パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
第十七回は海外に拠点を置きつつ日本国内でも大活躍するDJ RAMさんのキャリア、中編をお送りします。
東京へ活動の場を移してから
SHUNUSKE:
自分はDJ RAMっていう存在は知ってけど、東京に出てきてからの活動はどうだったの?
RAM:
最初はブルーマジックというイベントでした。CEO KAZU君がオーガナイズしていたパーティで、今も渋谷HARLEMで続いているとても長寿なパーティです。内容もかなり濃いパーティですね。DJ CHARIと一緒にオープンをやったりしてました。ブルーマジックやネバーブロークでは超大物のラッパーと共演したりする一方、六本木VanityではDJ KEKKEやDJ KENMAKIと一緒に月曜日で600人も700人も動員するパーティをしたり。二人とは東京で活動し始めた時期が同じだったし、同い年っていうこともあってすぐ打ち解けましたね。DJスタイルもヒップホップを主軸にしながらも海外のスタイルと言うか、オープンフォーマットスタイルみたいなのを楽しんでやれるようになった時期でもあったかなと思います。色んな人達が楽しむための選曲というか。
SHUNUSKE:
Vanityは懐かしい。一緒にHARLEMで単発のパーティに出たりしたのはこの頃なのか。
RAM:
渋谷での活動においてはDJ HAL君の存在は凄く大きかったです。昔から有名でしたけど、仲間から紹介してもらってから一緒に仕事をするようになって。渋谷だけじゃない東京全体のシーンだったりを見せてもらったり。しょっちゅう家にも遊びに行ってました、本当に色々教えてもらいましたね。横浜ではTAIJI君、東京ではCEO KAZU君、DJ HAL君。この三人は僕の人生の中でもかなり刺激をいただきました。ターニングポイントって言える出会いだったと思いますね。
あとはDJ NUCKEY君ですね。ニューヨークや世界を見せてもらいました。この経験って自分にとって凄く大きくて。行った先できちんと何かを掴んで帰ってくる姿っていうのも影響を受けましたね。海外で自分をアピールするときどうしたらいいのか、とかも。
ニューヨークでのNUCKEY君との思い出で面白い話があって。仲の良いDJ KAST ONEとKASTの奥さんとお昼から飲みに行ったんですけど、KASTが「俺はお酒飲まないで運転するから、お前ら飲めよ!」って言ってドライバーしてくれたんですよ。その時点で結構凄い話ではあるとおもうんですけどね笑
実際本当にKASTの運転でワイン畑を沢山回って奥さんと僕らだけベロベロになったっていう事がありましたね笑
DJという仕事の可能性
SHUNUSKE:
凄い話だね笑
RAMはそのニューヨークでは何かを感じたり掴んだりして帰ってきたの?
RAM:
当時、日本のDJはみんな昼間別の仕事をしてて、本当にDJで稼げている人って売れている本当に一部の人間だけだったと思うんですよ。それに比べると、ニューヨークのDJって昼間もどこかしらでDJしてる人が多いっていう印象を受けて。ラジオだったり、スポーツチームの専属DJだったり、レストランだったり。それを見て漠然と「昼間もDJをして稼げる文化を作りたい」って思ったんです。DJという仕事の可能性については前々からもっと広げられると思っていましたが、ニューヨークでそういう絵を見て、実現したいなってしっかり考えるようになりましたね。昼にDJをするといっても本当、色々な方法があったと思うんですが、直感的にスポーツでそんなことがやれたらいいなってイメージしてたんですよ、そしたらDJ TAIJI君からの紹介で横浜ベイスターズのDJを務める事になりました。「もう一人DJを探してるけどやってみないか?」って声を掛けてもらったのは本気で昼のDJについて考えだして1年くらいたった頃だったかな。面白いタイミングでオファーが来たっていう感じです。
SHUNSUKE:
凄い。じゃあそのタイミングでクラブDJと昼間のベイスターズのDJという二足の草鞋を履く事になったんだね。
RAM:
安易に考えていた事は一切ありませんでしたけど、最初はやっぱり大変でした。プレイボールの5時間前に球場入り、数回のミーティングを経てプレイボール2時間前からDJもスタートです。開門から閉門迄の全ての音楽に関わる作業を担当していたのでそれはそれはハードでした。細かな音源は自分で作成したりもしたし。週末は本当に寝る間もなく夜クラブDJ、昼はベイスターズのDJっていう生活が当たり前でした。キャンプや地方ゲームとかも全部ついてまわっていましたね。もう球団職員みたいでしたね笑
ある時、他球団は数人のDJで回してるっていう話を聞いて「なんでうちは一人なんですか!?」って聞いたこともありましたね笑
SHUNSUKE:
外から見ててそこまで分からない部分もあったけれど、ハードワークなんてもんじゃない毎日だったんだ。忙しいだろうなって分かってたけど、それでもクラブを大事にDJを続けてる姿を見て結構感動したのを覚えてるよ、当時口に出して言ったりはしなかったけど。
RAM:
そこなんですよ。僕達はどこから来たのかって事です。そもそもクラブDJなんですよね。クラブでのDJを、音楽を一番大事にしている人間なんです。僕にとってクラブを捨てる事は許される事じゃないって思ってます。僕はクラブありきのDJであり、クラブがあるからこそ今現在もスポーツの現場でDJが出来るって考えてます。いかにクラブに還元するか。ひと昔前までナイトクラブの印象って操作されて悪い場所のように見えたかもしれないけれど、一切そういう事はなくて「楽しい場所なんだよ」と言う事をオープンに出していきたい。スポーツの現場でもDJをしている自分だからできる事のひとつじゃないかなって。
SHUNSUKE:
音楽の知識の根本や空気の感じ取り方とかは全てクラブから学んだことが多いってことだ。スポーツの現場とクラブでは何が一番違う??
