やっぱり、どこまでいってもDJは選曲だなって感じます。

ニューヨークで戦う日本人、DJ YMXの積み重ねてきたキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この仕事を選んだのか?このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。今回は京都、大阪のナイトクラブを成功に導き、現在はニューヨークで活躍するDJ YMXさんのキャリアにDJ SHUNSUKEが迫ります。

ヒップホップ好きの友人との出会い、「カジカジ」と地元の小さなクラブ

SHUNSUKE:
まずは原点から伺わせてください。YMXさんがDJやHIP HOPカルチャーにのめり込むきっかけとなった出来事は何でしたか?

YMX:
高校2年生の頃だったと思います。HIP HOPが好きな仲良しの同級生がいて、いろいろ教えてくれたんですよ。その友達のお兄さんがDJをやっていて、一緒にクラブに行こうという話になって。「カジカジ」っていう雑誌に載っていたイベントに行きました。地元の小さなクラブだったんですけど、そこで初めて見たDJに「やべー」って衝撃を受けて。そこからDJを始めました。

SHUNSUKE:
カジカジは関西のクラブ情報やストリート情報が載ってた雑誌ですよね?懐かしいです。

YMX:
はい。今とは時代も違いましたし、貴重な情報源でした。その同級生はラップもやっていたので、一緒にラップグループを組むことになって。そこからどんどんHIP HOPにのめり込んでいきましたね。

↑関西のストリートファッションやカルチャーを発信し続けた伝説的な月刊誌の創刊号

京都シーンの黎明期

SHUNSUKE:
2000年にDJキャリアをスタートされ、DJ LEAD氏らと共に京都のシーンを盛り上げていく中で、『soundbase SEED』や『BUTTERFLY KYOTO』での経験は、YMXさんのDJスタイルや音楽観にどんな影響を与えましたか?

YMX:
始めた頃はまだ高校生で、友達同士でクラブを借りてイベントをしたりしていました。バンドをやっている友達も多かったので、ライブの転換の間にDJをすることもよくあって。その後DJ LEAD君と出会って、彼のパーティでDJをするようになりました。当時の京都は、今みたいに毎週末ヒップホップパーティがある時代ではなくて、ヒップホップだけで毎週遊ぶような空気もまだそこまで根付いていなかったと思います。そんな中で、最初は小さいバーからスタートして、新しくクラブを立ち上げる流れになり「soundbase SEED」ではDJをやりながらマネージャーも担当していました。当時はまだSNSも一般的ではなかったので、大量のフライヤーを持っていろんなお店を回っていましたね。

SHUNSUKE:
足を使って宣伝をする事は大切な時代でしたよね。

YMX:
遊びに来るお客さんにとって、フライヤーも重要な情報源だった時代です。ちょうどその頃にオープンフォーマットDJにも出会って、それが今の自分のスタイルの原点になっています。その後、BUTTERFLY KYOTOがオープンしてからは、海外のDJがさらに多く来るようになって、京都のクラブシーンが一気に広がった感じがありました。東京のDJもたくさん来ていた。そこで本当に多くのことを勉強しました。特に、大勢のお客さんを相手にどうフロアを作るかという感覚はかなり鍛えられたと思います。その頃から、京都以外の場所にもDJしに行くようになりましたね。

↑2011年のBUTTERFLY SATURDAYのフライヤー

BUTTERFLYでDJプレイをするDJ YMX

↑毎週末長蛇の列を作ったお店だった。

大阪アメ村での空間プロデュースと「インターナショナルな熱量」の融合

SHUNSUKE:
その後、2014年に大阪アメ村の『GHOST Ultra Lounge』のチーフDJ(サウンドプロデュース)に抜擢された際、単なる「選曲」を超えて、お店のブランディングや空間作りのために意識していたことは何ですか?

