パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回はクラブDJ、エディター、DJ講師など多岐にわたり大活躍するDJ SLYさんの前編です!
SHUNSUKE:
自己紹介をお願いします。
SLY:
DJ SLYです。神奈川県川崎市の36歳です。DJ歴が18年になります。
親戚がくれたMDプレイヤーで音楽の楽しさを知る
SHUNSUKE:
記憶の中で最も古い音楽体験って覚えてますか?
SLY:
古い音楽体験…これが音楽か、という認識をハッキリしたのは小学生の低学年くらいですね。親戚がMDプレーヤーを買ってくれて、MDを作ってくれたんですよ。それを聞く事が「なんか楽しい」ってなった事を覚えてます。音楽を聞く事が習慣になった体験ですかね。
SHUNSUKE:
どんな曲が入ってたの?
SLY:
ほぼ洋楽でした。思い返せば結構いろいろ入ってましたね。ほとんど洋楽でした。Janet Jacksonとか、BackstreetBoysとかのポップスから、OutkastのMs. Jacksonとか。Around The WayのReally Into Youとかも入ってましたね。
↑存在を知らない読者もいるであろう90年代の音楽ライフに革命を起こしたMD(ミニディスク)
映画の挿入歌に強いインパクトを受ける
SHUNSUKE:
衝撃を受けた楽曲とかってありますか?
SLY:
実は僕、映画から音楽に興味を持った人なんです。 ちっちゃい頃から洋画を親に見せられて育てられたんで、その挿入歌とかは意識せず自然に聞いてました。洋画ばかりなので基本的に耳に入ってくるのは洋楽が中心だった中で、凄く印象に残った曲はMadonnaの「La Isla Bonita」でしたね。Deep Blue Sea(※1)っていう巨大サメの映画があるんですよ。当時、映画館でそれを観てた時にその曲が流れるシーンがあって。凄く良いなってすぐ好きになったんです。当時、映画のサウンドトラックとかを買う趣味があったので「DEEP BLUE SEA」のサントラもすぐ買いに行ったんですけど、なんとサントラにはその曲が入ってなかったんです。
↑DEEP BLUE SEAサウンドトラックCD
SHUNSUKE:
サントラ買ったんだ、凄い。
SLY:
はい、楽しみにしてたのに入ってない事が分かって結構落ち込んだんですけど、とりあえず探そうってなりましたね。とは言え、知識もないし、闇雲に探すしかなくて。当然簡単には見つからなかったんですけど、しばらくしてから親がMadonnnaの「TRUE BLUE」っていうアルバムを持ってて、何の気なしに家で聞いたらなんと収録されてたんですよ笑 あれだけ探したのに見つからなかったのに家にあった事にビックリしました。
この「曲を探す」っていう経験から、曲を調べる癖がついたというか。音楽を探す事は楽しいって思うようになりました。今考えてみると当時からDJと同じような事してたな、って。
ヒップホップを初めてしっかりと聞いたのは「8mile」ですかね。Eminemの「Lose Yourself」は勿論カッコいいんですけど、Mobb Deepの「Shook Ones Pt.Ⅱ」が衝撃的でした。そこからヒップホップにハマっていった感じですね。結構この曲のインパクトは大きかったかなと。
SHUNSUKE:
実は自分もDeep Blue Seaは特別好きな映画です。サメ映画ファンのみならず、ヒップホップファンも「!」というキャスティングがあるので普通に楽しめる映画だよね。
↑8 Mile Soundtrack。多くのラッパー、DJに影響を与えた映画
怪我でスポーツを断念した後、DJの道へ
SHUNSUKE:
DJを始めるにあたってのきっかけみたいなものって何かあったんですか?
