ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。
今月のゲストは、ラジオパーソナリティ、コラムニスト、そして作家と、幅広く活躍されているジェーン・スーさん!自身の生活や経験を鋭利に&ユーモラスに語るエッセイが大人気のジェーン・スーさんですが、実はヒップホップ・ヘッズという一面も。Vol.2では社会人時代の経験や、仕事との向き合い方に迫ります。人生の窮地を救ってくれたラップソングとは…?
前回の記事はこちら→ 東京生まれ洋楽育ち!実は生粋のヒップホップ・ヘッズ。コラムニスト・ジェーン・スー
就職氷河期のなか
音楽レーベルに新卒入社!

レペゼン :
大学卒業後は、会社員も経験されたと伺いました。
ジェーン・スー :
大学で一年間アメリカに留学して、帰国後に就職活動を始めました。でも当時は就職氷河期だったので、女子大の新卒なんか全然相手にされないんですよ。資料請求のハガキを送っても、返ってくるのは半分以下。今だったら完全にアウトですけど、それが当たり前でしたね。
レペゼン :
冷遇具合が文字通り氷河期ですね…。
ジェーン・スー :
自分は、いわゆる決められたことを守ることが苦手だったこともあったし、「音楽好きだからレコード会社受けよう」っていう感じで何社か受けたところ、たまたま「EPIC Records Japan(*)」に就職することができたんです。
※ … 「ソニー・ミュージックレーベルズ」の社内レコードレーベル。
レペゼン :
SONYのレーベルですよね!すごいです!
ジェーン・スー :
おそらく優秀な人が採用されたわけではなかったと思うんですよ。業界が業界だし、どちらかというと「ノリが合いそう」とか「一緒に働けそう」みたいな感じで選ばれたんじゃないかと思います。
レペゼン :
なるほど。そこではどんな仕事を担当されたんですか?
ジェーン・スー :
宣伝の仕事ですね。レーベルに所属しているアーティストそれぞれに通年のリリースプランがあり、「今月は誰が推し」と会社が決めます。それに応じて宣伝部が、ラジオや出版社などを回って営業していくんです。それを何年かやると、アーティストを個別に担当して、リリースやプロモーションのスケジュールを立てる仕事に就きます。すごく楽しかったし、もうバカみたいに働き続けましたね。
レペゼン :
充実していたんですね。EPIC Records Japanの後、次は「Universal Music」に移られたそうですが、転職のきっかけはなんだったんですか?
ジェーン・スー :
当時、Universal Musicで働いていたGALAXY時代の先輩RIKOさんから電話がかかってきたんです。「新しいことやるから来ない?」って誘われて。
レペゼン :
ブラック・ミュージック系のアーティストも多かったんですか?
ジェーン・スー :
Universalは大きい会社なので、いろんなジャンルのアーティストがいましたね。私は新しいアーティストの全米デビュープロジェクトに携わる小さな部署で働いていました。EPIC Records とは社風も理念も全然違ったけど、どっちからも学ぶことは多かったし応用が効くから楽しかったですね。
レペゼン :
良いですね。ただ、そうやってしばらく音楽業界で経験を重ねられた後、今度は別の畑に転職されたとか…?
起きている時間の半分を
仕事に費やすのなら…

ジェーン・スー :
それまでとまったく違う業界に入って今まで培ったことが役に立つのかを試してみたくなって、メガネのブランドの「Zoff」を運営する株式会社インターメスティックに入社しました。
レペゼン :
本当にがらっと業界が変わりましたね。なぜZoffに?
ジェーン・スー :
私はZoffではないブランドを担当していたんですが、前の2つが大きい会社だったから、いわゆる川上から川下までを一望できなかったんですよ。自分が販売しているものがどう作られ、どう販売されるのか詳細がわからない。それに対して当時のインターメスティックはまだベンチャー企業だったので、それこそデザインのアイデアから工場での製作、そして店頭のディスプレイまで、見ようと思えば見れるんですよ。そうやってプロジェクトの全貌が一望できる環境に興味があって。
レペゼン :
すごいチャレンジ精神ですね。お話を聞いていると、ジェーンさんは仕事に対してすごく意欲的なことが分かります。
ジェーン・スー :
仕事、好きですね。運動も勉強も全然できなかったけど、仕事はずっと好きで今までずっと頑張れています。
レペゼン :
素敵です。仕事に対するモチベーションはどういった部分から出てくるんですか?
ジェーン・スー :
1日24時間あるうち、お風呂とか睡眠で8時間くらい使うじゃないですか。すると起きている時間の半分を仕事にあててるわけですよね。その時間がつまんないと嫌なんですよ。だったら面白くしたいと思ってますね。
レペゼン :
なるほど。聞いているこちらも気が引き締まります!
Whose world is this?
この世界は誰のものなんだ?
レペゼン :
そんな社会人時代に力をもらったラップソングはありますか?
ジェーン・スー :
私が22歳の時に両親が一度に倒れてしまい、それぞれ別の病院に入院したんです。一人で二人の世話をするのって物理的にほとんど不可能じゃないですか。せっかく入ったレコード会社も介護休職せざるを得なくなって。
レペゼン :
そんな大変な時期が……。
ジェーン・スー :
よく「大変な時に応援ソングを聴いてどうこう」とか言いますが、本当にギリギリの状態になると、頑張れと言われても響かない。「しゃらくさい!」ってなっちゃって。
レペゼン :
本当に辛い思いをされている人に対して「頑張れ」「負けるな」って声をかけづらいですもんね。
ジェーン・スー :
その状態の私にスッと入ってきた曲がNasの「The World Is Yours」です。
【 Nas – The World Is Yours】
レペゼン :
Nas御大ですね!この曲のどんな部分に救われましたか?
ジェーン・スー :
自分の人生が自分のものに思えないくらい他者に時間を費やしている時に、NasがWho’s world is this? の問いに「It’s Yours」って全肯定してくれたところですね。もう毎日この曲を聴きながら両親の介護をしていました。「ここが私のフッドだ!」と思いながら笑
レペゼン :
それにしても、辛い時期にNasのパンチラインに救われたというエピソードからも、ジェーン・スーさんのヒップホップ愛がうかがえます。
ジェーン・スー :
両親がいっぺんに倒れるなんて相当ハードモードでしたけど、ハードな暮らしを強いられるゲットーエリアで生まれたヒップホップというカルチャーに皮肉にも支えられました。
過酷な環境で育ったNasの曲がジェーン・スーさんの心を奮い立たせたように、波乱万丈の人生を送ってきた彼女のエッセイも、読む人に「これはこれで上出来なんだ」と思わせる力が宿っています。次回の記事では、そんな書き手としてのジェーン・スーさんに迫ります!

