SHUNSUKE:
まずは自己紹介からお願いします。
SHIGEKI:
DJ SHIGEKIです。年齢が34で今年35です。出身は神奈川県大和です。
中学生まではJ-POPを聞いていた
SHUNSUKE:
今や毎晩のように現場を沸かせるDJなわけだけど、ヒップホップやDJの活動をするにあたって衝撃を受けた楽曲ってある?
SHIGEKI:
凄く印象に残ってるのはT.I.のアルバム”Urban Legend”ですね。そこで”Bring Em Out”と出会うんですけど物凄く単純にカッコイイって思いました。中学生の時ですね。それまでJ-POPを聞く事が多かった人間なんですけど「洋楽ってカッケー!」って。そこからどんどん入り込んでいった感じです。初めて買ったレコードもT.I.のWhat You Knowですね。ターンテーブル持ってないのにレコード買いました笑
あとは、 DisclosureのLatchですね。麻布十番にあったVillageというクラブで初めて聞いたんですけどDJのHOKUTOさんがプレイしてて、オシャレ過ぎて驚きました笑 すぐShazamして笑
SHUNSUKE:
DJを始めるキッカケはなんだったの??
SHIGEKI:
元々クラブが好きで、若い頃から六本木や渋谷へ先輩に連れて行ってもらってました。なのでDJの存在は元々知ってたしカッコイイとは思ってたんですけど、機材とかは持ってないのでDJを自分がするとかは現実的ではないままただ遊んでたんです。ある時、バイトしていた中華料理屋の店長が「誕生日プレゼントにターテンテーブル一式を貰った。」って言ってたんですよ。DJに興味はずっと持っていたのでお願いしてそれを売ってもらったことがDJとしての始まりだと思います。7万円だったかな。
SHUNSUKE:
クラブで実際にDJするまでの道のりは長かった?
SHIGEKI:
いえ!元々クラブに遊びに行ってたのもあってクラブでのDJデビューみたいなのも割とスムーズでした。初めてDJしたのは渋谷のVUENOSとGLADが連動しているパーティでしたね。急遽出てくれって言われていざ出演してみたらラストパートだったっていうのを覚えてます。
DJ SHINTAROさんとの出会いは本当に大きかった
SHUNSUKE:
アーリータイムから下積みをする人が多い中、それはスムーズなデビューかもしれないね!じゃあ、実際将来DJでやって行くと決めたタイミングはどんな時だったの?
SHIGEKI:
クラブでDJをするようになったころ、同年代の友達と「将来どうする?」なんて言う話をしてました。若いと言っても将来を現実的に考える年齢だったし、料理の道に進むって奴もいればサーファーになるって言いだした奴もいたり。僕はというと、音楽好きだし、単純にクラブが好きだったっていうのもあって初めて「DJでやって行こうと思う」って口にしたのが20歳くらいですかね。実際に色々な出会いが重なった頃でした。六本木にあったFlowerというクラブでDJをするようになったんですが、そこに先輩のDJ SATORUさんという方が居て。SATORUさんから他のクラブでのパーティに声を掛けていただいたのは色々大きな転機だったなって思います。その時、六本木にあったEspritというクラブで自分の師であるDJ SHINTAROさんとしっかりと繋がります。SHINTAROさんから「渋谷のCamelotで若いDJを探してるんだけど、SHIGEKIのDJ良いと思うから一緒にやらない?」っていうオファーをいただいて。トントン拍子で進んでいったというか。その時にはもう、音楽でやっていくという決意は固まってましたね。
SHUNSUKE:
俺がSHIGEKIと繋がったのはその頃だね、Camelotの火曜日とかだったかな。
SHIGEKI:
そうかもしれないです。SHUNSUKEさんとは他のイベントでもチョイチョイ一緒でしたよね!今でも思う事があるんですけど、先輩方にはよく怒られなかったなって事が多いです。キャリア初期から潰されるような出来事って一度もなかったかもしれないです。本当に周りに恵まれてます。優しくて愛情あふれる先輩に囲まれて今までやってきたなって素直に思いますね。
SHUNSUKE:
自分自身のこれまでの中で最も大きなターニングポイントって何だと思う?