SLY:
高校生の頃、バスケをやってたんですけど怪我をして辞めちゃったんです。それなりに一生懸命やってたんで、いざバスケが出来なくなると燃え尽き症候群みたいな状態になりました。仲間たちを見てみると、バンドを組んでたり、楽器弾いたり歌を歌ったりしてて。周りがそういう環境だったし自分も音楽やりたいとは思ってたんですけど楽器も歌も出来ない。そんな時、当時のバイト先の牛角の店長が元々DJをしていたという話を聞いたんです。直感的に「コレは良いかも!」って思いました。すぐにDJをする為には何が必要なのかを教えてもらって、バイトを頑張ってターンテーブルとミキサーを買いました。その時既にレコードは集めてたりしてたのですぐDJのスタートは出来ましたね。
↑このようなターンテーブルセットを購入してDJを始める人が殆どでした。コントローラーなどはない時代のお話しです。
SHUNSUKE:
レコード買ってたんだ。どんなのを買ってたの?
SLY:
レコード盤にしか入っていないようなRemixとかを主に集めてましたね。CDには収録されないバージョンも多かったじゃないですか、そういうのを買ったりしてました。ターンテーブルは持ってなかったけどレコードプレイヤーは持ってたのでレコードで音楽を聞く事にはDJを始める段階で慣れてたのかもしれないです。
SHUNSUKE:
なるほど。世代的にはレコードでDJをするのが主流だった、本当に最後の世代ってとこなのかもしれないですね。
SLY:
そうかもしれないです。今はサブスクが当たり前なので、レコードを買う人って珍しいかもしれないですけど、まだ当時はレコードを買う事って普通だったというか、当たり前の事というか。そこでDJの存在を知って、強く「やってみたい」と思ったんですよね。音楽がデータ化されて出回るようになるもっと前の話ですね。
同級生達との繋がりからクラブでDJをするようになる。
SHUNSUKE:
どうやってクラブでDJをするようになったの?
SLY:
高校生の最後の頃、学校は違う同い年の友達が地元のバーを貸し切って卒業パーティやる事になった時に、「DJやってみない?」って声を掛けられたのが人前でプレイした最初の機会ですかね。そのパーティに声を掛けてくれた友人とはその後も繋がっていたので、横浜だったり、色々な場所でイベントのようなことをしてて。その都度DJをしにいってました。そうこうしてるうちに、少しずつ仲間が増えていった感じです。DJの友達から声を掛けてもらったり、イベンターさんと繋がったりして、気が付いたら割と自然にクラブでDJをするようになってました。
↑2010年当時、DJ TAKAという名前で活動をしていたSLY氏。私SHUNSUKEの名前もあります。
色々活動していくうちに、渋谷でDJするようになっていきます。渋谷では今も繋がってる人達とも沢山出会いました。SHUNSUKEさんと最初に出会ったのも渋谷でしたしね。色々大変な思いもしましたけどまだ若かった自分には刺激的でした。その後、六本木、西麻布と活動の拠点を変えて、相手にするお客さんも変わってきましたけど、若い頃の渋谷での活動っていうのは今の自分の大きなベースになってるんだろうなって思います。
(※1)1999年公開、Thomas JaneやLL COOL Jの好演が光るサメ映画の金字塔。Samuel L. Jacksonが絶命するシーンはファンの間で語り継がれる伝説とも言える。
プロフィール
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新旧問わずHIP HOP、DANCE MUSICからDANCE CLASSICなどジャンルレスなOPEN FORMATスタイルで都内屈指の大箱でのメインストリームなDJや、レストラン・DJ BARでのラウンジセットを得意とする。過去にferia Tokyo, a-life, MUSEなどインターナショナルなクラブでのレギュラーDJを経験し、現在は銀座のZouk Tokyoの木曜日のレギュラーDJを務め、渋谷VIZEL NIGHT CLUBでも活躍している。2024年にDJ SLYに改名し、制作面にも力を注ぎDJ御用達の音楽サイトHEADLINER MUSIC CLUBに自身のEDITが掲載されている。MIYASHITA PARKのレストラン「NEW LIGHT」天王洲アイル「RIDE」などのサウンドプロデュースも務める。2021年開催された東京オリンピック「TOKYO 2020」ではカヌー・スラローム競技のコンペティションDJを担当。2020年よりDJスクール「NEXTYLE DJ SCHOOL」を立ち上げ現在も運営している。