東京生まれ洋楽育ち!実は生粋のヒップホップ・ヘッズ。コラムニスト・ジェーン・スー

今持ってるもので新しい物を作って「かっこいい」の定義を変えていくのがかっこいい。

ライター:ほりさげ

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアについて全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは、ラジオパーソナリティ、コラムニスト、そして作詞家と、幅広く活躍されているジェーン・スーさん!
自身の生活や経験を鋭利に&ユーモラスに語るエッセイが大人気のジェーン・スーさんですが、実はヒップホップ・ヘッズという一面も。
Vol.1の今回は、幼少期から大学時代までの話に迫ります。なんと、日本のヒップホップ黎明期時代からシーンを牽引してきたあのグループとも親交が!

エリートだらけの小・中学校。
文京区出身のシティガール

レペゼン :
まずは自己紹介や現在のご職業の内容からお願いいたします。

ジェーン・スー :
ジェーン・スーといいます。出身は東京都文京区で、今は、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、ポッドキャスターが主な仕事です。

レペゼン :
東京生まれ、東京育ちなんですね。

ジェーン・スー :
はい。生まれ故郷の文京区には、東京学芸大、お茶の水、そして筑波という3つの国立大学の附属幼稚園があったんですが、親が面白がって3つとも受けさせた結果、学芸大の附属に受かっちゃったんです。

レペゼン :
文京区は公立小学校でも進学校が多いことでも有名ですよね。

ジェーン・スー :
そうですね。小学受験を経てやっとの思いで入ってきたり、小学校に入る前にもう小3で入る塾の申し込みをしたりといったレベルの子たちがほとんどのなか、自分は幼稚園からエスカレーター式に進めて。

レペゼン :
エリート揃いな環境だったわけですね。授業も難しかったんですか?

ジェーン・スー :
いや、小・中学校までは割と自由にのびのびやってたんですけど、附属高校は何十人も東大に行くような学校だということを聞いて、そこで初めて「周りって優秀な人たちばっかりだったんだな」って気づいて笑
私は優秀でもなんでもなかったので附属高校へは行けず、高校は埼玉の女子校に行き、大学は神奈川の女子大に進みました。

大学時代に出会ったのは、あの
レジェンド・ヒップホップグループ

レペゼン :
ヒップホップとの出会いはいつ頃だったんですか?

ジェーン・スー :
大学生になってから、早稲田大学のインカレサークル「ソウルミュージック研究会・GALAXY」に出会ったのがきっかけですね。いわゆるサークル紹介の催しを見に行った時に、キャンパスの入り口でターンテーブルをセットして大きい音を流して先輩たちが踊ってたんです。

レペゼン :
楽しそう!さながらブロックパーティですね。

ジェーン・スー :
その雰囲気に「かっこいい!」と衝撃を受けて、そのままGALAXYに入りました。そしたら先輩に宇多丸さんとMummy-Dさんがいて、同期にDJ JINがいました。

レペゼン :
学生時代のRHYMESTER(ライムスター)の面々に出会われていたんですか!驚きです。

ジェーン・スー :
彼らのファーストアルバムの『俺に言わせりゃ』(1993年)が出た時はまだ大学生で、そういう活動も近くで見ていました。

【 RHYMESTER -『俺に言わせりゃ』収録「愛のなんでなんだ」】

レペゼン :
「あの人も実は」どころか、ヒップホップシーンの生き証人じゃないですか!笑
ちなみに大学に入る前からブラックミュージックには興味があったんですか?

ジェーン・スー :
もともと子どもの頃から音楽は好きでした。小学校高学年くらいからマドンナのデビューアルバムとか、海外ドラマのサントラとか洋楽を聴き始めて。あとは『ベスト・ヒット・USA』みたいなテレビ番組をチェックしたり。そのあたりから当時のいわゆる音楽カルチャーにどっぷりでした。

レペゼン :
割と早い段階から洋楽のトップチャートをしっかり追われていたんですね。

ジェーン・スー :
そのまま中学でジャネット・ジャクソン、高校生くらいでボビー・ブラウンが流行ったりと、ブラックミュージックも聴くようになりますが、「これがHIPHOP・R&Bだ」として認識しているわけではなく、当時の人気な曲の1つとして摂取している感覚でしたね。

ヒップホップの沼への入り口は
“ソウルミュージック研究会”

レペゼン :
高校くらいの頃は、どの媒体で音楽を聴かれていたんですか?

ジェーン・スー :
その時はCDですね。渋谷とか池袋のタワレコでCDを買って聴くという生活をしていました。

レペゼン :
そして大学でGALAXYに入ったことを機に、よりヒップホップミュージックに傾倒されていくわけですね。

ジェーン・スー :
時代的にちょうどアメリカ東西のラップが盛り上がって、ヒップホップ専門誌などのメディアもいくつかあった頃だったんです。雑誌に載っているインタビュー記事やアルバムレビューを読み漁って、そこからCDを聴きまくる……というルーティンだけで1日が終わっていくときもありました。

レペゼン :
相当熱心に聴かれていたんですね!

ジェーン・スー :
当時は周りがそういう風にディグするような人ばっかりだったので、自分のことを「音楽通」と思ったことはないですけどね。

ハマーから学んだ「サンプリング」という概念

レペゼン :
当時、特に衝撃を受けたラップミュージックを教えていただけますか?

ジェーン・スー :
「サンプリング」という手法に触れた時は、衝撃というか楽しかったですね。今でも覚えているのは、当時めちゃくちゃ流行ったMCハマーの「U Can’t Touch This」の元ネタRick Jamesの「Super Freak」を聴いて、「この音楽のあのパートをカットして繰り返してるんだ!」とわかった時です。今でこそ「サンプリング」や「元ネタ」という手法や概念は世間に浸透していますが、ヒップホップが国内で広まりつつあったあの頃は、一部のブラックミュージック好きの間だけで広まっていた言葉でした。

【 M.C. Hammer – U Can’t Touch This】

レペゼン :
「サンプリング」という手法のどんな部分に面白みを感じられますか?

ジェーン・スー :
そもそもブロックパーティーがそういう成り立ちですが、潤沢に物を持ってるわけではない人たちが、今持ってるものを使って工夫して新しい物を作って、世間の「かっこいい」という定義を変えていくところが好きです。あとは純粋に「こういうところを切って繰り返し使ってるんだな」っていう音楽としての面白みに触れたのもこの頃ですね。

レペゼン :
なるほど。持たざる者がいかに持ってるカードだけで現状から這い上がるのか、という背景にもビビっとくるものがあったわけですね。

ヒップホップの音楽やカルチャーが国内に入って発展してきた様子をリアルタイムで経験したジェーン・スーさん。次回は、大学卒業後、さらに深く音楽業界に足を踏み入れていくエピソードに迫ります!お楽しみに。

プロフィール

  • ジェーン・スー

    ジェーン・スー

    コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』を始めTBSポッドキャスト『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』、『となりの雑談』のパーソナリティーも務める。『きれいになりたい気がしてきた』(光文社)、『へこたれてなんかいられない』(中央公論新社)、『介護未満の父に起きたこと』(新潮社)など著書多数。

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