SHUNSUKE:
まずは自己紹介から簡単にお願いします。
DaBook:
DaBookという名でDJしてます。地元は大阪の生野というところです。
20代半ばまでそんなに真剣に音楽と向き合ってなかった
SHUNSUKE:
そもそもDJを志したきっかけは何だったの?
DaBook:
20代半ばまで、特に夢だとか、音楽活動だとか、そういう事もなく実家で普通に暮らしながらバイトをする生活をしていました。当時、DJは趣味で、自分が聞きたい曲でミックスをして楽しんでた程度でしたね。振り返ってみると、やりたいこともない割と無気力な人間だったのかなって。ただ、このまま家にいるのは違うし、漠然と今のままじゃダメだなという気持ちは持ってました。就職とか大きなきっかけがあったわけじゃないんですけど、都会が好きなのでいつか東京に住みたいなっていう気持ちを持ってはいたので、家だけ決めてなんとなく上京してきました。
最初は当時、自由が丘にあったAcid Panda Cafeという場所で遊んでいました。そもそも、Acid Panda Cafeをどうやって知ったのかというと、当時、高野 政所(たかのまんどころ)さんがライムスターの宇多丸さんのラジオでバズってて、そこで話題に上がっていた事で知ったんですよね。高野 政所さんはHABANERO POSSEのGUNHEADさんと同じ「レオパルドン」って言うナードコアいうジャンルのグループの同じメンバーで、GUNHEADさんもAcid Panda Cafeにも出入りされてました。SEX山口さんも頻繁に出入りされてましたね。実際にお会いしてから、高野 政所さんやGUNHEADさんは東京に家探しに行ったときもお手伝いして下さいましたね。凄く大きな出会いだったと思います。
で、当時Ustreamという配信媒体で遊びでJ-Popのダンスミュージック的解釈のようなDJ配信を行ってたんですよ。そしたら、それがキッカケなのかどうかは分からないんですが、SEX山口さんとGUNHEADさん達が「ホームパーティをやるからおいでよ」って声をかけられて。そこでDJをしたのが人前での初めてのプレイでした。その後、SEX山口さんのAcid Panda CafeでのパーティでDJをした事がキャリアのスタートになるんだと思います。割とヌルっとしたスタートだったなって思ってますね。
それと同じタイミングでDJ SHIKISAIが新宿二丁目のArchというクラブでR&Bのパーティをやるからって声を掛けてくれて。月に1回レギュラーのような感じで声を掛けてくれて。彼もAcid Panda Cafeに出入りしてたっていうのもあるんですけど、コミュニケーションは取っていたので、そこに至るまで割とスムーズだったのかなと思います。
ケーブルテレビを通して多くのカルチャーと出会った
SHUNSUKE:
SHIKISAI君とは僕も仲良くしています、良いDJですよね。DaBookの音楽的知識のベースはどこで身に付けたの?
DaBook:
実家にケーブルテレビが入ってて、スペースシャワーTVやMTVを見る事が出来たんですね。洋楽だけじゃなく邦楽ロックを中心としたテレビ番組も見たりしてたので沢山知識をそこから得たのかな。ケーブルテレビは音楽だけじゃなく、その他の地上波で見られないようなカルチャーを紹介してくれたなって思います。ちょうど僕が中学生から高校生になるぐらいにDragon Ashとかが出てくるタイミングで、TMC ALL STARSやZEEBRAさんだったり、世の中に大きくフォーカスされるようになってきたんですけど、ケーブルテレビでもヒップホップに触れる機会が増えてきたんですよ。そこから日本語ラップやヒップホップに対して色々と紐解いていったんですね。そう考えるとラップミュージック的なものは日本語から入ってるのかなって思います。やっぱり当時のDragon Ashってそれくらいインパクトありましたよね。大阪でのバイト時代は実はTSUTAYAで働いてたので、ケーブルテレビで得た情報から「あ、このアーティスト知ってるわ。」みたいなのが点が線に繋がったり。CDレンタル担当だったので、当時働いてたお店のR&BのCDは福利厚生でほぼレンタルコンプリートしました。
こういう知識があった上で、東京にきてAcid Panda Cafeで遊んでましたけど、いろんなジャンルのパーティが行われてたんですよ。J-Popだけじゃなくて、音楽全然関係ないパーティもやってたし。そこで感じたのは「どのジャンルにもヤバいやつはいる。」って事でした。僕自身、ポジティブにそういうのは吸収できたのかなって思うんですよ。今R&BのDJを中心にやってるかもしれないですけど、ちょっと他の人とは違うタイプというか。亜種なのかな。そもそも、20代半ばまでそんなに真剣に音楽と向き合ってなかったというのもあって、割と謙虚に何でも吸収できたのかなって。20代半ばまで音楽と向き合ってないやつが「こうでしょ!」みたいなのを言い切る事なんてできないじゃないですか笑
大阪では音楽聞いてましたけど、東京にきたらその辺にいるギャルみたいな女の子が僕より曲知ってたりしたんで。東京っていう街の音楽偏差値の高さもあると思うんですけどね。
大阪での原体験があって、上京してからのAcid Panda Cafeでの体験はベースになってる部分があると思います。
![](https://heads-rep.com/wp-content/uploads/2019/02/P1010255.jpg)
R&BをDJプレイとしてちゃんとやらなきゃいけない
SHUNSUKE:
紆余曲折して今もDJとして最前線に立ってるけど、もう10年以上現場にいる事になります。続けていくに当たって、何か大きなターニングポイントってあったの?