SHIGEKI:
さっきも話にでたんですけど、やっぱりDJ SHINTAROさんとの出会いは本当に大きかったです。色んな場所に帯同で連れて行ってもらいましたし、本当に多くの人を紹介してもらいました。仕事だけではなく、プライベートでも沢山一緒にいる時間を作ってもらって。家でSHINTAROさんとDJ HOKUTOさんがスクラッチしているのをひたすら横で眺めてたり。プロっていうのは、DJでご飯を食べれる人っていうのは、こういう人なんだっていうのを感じたのもやっぱりSHINTAROさんでした。僕自身はスタートした時から25までになんとか一本立ちをする明確な目標を立ててましたけど、SHINTAROさんとの出会いでプロになる、という目標を現実にするために自分なりに一生懸命やってきましたね。結果、気が付いたらまとまったお金をしっかり稼げるようになってました。
SHUNSUKE:
SHINTAROとの出会いが意識が変え、人生を変えた大きなわけだ。これ以上ないターニングポイントだったんだね。プレイスタイルとしてのベースにSHINTAROのDNAみたいなものもあるかもしれないって思う?
SHIGEKI:
そうですね。やっぱり自分の中のベースはSHINTAROさんのDNAは間違いなくあります。僕はSHINTAROさんのような凄いスクラッチとかは出来ないんですけど、FUJI TRILLさんに「スタイルは違うけど、なんかSHINTAROっぽい雰囲気を感じる」って言われたときはなんとなく嬉しかったですね。
業界に入ってくる若い子のチャレンジをサポートしたい
SHIGEKI:
もう一つのターニングポイントは最近ですかね。仲間とBEAT SPACEというサービスを立ち上げました。僕たちは今、ラッパーの人達が物凄く増えてるのにも関わらず、ビートの供給不足やエンジニアの数が足りていない状況が発生していると思ってます。どうやってビートを集めたら良いのか?レコーディングやマスタリング、ミキシングをすればいいのか分からないけど、チャレンジしたいって若い子は沢山いるので、そういう子達のサポートをしていきたいと思ってます。勿論無料では出来ないですけど、絶対に多くの人にとってプラスに転がるサービスだと思ってます。あと、ラッパーだけじゃなくてビートメーカーの人にとっても自分を世に出すチャンスだと捉えてもらえたらなと思ってます。今年の5月にローンチしたんですけど、おかげ様でご好評いただいてます。興味のある方には是非ご覧いただきたいですね!
音楽に携わる人がもっと増えていってほしい
SHUNSUKE:
最後に、これからのクラブ、DJのシーンに願う事ってありますか?
SHIGEKI:
日本人のDJが海外挑戦をする事が増えてると思うんです。そして、現地の人達の間でも高評価を受けてるっていう話を聞いたりします。日本から外に出てシーンどんどん技術を磨くっていう意思を持つ人がもっともっと増えたら良いなって思います。自分もまだ実行には移せていないんですが、具体的な動きを考えてます。日本は良くも悪くも島国なので、閉鎖的になりがちですけどもっともっと良い物を提供できるように色々な経験をアグレッシブに求める人が増えていくと良いなって。DJする場所についても、ちょっと前までは「クラブでやる事」が重要視されてましたよね。クラブにしか仕事が無い状態というか。けど環境としてはもっとDJを持ち込める場所、DJが輝ける場所ってあるとおもってるんですよね。レストランもそうだし、アパレルショップもそうだし。DJの生かし方を考えないといけない。今ってまだ決まったパイを取り合っているようにも思えるんですよね。どんどん環境を増やしていけるように一人一人が意識を持つと良いのかなって思います。
あとは、先ほども話したようなトラックや楽曲についての事ですね。もっと挑戦しやすい環境とかっていうのをきちんと向き合って考えていかないといけない。音楽に携わる人が増えれば、自然と環境は良くなると思います。そんな風に思ってます。
プロフィール
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2011年より都内を中心にDJ活動を開始する。 年間250本近くの現場でDJをこなし、音楽知識、スキルを武器に数々のイベントでフロアをロックして頭角を表した。その幅広い活躍でリスナーはもちろん、ベテランDJ達からも注目されている。 毎週末1000人近いお客さんを相手に確実にフロアをロックしている。プレイスタイルはHIPHOP,R&Bを軸にREGGAE,TRAP,HOUSE,EDMも織り交ぜGROOVEを意識した選曲は聴き応え充分である。2018年4月には横浜DeNAベイスターズファームOFFICIAL SOUND DJに抜擢。更にはG.G.Ujiharaの新曲Partyのサウンドプロデュースを担当。トラックメイカーとしての動きをスタートさせた。LDHの人気アーティスト「MABU」のオフィシャルDJとしても活動。精力的にTOUR,LIVEに帯同している他、DJ CITY PODCASTでのピックアップ等、DJとして注目を集めた。最近ではCalvin Klein、el conductorhなどアパレルのパーティでのDJや「SIB」名義で楽曲提供やプロデューサーとして活躍している。