YMX:
当時、京都の『BUTTERFLY KYOTO』がすごく盛り上がっていたこともあって、「大阪でもああいう空間を作りたい」という箱側の要望がありました。BUTTERFLYは外国人のお客さんも多くて、すごくインターナショナルな空気感だったんです。どうすればその海外っぽい熱量を、GHOSTや大阪のシーンとうまく融合できるか——そこはかなり意識していましたね。

時代と共に変わるDJ像と、今もブレない「良いDJ」の定義

SHUNSUKE:
京都・大阪の最前線で長年フロアを見続けてきた中で、「良いDJ」の定義や、時代ごとのDJ像の変化を感じる瞬間はありましたか?

YMX:
自分はもともとクラブDJに憧れてこの世界に入ったので、今でもクラブで自在にフロアをコントロールできるDJというのが、自分にとっての良いDJの原点としてあるのかもしれません。ただ、現代でいうと、DJのスタイルもかなり多様化したと思います。フェス文化も大きくなりましたし、SNSや配信プラットフォームの発達で、本当にいろんなタイプのDJが出てきた。その時代ごとの流れによって、良いDJの定義や若いDJが目指すものも少しずつ変わってきているんだと思います。

SHUNSUKE:
近年はSNSの普及や配信文化、機材の進化によってDJの在り方も多様化していますよね。YMXさんは現場叩き上げのDJですが、その視点から今のDJカルチャーをどう捉えていますか?

YMX:
プラットフォームが多様化したことで、DJとして活動できるフィールドは確実に広がったと思います。昔よりDJという存在の認知度も上がりましたし、スタイルもかなり多様化した。昔のミックステープやミックスCDのように、SNSや配信をきっかけに名前が広がって、そこから現場に繋がっていく流れも、今の時代らしい形だと思いますね。

決意の渡米。ニューヨークへ

SHUNSUKE:
日本(関西)のシーンで確固たるキャリアを築いていた中で、あえてそれを手放し、拠点をニューヨークへ移そうと決意した最大の理由は何だったのでしょうか?

YMX:
もともとニューヨークにはすごく憧れがあって。DJとして音楽にのめり込み始めた頃から、アメリカ、特にニューヨークのDJをずっと追いかけていました。曲のかけ方だったり、そういう部分を常に意識しながらDJしていました。でも内心、日本にいながらそれを追いかけ続けていることにどこか矛盾も感じていて。ただ、ずっとそれに蓋をしていたんですよね。

SHUNSUKE:
なるほどですね。違和感というか…なんとなく伝えたいことは分かります。いつ頃、ニューヨークに行くという決断をしたんですか?

YMX:
2018年頃だったと思うんですけど、ちょうど自分がやっていたパーティや周りの環境も変化していた時期で、「少しの間だけでもニューヨークで生活してみよう」と思ったんです。あの空気をもっと感じたい、身にまといたいって。周囲の反対もありましたが、迷いはありませんでした。他の街の選択肢もなかったです。

SHUNSUKE:
実際に渡米されてから、コネクションゼロの状態からどのようにしてDream DowntownやPHD Rooftop LoungeといったNYの名だたるトップベニューのレジデントやメインDJのポジションを掴み取っていったのですか?どんな苦労をされましたか?また、それをどう乗り越えたのでしょうか?

YMX:
最初は友達の紹介でDJするようになって、ロビーでDJしたり、クラブのオープンやクローズを担当したり、プールパーティでプレイしたりしていました。

SHUNSUKE:
まずはどんな仕事でもとにかくやる、という感じで。

YMX:
はい。そんな中で、PHD Rooftop LoungeでDJがいない日に代役を任されるようになって。そういう機会を重ねていくうちに、ある日ベニューのマネジメント側の人から直接メールをもらったんです。月に1回、金曜日を任せたいって。結果的にイベント自体の流れも変わって、最初に話してもらっていた形とは少し変わったんですけど、その後もPHDでDJする機会をもらえるようになっていきました。ただ、そこまで行くのは、本当に時間がかかりましたね。英語も全然うまく話せないし、現場で少しずつ信頼を積み重ねていくしかなかった。PHDのギグの話をもらった時は、本当に嬉しかったです。ニューヨークに来て、一番の出来事だったかもしれないです。

リリックの理解度、人種のるつぼ、そして「本場」の遊び方

SHUNSUKE:
実際にNYの現場(ナイトクラブ、ラウンジ、ルーフトップ、プールサイド)でプレイする中で、日本とアメリカのクラブカルチャーや、オーディエンスの「音楽への反応・遊び方」における最も大きな違いはどこにあると感じますか?