DaBook:
いくつかあるんですけど、一つは仕事を辞めた事になるのかな。高校卒業して、大学にもいかずフラフラ生きてきた人間なので、いわゆる普通の仕事とかってあんまり得意じゃないなって思います笑
上京してからアパレルのPR会社で働いてもいたんですけど、会社員をしてる事でDJとしてのチャンスを逃してるなって思ってました。新しく出来るクラブのレジデントの話とかもお断りしてきましたし。自分ひとりがしっかり生きていけるように稼げたらいいやって考えて。そこから音楽に全振りですね。会社を辞めました。全部音楽に振った事でフットワークも軽くなったし色々仕事も増えました。一番感じた事は「現状自分にとって一番お金を稼げる能力がDJなんだ。」ってことです。
もう一つは本気でR&BをDJプレイとしてやらなきゃいけないって思ったときですかね。
僕R&B、歌ものからキャリアスタートはしてるんですけど実はあまり2010年代のR&Bはあんまり好きじゃないんですよ。2000年代も90年代も好きなんですけど、どうも2010年代はガチャガチャしてるように聞こえちゃって。そんな2010年代当時、すぐ近くにHABANERO POSSEという強い先輩が近くにいたので同じ現場もやってるし、どんどんベースミュージックを取り込むようになるんです。当時はHABANERO POSSEと同じ系譜って事で声を掛けられたパーティも多かったんじゃないかな。ただ、やっぱり同じベースミュージックでも自分の好きな歌モノに寄ったプレイをするようになります。ラウンジDJのようなプレイも大事にしつつ、SoulectionのSound Museum Visionでやっていたパーティとかにも出てて。で、そのパーティでは、結構重たいビートでもみんな踊ってたんですよ。抽象的な表現ですけどSoulectionマナーというか。トラップソウルのような、R&Bだけどビートは結構重たい、みたいな。その時に直感的に思ったのは「これだけ重たいビートでみんな踊れるのならみんなR&Bをちゃんとやってあげても踊れるんじゃないのかな?」って感じたんです。そんなタイミングでElla Maiが出てきたり、メジャーにはBruno Marsがいたり、国内でも向井太一君やSIRUP君が出てきたりもして。ふと「今、ちゃんと誰かがR&BをDJプレイとしてやらないといけない。」って思ったんですよね。あまりにもヒップホップが流行りすぎて、自分の周りではR&Bをやりたいけど、場所がないからヒップホップの現場に出てるって子もいたし。そんな状態でいいのだろうか?って思ったし、歌をお客さんが全力で楽しめてDJもしっかり提示できる、そんな場所も作らないといけないなって感じたんですよね。これは誰かが旗を振らないと、引っ張らないといけないと思ってから、アプローチを変えていきました。これは大きな分岐点だったように思います。
この時期を経て、R&BのDJっていう見方をされるようになったのかなって思うんですけど、とにかく色々やりましたね。今もやってるんですけど2018年ぐらいから継ぎ足し継ぎ足しのプレイリストをやってSNSで提示しまくったり、BLOCK FMとかで番組を持たせてもらったり。やって意味のない事は無いと思って動きましたね。その頃、同じ時期に渋谷HARLEMさんからTHE MIXという企画にお誘いを受けたんです。若手からベテランまで多くの方がDJ MIXを提供する企画だったんですけど、割とその時の現行のヒップホップ、クラブプレイを提示してる方が多かったんです。なので僕はずっと聴ける現行とオールドスクールはブート物のR&B DJというスタイルでやったんです。それが、かなりの回数再生されたみたいで。そこからHARLEMさんで色々パーティをさせてもらったり。コロナになってABEMA MIXに出るキッカケをいただいたり。
R&BをDJプレイとしてちゃんとやらなきゃいけないって思わなかったら、今のようにはなってなかったのかなって思ったりもしますね。
プロフィール
-
2011年より東京にてDJ活動を開始。都内の主要クラブをベースとして活動する、現在のTOKYO音楽シーンを牽引。 日本全国のみならずアジア圏の国々のパーティーにもゲストDJとして招かれるなど、近年その活動の場は海外にまで広がっている。海外ブランドのレセプションパーティや、来日アーティストのサポートアクトなどにも出演。R&BをメインにHIP HOP、HOUSE各種BASS MUSICなど、ジャンルに捉われない柔軟でグルーヴィーなプレイスタイルには定評があり、その音楽通をも唸らせる選曲は、オーディエンスのみならず業界関係者からも高い評価を得ている。 2015年にはULTRA JAPAN、2019年にはSUMMER SONICにも出演。 2020年にはManhattan Recordsから自身初のオフィシャルMIX音源として『re:proposal - Manhattan Records R&B Grooves- (mixed by DaBook)』をリリース。 2022年にはAbeam TV『ABEMAMix』にて『ABEMAMIX Award2022 Silver Prize賞』を受賞や、club HarlemにてDJ KOMORIらがResident DJを務める老舗R&Bパーティー『Apple Pie』の20周年目の新Resident DJと迎え入れられるなど現行R&B DJとしての評価や期待を各所から受けている。現在はシンガーJASMINE、TAIL(ex 向井太一)、RUNG HYANGのLIVEサポートDJなども務めている。