仙台からHIPHOPスターが生まれたら最高ですね

仙台でクラブDJ、そしてビートメーカーとして活躍するDJ MARZのキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、この仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回は仙台でクラブDJ、そしてビートメーカーとして活躍するDJ MARZさんにお話を伺います!

DJ SHUNSUKE:
まずは自己紹介をお願いします。

DJ MARZ:
DJ MARZです。DJを30年、ビートメイカーを15年やっています。

『聖闘士星矢』の主題歌「ペガサス幻想」を夢中で録音した幼少期

DJ SHUNSUKE:
記憶の中で、最も古い音楽体験、覚えている曲ってなんですか?

DJ MARZ:
小学生の頃はアニメをよく見ていて、家にあるラジカセをテレビの前に置き、『聖闘士星矢』の主題歌「ペガサス幻想」を夢中で録音していました。録音中に両親の声が入ってしまい、今週こそは完全盤を作るぞとスタンバイしてたのが懐かしいです。当時は今みたいに簡単に音源が手に入る時代じゃなかったので、テレビから流れる曲をどうしても残しておきたかったんです。あの頃の小学生は、みんな同じようなことをしていたんじゃないかなと思います。

DJ SHUNSUKE:
僕もやってました笑
全然小さな音でしか録音できてなかったりしましたけどそれでも当時のでっかいウォークマンみたいなので聞いたり車で聞いたりするためにせっせと準備してた記憶があります。毎週土曜にやってましたよね?

DJ MARZ:
そうですね!『聖闘士星矢』は土曜19:0019:30の放送で、18:59にはラジカセをテレビの前にセットしてました。蟹座のデスマスク の名言「正義と悪の定義など時の流れによって変わってしまうものだ。 それは過去の幾多の歴史が証明している。」が好きです。

NASの『It Was Written』に強い衝撃を受ける

DJ SHUNSUKE:
原体験がアニメの曲っていうのはちょっと意外で驚きました!では、洋楽・邦楽問わず、衝撃を受けた楽曲を教えてください。

DJ MARZ:
NASの『It Was Written』です。

DJ SHUNSUKE:
名曲ですね!

DJ MARZ:
中二病が全開だった僕は映画『レオン』のラストシーンで流れる「Shape of My Heart」が大好きで、音楽と映像が重なる瞬間に心を揺さぶられていました。ある日、友達の家でNASの当時の新譜『It Was Written』が流れて、「これレオンじゃん!」と気づいたときの衝撃は今でも忘れません。その初期衝動から、バイト代をすべてレコードに注ぎ込む日々が始まりました

DJ SHUNSUKE:
なるほど、つまりDJを始めるに当たってのきっかけにもなったと言う事ですか?

DJ MARZ:
そうなりますね。その時既に周りの友達がDJを始めていて僕もNASを知ってからは機材を買う為にレコードを集めながら日々お金を貯めていました。でもまだ若かった自分に機材代20万円は大金過ぎたんです。当時の僕はパチンコ屋の『モーニング』というシステムを知り、朝から当たっているサービス台の抽選を受けてから学校に行く、というパチンカスなルーティンを作り上げていました。1996年のある朝、伝説の名機CRフィーバークィーンIIが僕をDJの世界へと導き、その足で『Technics mk3』を2台買いに行く事に成功し、今に至らせて貰っています。

DJ SHUNSUKE:
フィーバークィーンIIがなければDJになれなかったかもしれないって事なんですね笑
自分の思っているMARZ君のイメージと違って驚いています笑

キャリアを重ねる中で役割も変わっていくはず

DJ SHUNSUKE:
30年という長いキャリアを重ねられてきましたが、これまでにDJを辞めようと思ったことはありますか?30年って今までインタビューさせていただいた中で最長のキャリアになると思います。

DJ MARZ:
辞めようと思ったことは30年の間に一度もありません。ただ、いずれは「仕事としてのDJ」には区切りをつけるタイミングが来ると思っています。音楽そのものから離れるつもりはないけれど、キャリアを重ねる中で役割も変わっていくはずです。

DJ SHUNSUKE:
辞めようと思ったことはないとの事ですが、音楽に集中をする環境作りって簡単ではないと思います。どうやってその環境を作っていったのですか?

DJ MARZ:
僕は周りの環境、人に恵まれていました。それに尽きます。僕らの世代はDJが一番花開くのは30代だったと思いますが、そのタイミングで僕のボスであり、HAIGHT BRANDというアパレルを全国に展開する大地さんが音楽に集中できる環境を与えてくれました。このサポートなしでは音楽に集中できる生活は送れませんでしたし、今の自分は絶対にいません。そういうサポートって、なかなかできることではないと思います。だからこそ、僕が先輩にしてもらった事を次の世代に繋げる形で音楽に関わっていきたいと考えています。

