!異色のキャリアを持つ駒形宏伸とは?
駒形宏伸:
親も今は喜んでくれてます笑
DJをしてることで結構メディアに取り上げてもらうことも多くて。
「むしろどんどんやれ」って感じになってます笑
レペゼン:
笑
世界一のDJの心を震わせたヒップホップソング
レペゼン:
衝撃を受けたR&Bやヒップホップ・ソングって何かありますか?
駒形宏伸:
ブラックミュージックで初めて衝撃を受けたのはDes’ree 「You Gotta Be」ですね。
もともと姉がジャズが好きで、よく聴いてて。
【Des’ree – You Gotta Be】
駒形宏伸:
ヒップホップで衝撃を受けたのは、大学の同級生の家で聴いたLords Of The Underground ft. Redman「What I’m After」です。
【Lords Of The Underground ft. Redman「What I’m After」】
レペゼン:
名曲ですよね。
どのあたりが衝撃を受けたんですか?
駒形宏伸:
それまで、ヒップホップでジャズをサンプリングしてるものを知らなくて。
ヒップホップと言えば、暗いビートの上でラップしてるものだと思ってたので。その中で、こんなヒップホップもあるんだってのが衝撃でした。
レペゼン:
Jazzyな感じが好きなんですね。
駒形宏伸:
そうですね。自分の知ってるヒップホップとは違うなと。
ジャズのサンプリングのトラックで、ラップするんだってのがとにかく衝撃でしたね。
大学卒業後、農業と両立をしながら、DJの練習に明け暮れていた駒形さん。次回はDJの世界大会でチャンピオンになるまでの道のりや、その時の葛藤、そして世界大会に挑む際に励まされたヒップホップソングについて聞いていくよ!お楽しみに!