DJ NATT|カルチャー・キャリア・リサーチ 後編

31歳で脱サラして単身渡米。ツテなし金なし、あるのはバイブスだけ。そんなDJ NATTのサバイバル術とは!?

ライター:Lee

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第四回は、本場ニューヨークに渡米した経験を持つDJ NATTさんのキャリアについてお送りします!前編に続き、今回は後編をお送りします。引き続きDJ SHUNSUKEがインタビューを行ってきました。

運が運を呼んだ、ニューヨークサバイバル時代

SHUNSUKE:
ニューヨークにはいつ頃行ったんでしたっけ?

NATT:
2015年の1月ですね。5年くらいいました。何もかもが衝撃的で、ニューヨークでDJ観も人間観もすごく変わりましたね。

SHUNSUKE:
もうサバイブせざるを得ない状況だったんじゃないですか?

NATT:
行った年齢も年齢だったんで。でも逆に31歳で行ってほんとよかったと思います。やっぱり日本である程度経験を積んで曲の知識もあったし、若かったら目を向けられないようなことも体験できました。最初の3ヶ月間は毎日クラブに行って、白人は何が好きなのか、黒人は何が好きなのかをとにかくリサーチしまくりました。オートシャザムで毎回曲を全部拾って、盛り上がった曲は全部クレートを作って。そういうのはたぶん若かったらできなかったと思うんです。そこまで頭が働かなかっただろうし、何が何でもみたいな気持ちもあったので。客層によってかけるべき曲を、3ヶ月ぐらいですべて叩き込みました。

あとはもう実践ですね。リクエストは絶対聞いて、かけてみて駄目なのは外したり、逆にめちゃめちゃ盛り上がった曲は1軍にしたり。もともと曲のデータベースは持ってたので、何がニューヨークで流行ってるのか、データをどんどん溜めていきました。

SHUNSUKE:
僕はNATTがニューヨークに行くって聞いた時に、すげえ羨ましいなと思った記憶があります。絶対的なポリシーを持ってるDJたちがかっこいいと思う曲のベースは、やっぱりニューヨークにあって。行かなきゃわかんねえよって2〜3年の間に行きまくった結果、やっぱり楽しくて住みたいと思ったけど、結婚も控えてたしもう間に合わなかったんです。

でも向こうで実際に生活するのは家賃も高いし、とてつもなく大変だと思います。日本から何もツテがない状態でニューヨークに行って、どうやってDJとして活躍できるようになったのか、すごく興味があります。

NATT:
僕は結構運がよかったんですよね。3ヶ月目でDJを始められて、4ヶ月目で帯が1本決まりました。最初の3ヶ月のクラブに行きまくってる時期に、今もニューヨークで活動してるDJ Wasabiに出会って。向こうから声かけてくれて今の状況を話したら「僕ちょっとツテあるんでやってみます?」って紹介してくれて。カラオケの待ち列にバーがあって、待ってる人に向けてDJすることになりました。

当時IPPEIもそこでやってて、タケさんっていう日本人を紹介してくれたんですよ。そしたらたまたまタケさんが過去にDJやってたクラブがDJを探してたらしくて、僕を繋いでくれたんです。僕はもう何でもやりたかったんで、すぐにサウンドクラウドのURLを送って。でも1週間経っても返事がこなくて、タケさんに「ダメだったかもしれないです」って言った翌日に「ちょっとやってみないか」って連絡がきたんです。確か人があんまり来ない平日にやったんですけど、なぜかその日はお客さんがめちゃめちゃ入って。プレイスタイルも日本っぽい感覚だったのが新鮮だったらしくて、結構褒めてくれました。

それでまた連絡がきて2〜3回続いたんですね。毎回お客さんが盛り上がってくれて、するとバーテンダーのチップが増えるから彼らが喜ぶじゃないですか。それで「お前来週もやるのか?」って聞かれて「まだわかんない」って言ったら「じゃあ僕が言っとくよ」って、そこから帯がすぐに決まって。そこのオーナーがクラブを2店舗持ってたんで、もうひとつの方も決まって帯がふたつになりました。家賃プラスアルファ分を稼げるようになったんで、バイトせずに済んだんですよ。

SHUNSUKE:
すごいですね。

NATT:
ニューヨークはDJをやって初めて仕事が増えるんで、やるまでの歯車を合わせるのが結構大変でした。やってしまえば、仕事さえ選ばなければ、あちこちからどんどんくるんです。みんながやりたがらないノーギャラの仕事でも、やったらその分仕事が増えるとわかってたんでやるようにしたら、プライベートパーティーとかどんどん入ってきて、3〜4年目は多い時で週6で8本やってました。ノーギャラだからやらないとか、仕事を選んじゃうとやっぱり仕事が来なくなっちゃうんですよね。31歳で行ってここで何もしないと何にもならないから、みんながやりたくないものでもいいからやるって決めて、とりあえずやってましたね。

SHUNSUKE:
なりふりかまってらんねーぞっていう感覚が自分の中でしっかりあったんですね。

NATT:
そうですね。本当にいろいろ運が運を呼んでくれて、助けられましたね。

DJ NATTのプレイスタイル

SHUNSUKE:
自分のDJスタイルを端的に言うとどんな感じですか?