キャリアにおけるターニングポイントは3つ

DJ SHUNSUKE:
DJキャリアにおいて、ご自身にとってのターニングポイントなどあれば教えてください。

DJ MARZ:
ターニングポイントは3つあります。ひとつ目は、20代でレコード会社と契約したこと。夢が形になり、音楽を職業として意識するようになった瞬間でした。そして、グループの解散。大きな挫折でしたが、「自分はそれでも音楽をやるのか?」と問い直すきっかけになり、覚悟を決めることができました。ふたつ目は、30代でニューヨークに通いながらDJ修行をしたこと。現場の空気、クラブカルチャーの本場に触れたことで、自分のスタイルを確立することができました。そして40代。10代の頃に皿洗いのバイトをしながら夢中で聴いていたNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDに、自分のビートを提供できたこと。これは過去の自分への最高の答えであり、音楽を続けてきて本当に良かったと心から思える出来事でした。

DJ SHUNSUKE:
NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDへのビート提供の件はリアルタイムでお伺いできたお話しだったと思います。僕たちの世代のスーパースターですし、誰でもビート提供できるようなアーティストではないですから、本当に活動してきたことへの答えと言えるんじゃないでしょうか。凄い事だと思います。頻繁にDJの修行のためにニューヨークにも通われていたそうですが、今、国内のBKSDというDJのクルーにも所属されてますよね?どのようなクルーなんでしょうか?どんなきっかけで活動を共にすることになったのですか?

DJ MARZ:
きっかけは僕がニューヨークにあるLaffayetteのBACK YARD PARTYでDJしてる時でした。ASAP FERGのPLAIN JANEのプロデューサーのKIRK KNIGHTやFATFINGAZもDJしていたパーティーで今やJ’s vendorが大バズり中のDJ JUSTY君が僕のプレイを聞いていてくれたみたいでチームに誘ってくれました。その当時はフッド(日本でいう黒人街?ゲトー?)のパーティーばかりに行っていたのでフッドさながらのプレイをしてたんです、JUSTY君は僕以上にNYCを愛しているのでその時のプレイ内容が日本人のDJだと思わなかったみたいでその瞬間に興味を持ってくれたみたいで嬉しかったです。帰国後、東京にDJで行くタイミングでいつも連絡くれたり彼はマジでナイスガイです。BKSDはNYC、北海道、仙台、東京、大阪、名古屋にメンバーいて、僕の感覚で伝わりづらいんですがみんなDJとして”何か”を持ってるDJで全員の事を尊敬しています。

仲間たちと語り合った時間が原点

DJ SHUNSUKE:
これまでのキャリアの中で、最も印象深い出来事を聞かせてください。

DJ MARZ:
毎晩のように音楽仲間たちと集まり、夢中で音楽談義をしていた時間が一番印象に残っています。先の見えない夢を語り合い、根拠のない自分の中の可能性を信じて、「為すべきと感じたことに力を尽くせばいい」とただそれだけを信じて走っていました。振り返ると、その時間こそが自分を支えてくれた原点であり、そんな人生を歩んでこられたことが本当に幸せだと感じています。とはいえ先日も友人の新居でCHAGE&ASKAを聴きながら朝まで飲んでたので今もあまり変わりません笑

DJ SHUNSUKE:
自分もずっと突っ走ってきたのであまり振り返る事がなかったんですが、仰っている事良く分かります。あの時間っていうのは凄く貴重でしたし、でもそこで思ったこと、感じた事って今もはっきり覚えてます。自分が続けられている原動力の一つですよね。

仙台からHIPHOPスターが生まれたら最高

DJ SHUNSUKE:
今自分が力を入れている事、未来へのビジョンがあれば教えてください。

DJ MARZ:
冒険が好きなので、ここ数年はVintage Buyerとして世界中を回りながら、各地のDJを見て回って現地の人たちに僕のビートを聴かせたりしてリンクしています。今後は自分をここまで導いてくれたカルチャーを、次の世代に繋げていくことがこれからの役割だと考えています。自分がそうしてもらったように、若い世代が音楽に集中できる環境を少しでも整えていきたい。そしてそれが良い循環になって、仙台からHIPHOPスターが生まれたら最高ですね

DJ SHUNSUKE:
今後地元仙台のクラブシーンに入ってくるであろう、若い人達にアドバイスがあれば一言お願いします。

DJ MARZ:
『死んだらあかん、人生は冒険だ、死ぬ事以外はかすり傷』

以上です、ありがとうございました!

プロフィール

  • DJ MARZ

    DJ MARZ

    TEAM “ BKSD” 1996年よりDJとしてのキャリアをスタート。 日本有数の都市である仙台を中心に活動を開始すると県外へのゲスト出演も多数経験、渋谷Vuenosを中心とした東京都内でもレギュラー出演するなど、その活動は多岐にわたる。繊細さを兼ね備えたハングリーなプレイスタイルが特徴な彼は、度々ニューヨークにも足を運び、現地でもナイトクラブからルーフトップパーティーまでDJが必要とされる場所でプレイを重ね、海外での経験を元にしたMIX CDシリーズ「How We Do」シリーズも展開し、 累計1万枚超えのセールスを記録している。DJとしてだけでなくビートメイカーとしても活動する彼はNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのシングル、“Choose One”のプロデューサーに抜擢されるなど、クラブに足を運ぶクラウドだけでなく関係者からも熱い視線を浴び続ける。

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