RAM:
今、FC東京のサッカーもやらせていただいてるんですが、キックオフ10分前位までずっとDJをしてます。サポーターの空気をいかに盛り上げていけるかが大切なので、色々な曲を掛けますね。勿論J-POPも。あとはクラブ毎にプレイする曲は意識します。例えばベイスターズの時はJ-POPでは横浜出身のアーティストの曲以外はプレイしないです。FC東京の時は東京出身のアーティストしかプレイしないです。やっぱりクラブやチームっていうのは自分の地元をすごく大切にするので。洋楽に関しても色々プレイはするんですが、試合が始まる時間が近づくにつれて、リリックが分からなくても闘争心を掻き立てるような曲で構成していったり。こういうのはやっぱりクラブとかとは全然違ったりすると思います。こういう経験を踏まえた上で東京オリンピックの野球とソフトボールを担当させてもらいました。競技によっては全てプロデューサーが選曲を決める事も少なくないそうなんですが、僕は全ての音楽を任せてもらえましたね。各国の地域に合わせた選曲を強く意識してプレイしたんですけど、良い評価をしてくれて。野球もソフトボールも1試合3時間くらいのゲームを毎日3試合担当しました、朝の7時から夜の10時まで。中々ハードでしたね笑
SHUNSUKE君も知ってるグレッグ(トロントブルージェイズのスポーツエンタメ演出家。東京オリンピックでは野球と車いすバスケを担当。)とは喧嘩しながら話し合いをして笑
SHUNSUKE:
読者の中には僕の事をインタビュアーとかライターだと思ってる人もいるかもしれないのでちょっと言っておくと、東京オリンピック・パラリンピックでレスリングと車いすバスケでDJを担当しました。グレッグとは車いすバスケで一緒に仕事をしたんだけど「お前RAMって知ってるか?あいつは分かってる。」みたいなことを初見で言われたのをよく覚えてる。スゲーってなったね笑
RAM:
さっきも言ったんですけど、ベイスターズやFC東京のDJとして昼は活動して、夜はクラブDJとして動くのは中々大変なこともあるんですがやっぱり僕はクラブから出てきた人間です。クラブ以外の場所で露出が増えて認識してくれる人が増えたのなら、その人達にクラブの楽しさを教えたい。この部分だけはずっとブレることなく意識し続けていきたいですね。
プロフィール
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2001年よりCLUB DJとして始動。 数々のCLUB、PARTY、BAR等でDJをこなし、HIPHOPを軸にALL GENREな幅広い選曲とこだわり抜かれたミックスやスクラッチができるDJ。 2008年には、若くして誰もが知る横浜の老店CLUB LOGOSの週末看板PARTYの RESIDENT DJに大抜擢され頭角を現し始める。 その後、拠点を東京に移し都内各CLUBのレギュラーや日本各地でGUEST DJとして招かれる。 2018年には、数々の活躍が認められDENON DJ、DJCITY JAPANとパートナーシップを 結ぶ。 2021年には、Tokyo 2020 Olympicsにて野球、ソフトボールの横浜ラウンド全試合の DJを担当し、金メダル獲得の後押しに貢献した。 2022年よりFC東京のホームナイトゲームでパフォーマンスを開始。また、ラジオステーションInterFMにゲスト出演やWREP RADIOに開局時にレギュラー出演など、まさにオールラウンドプレイヤーなDJとして定評を受けている。