NATT:
ヒップホップ中心のラテンで、現場によってはレゲエとかハウスもかけるスタイルですね。コンセプトは自分主体にならないこと。僕がかけたい曲をかけるんじゃなく、来てる人たちが喜ぶ曲をかけることをコンセプトにやってます。最近いい曲が出たからといって、みんなが知らない曲をかけてもしょうがないし、もちろん新譜もかけるけどうまくタイミングを見計らってかけてます。

SHUNSUKE:
ちゃんとやってる人はかけたかったからかけたって言うんだけど、その前後には必ずみんな好きな曲を挟んだりしてますよね。

NATT:
だから「知ってるかな?」っていう新譜を1曲ポンと放り込んでも、前後があるから成り立つんですよね。

SHUNSUKE:
それができないと、お金をもらうのは厳しいですよね。

NATT:
ニューヨークはそれが顕著でした。あと、あんまり盛り上げることだけに集中しないことも学びました。ニューヨークのクラブで、盛り上げすぎて怒られたことがあるんですよ。めちゃめちゃ盛り上がって「よし!」と思ってたら、マネージャーがすっとんできて「お前何やってんの?全然みんなお酒飲んでねえよ、金になんねえよ!」って怒られて。「そこ!?」と思ったけど、それからフロアをコントロールする技術を身につけるようにしました。帰らせないでお酒を飲ませる時間は絶対必要なんだと学びましたね。帰らなければこっちのものなんで。

SHUNSUKE:
間違いないですね。

NATT:
結局フロアがスカってなっても、バーカウンターに溜まってるんであれば、そこでお金動いてるから全然問題ない。お酒を買い終わったらまた呼び戻せるように、常に意識してフロアを見ながらやってます。だから盛り上げすぎてもいいわけでもない。

SHUNSUKE:
満足して帰っちゃいますしね。若い子は絶対参考になりますね。

これからのクラブシーンに願うこと

SHUNSUKE:
最後に、日本でもニューヨークでもいろんな経験をしてきたNATTが、これからの日本のクラブシーンに願うことや望むことがあれば聞きたいです。

NATT:
望むことなら、DJは少人数の方がいいのかなと思います。大人数でも意見や気持ちが全部通じ合ってる仲間とやる分にはいいんですけど、そうじゃなければやっぱり良いパーティにはなり得ないと思うんですよね。ただお客さんがいて、そんなに中身がないパーティっていうのは、もうそろそろ終わりでよくて、次のフェーズに行くべきだなとは思いますね。

あとはクラブのスタッフやオーナーもそうですけど、別にニューヨークに限らずラスベガスでもLAでも、いろんな地域のクラブに自分で行ってみて体験してきたものを落とし込む方がいいと思います。今、海外にもあるようなバーにDJがいる形態が出てきてますけど、結局日本のスタイルになっちゃってるというか。すでにある手本を真似して、それにプラス日本っぽさを出せればいいけど、ただ見かけが海外っぽいだけでやってることは日本的なところが多い印象です。だからDJや経営陣を含めて、実際に海外に行って体感してくるだけでもいい方向に変わってくると思いますね。

SHUNSUKE:
自分の求める理想をちゃんと自分の目で見て作ってほしいと。

NATT:
そうですね。これからインバウンドももっと増えてくるし、インバウンドが多いクラブはそれなりにスキルが必要になってきます。自分含めてですが、やっぱり海外に行かないとわからないし、鈍っちゃいますよね。だから海外でも体験を積んでくるのが、自分のDJにも活きてくるんじゃないかなと思います。

SHUNSUKE:
確かに。それっぽいものじゃなくて、ちゃんとしたものを体験して落とし込むのが大切ですね。

NATT:
やっぱり答えは現地に行かないと見つけられないので。みんなが撮ってるストーリーズを見たとしても、たかだか何時間かのうちの15秒〜30秒の話であって。それだけだとやっぱりわかり得ないので、体験してくれればもっともっといい方向に進むのかなと思います。

プロフィール

  •  DJ NATT

    DJ NATT

    15年以上東京で活動した後、2015年に単身でニューヨークへ渡米。すぐにアメリカでも才能を開花させ、レギュラーを獲得する。 その後東京やニューヨークの人気のクラブやルーフトップバーで、年間300本以上の現場をこなす。 卓越したセンスを武器に音楽の壁を越えたオープンフォーマットなプレイスタイルでお客さんを魅了し続けている。

タグ一覧