「ニューヨークで感じた事が自分の中で本当に大きな指針になってる」DJ REVOLVER

世界的知名度を誇る1OAK TOKYOのレジデントDJ、DJ REVOLVERのキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第19回は世界的知名度を誇る1OAK TOKYOのレジデントDJ、DJ REVOLVERさんのキャリア、お送りします。

本当に軽いノリで最初はスタートした

SHUNSUKE:
まず、自己紹介をお願いします。

REVOLVER:
DJ REVOLVERです。出身が岐阜県の飛騨高山で、年齢は35です。

SHUNSUKE:
DJを志したきっかけって何だったの??

REVOLVER:
上京してきてから大学生のとき周りにDJをやってる友達がいて、その影響が大きかったです。最初は面白そうだなっていう本当に軽いノリで最初はスタートした感じです。

SHUNSUKE:
多分一番最初に話したのはエイジアP(現在のライブハウス渋谷RINGの場所にあったクラブ)とかだとよねきっと。REVOLVERと同い年くらいの子が結構出てたパーティだった気がする。

REVOLVER:
21とか20歳ぐらいじゃないですかね。学生時代の仲間の影響で現場に出始めたときかな。

後追いで全部勉強をしてきた

SHUNSUKE:
衝撃を受けた楽曲とかってあるの?

REVOLVER:
自分の地元には、ヒップホップを聞く友達がいなかったんで、最初はWhat’s upっていうコンピレーションとかからスタートしたのかなって思います。あれが一番わかりやすくヒットしている曲を伝えてくれた。「かっこいいな、ヒップホップって。」って思った記憶はあります。あとは映画の8milesとか。僕は周りの人のように「オヤジの影響で気が付いたら洋楽を聞いてて…」みたいなエピソードが全然ないんですよ。全部後追いで勉強をしてきました。
DJとして現場に出始めたころによくプレイしていたのはDJプレミア関連の楽曲とかが多かったです。早い時間ばっかりだったので、プレミアや古いカッコイイ楽曲中心のプレイをしてましたね。

SHUNSUKE:
出会った頃から真剣にDJをしてるんだなっていうのは伝わってきてたんだけど、本気でプロのDJとしてやっていこうって思ったのっていつ頃だったの?

REVOLVER:
今になって思い返してみると、やっぱり大学を卒業するタイミングくらいですかね。就活してる回りの友達見てて時代的にも凄く色々難しい時期だったし。せっかくだったら自分の好きな事で飯を食えたら良いなっていうスイッチ入ったのはその頃かな。ただ、親に大学まで進学させてもらったし、色々考えた事もありました。

SHUNSUKE:
今でこそ、世界にその名が轟くお店でレジデントDJをしたり、外タレと一緒に世界を回ったりしてるわけだけど、大学へ進学してプロDJになるっていうのは最初は中々言いにくかった?

REVOLVER:
話はきちんとしてきたつもりでした。25歳までに成功しなかったらダメというか、辞めなさいっていうような約束みたいに事はしてましたし。ただ実際のところはDJでご飯を食べれてるような雰囲気を家族には見せていましたが、25ではまだバイトをしてましたね。親は食えていない事を知ってか知らずかですが「いつまで続けるの?」「心配してるんだよ?」ってチクチク指摘はずっとしてたなって思い出します。それに風営法の改正までは本当にDJについて理解してもらうのに時間掛かったなとも思います。ただ、もう辞めようとかは一切思わなかったんですよ。自分自身に謎の自信がずっとあって。自分でもその自信がどこから来てるのか分からないんですけどね笑
これまでの人生の中で、唯一辞めずに続けているのがDJだなって。今までのキャリアの中でも色々ありましたけど、それでも曲げずに続けられたのはDJだけだし何があっても、何を言われても心が折れませんでした。

ニューヨークで感じた事が本当に自分の大きな指針

SHUNSUKE:
これまでのキャリアの中で、DJとして、飛躍のきっかけだったり感覚の変化だったりっていう大きなターニングポイントってあった?

REVOLVER:
25歳くらいの時に、ニューヨークへ遊びに行って、見た事、感じた事が今も自分の中で大きな経験だったなって思います。EDMが世間で流行ったりして何がカッコイイ事なのか良く分からなくなりそうな時期でしたけど、ニューヨークに行ったことで考えている事が整理されたというか、スッキリしたんですよ。凄く。自分の思っている方向性で間違っていなかったんだって確認出来た。レッドゾーン(※1)や外国人が多く集まるクラブでDJする時もズーっと同じ感覚、方向性でDJをしてきたし、今もしています。感性が多感な時期にそういういろんなものを感じて確認しに行けたっていうのはかなり大きかった。あの時にニューヨークで感じた事が本当に自分の大きな指針になってる。

SHUNSUKE:
これからの日本のシーンに対して願う事や思う事があれば聞かせてください。

REVOLVER:
日本のヒップホップシーンが大きな盛り上がりを見せてますけど、まだなんだか国内だけで盛り上がっているなって思うんです。これが世界のチャートを席巻するように変わって行ったらいいなって思ってます。シンプルに。完全に次のステップの話かもしれないんですけど、本当に一過性のブームで終わってほしくない。この盛り上がっている今だからこそ、世界に誇れるアーティストが出てくると大きく変わってくるんじゃないかなって思います。K-Popになぞるわけじゃないですが、その為にはきちんと国を挙げてのアーティスト支援とかも必要になるかもしれないですけどね。自分達の育ったこの国から世界に誇るヒップホップアーティストが出るっていうのは本当にうれしい事ですし。本当の意味で世界で活躍する日本人のヒップホップアーティストが生まれてほしいなって思っています。

※1 2001年~2019年まで渋谷HARLEMにて毎週火曜に開催されていたパーティ。DJ KOYAとDJ KANGOがレジデントを務め、世界基準のスタイルを18年間、追求し発信し続けた。
ヒップホップシーンのみならず、日本のクラブシーンにおいて重要な役割を果たしたパーティ。

プロフィール

  • DJ REVOLVER

    DJ REVOLVER

    岐阜県飛騨高山市出身。 2008年より都内でDJのキャリアをスタートさせる。 渋谷、六本木を中心に都内有数のCLUBで活動している。2017年には渋谷Club Harlem発信、世界水準のPARTY"RED ZONE"のRESIDENT DJに抜擢される。さらに2017年グランドオープンした"1oak Tokyo”にもRESIDENT DJとして抜擢される。Rihanna, Justin Bieberなど多くの有名アーティストやセレブ達が通う世界屈指のナイトクラブである。またCLUBの現場にとどまらずファッションブランドのパーティー、ラジオ、Abema TVなどにも出演する傍ら、LIL PUMP、KID INKと共にアジアツアーにもLive DJとして同行している。HIP HOPを軸にジャンルレスなプレイが得意であり、ジャンルの垣根を越え人々を魅了するスタイルには定評がある。 都内を中心に活動の幅を広げ、確実にそのキャリアをすすめているDJである。

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