YMX:
まず大きいのは、オーディエンスが普通にリリックを理解しているということですね。日本にいた頃は、そこまで強く意識していなかった部分でした。ニューヨークではお客さんに自然と言葉が入ってくるので、特にラウンジやレストランではリリックをかなり気にしています。時間帯や空間によっては、同じHIP HOPでも選び方が全然変わってくる。年齢層もすごく広いですね。おじさん、おばさんも本当に元気で笑
企業のイベントやプライベートイベントでは、そういう人たちもガンガン踊るし、歌う。

SHUNSUKE:
言葉と踊るという感覚は日本とは圧倒的に違いますよね。

YMX:
それと、やっぱり人種の多様さですね。その日の客層を見ながら、どのあたりの曲やジャンルが反応良さそうかをできるだけ早く察することが必要で。日本にいた頃より、もっと細かく判断するようになりました。この曲はどんな客層や年齢層に反応するのか、どの時間帯にはまるのか、とか。

どこまでいってもDJは選曲。タフな街で得た確信

SHUNSUKE:
本場NYCのタフな環境に身を置いたことで、YMXさん自身の「DJ観」や「HIP HOPカルチャーに対する価値観」に新たな変化や進化はありましたか?

YMX:
やっぱり、どこまでいってもDJは選曲だなって感じます。こっちの良いDJは、どんな現場に行っても絶対にベストな選曲をしている。無理やり感がないんですよね。自然なんです。 ニューヨーク自体のシーンの大きさがあって、それが実現できている部分もあるのかもしれないですけど。HIP HOPっていうジャンル一つとっても本当に幅が広い。年代だったり、メインストリームなのかフッド寄りなのか、イベントによって盛り上がり方が全然違うので。

世界を目指す若い世代のDJたちへ

SHUNSUKE:
最後に、渡米を経て客観的に見た現在の日本のHIP HOP/DJシーンの強みと課題、そしてこれから世界や現場を目指す若い世代のDJたちへ向けて、伝えたいメッセージをお願いします。

YMX:
日本のDJって本当に上手いなって思います。DJが複数人いる現場も多いので、流れの作り方みたいな部分は若い頃から自然と身についていく環境があるんだろうなって感じますね。ただ選曲に関しては、どうしても自分が普段やっている現場や地域に最適化されていく部分はあると思うので、もし海外に興味があるなら実際に足を運んで体験してほしいです。できれば少しでも住んで体験してほしいなって。好きなDJのセットを何度も実際に見て、セットごとにどう変化をつけているのか、どんなお客さんがどんな曲に反応しているのか——そういうことを現場で感じてほしいですね。

SHUNSUKE:
本日はありがとうございました。NYでのさらなる活躍、楽しみにしています!

↑撮影 DJ SHUNSUKE(2011)

プロフィール

  • DJ YMX

    DJ YMX

    DJ YMXは、ニューヨークを拠点に活動する日本人DJ。 2000年よりDJキャリアをスタートし、京都・大阪の主要ナイトクラブにて長年レジデントDJとして活動。 国内外の著名アーティストとの共演をはじめ、FMラジオ、テレビ、雑誌連載などメディア出演も多数経験する。また、クラブのミュージックディレクターやイベント制作にも携わるなど、幅広い活動を行ってきた。 現在はニューヨークを拠点に、ナイトクラブ、ルーフトップ、ラウンジ、レストランなど幅広いベニューで活動。Dream Downtown、Moxy Chelsea、TAO Downtown Restaurant にてレジデントDJを務める。 また、夏季にはDream Downtown内のプールベニュー「The Beach at Dream Downtown」にて毎週日曜日のレジデントDJとして出演。2026年には、ニューヨークの人気ルーフトップナイトクラブ PHD Rooftop Lounge にて複数回出演し、メインDJを務めた。

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