パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
第四回は、本場ニューヨークに渡米した経験を持つDJ NATTさんのキャリアについてお送りします!今回も「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEがインタビューを行ってきました。
SHUNSUKE:
自己紹介をお願いします。
NATT:
DJ NATTです。出身は茨城県水戸市、年齢は40歳です。
DJを志したきっかけは?
SHUNSUKE:
DJを志したきっかけを教えてください。
NATT:
元々DJに興味があって、小学校6年生の時にブラックミュージックにハマりだしたんです。聴いているうちに「ダンスホールレゲエはちょっと違うな」って思ってたら、教えてもらったのがヒップホップで。中学生からずっと聴いてたんですけど、うちがそんなに裕福な家庭じゃないと思ってたんで、ターンテーブルを買ってさらに延々とレコードを買い続けるのは無理ゲーじゃないかと。だからDJだけは絶対ならんって決めて、ダンスやってみたり、ラップ挑戦してみたり、スケボーをやってみたりしたんですけど全部駄目で。それで、残ってるのはDJしかねえじゃんって。
SHUNSUKE:
ついに笑
DJだけにはなっちゃ駄目だと思ってたはずなのに。
NATT:
当時家にレコードプレーヤーがあったので、配線をラジカセの後ろに繋げて音を出したり録音したりっていうような事はやってたんですよ。レコードも100枚くらい持ってましたし、ずっと興味はありました。それで高校を卒業した18歳の時に友達んちに行ったらターンテーブルがあって、やらしてもらったらめちゃめちゃハマっちゃって。やっぱりDJだと思って、DJになりましたね。
SHUNSUKE:
長い間カルチャーに関わることにはトライはしてたけど、DJにたどり着くまでには、初めて触れてから6年ぐらいの間があったんですね。その6年間で沸々とした想いが爆発したのか。
衝撃を受けた楽曲
SHUNSUKE:
6年間買い続けたレコードの中で、すごい衝撃を受けた曲はありますか?
NATT:
意外とその中にはなかったですね。ちょうどその時は90’sとRuff Rydersが出てきた移り変わりの時期で、ミックステープとかを聴いて淡々と追いかけてました。それからずっと経って、ニューヨークに行った時に衝撃を受けたのがBiggieの『Juicy』でしたね。ちっちゃい子も歌えるし、本当に愛されてるんだなって実感があって。あの衝撃を受けちゃうと、今まで聴いた衝撃は嘘なんじゃないかと思ってしまいました。
SHUNSUKE:
なるほど。世代を超えて、色んな人に人気だったんですね。
NATT:
クラブでも本当に毎日1回はかかってましたから。あと、すごくおもしろい体験があって。ブルックリンからマンハッタンまで地下鉄に乗った時に、ブルックリンブリッジを渡ってる途中でなぜか電車が止まったんですよ。しかも普段は混まない電車がその時は混んでててたから、みんなイライラし始めて。そしたら僕の近くに親子がいたんですけど、小学生くらいの子が「YouTube見たいからママ、スマホ貸して」って、スマホでかけだしたのが『Juicy』だったんですよ。
SHUNSUKE:
へー!
NATT:
しかもニューヨークはヘッドフォンをせずに聴くのが普通なので、みんながイラついてる時に『Juicy』がかかって、なごやかな雰囲気になるっていう笑
本当に愛されてるんだなって衝撃を受けて、その光景がずっと残ってますね。
SHUNSUKE:
実は買ってたレコードの中にも『Juicy』があったかもしれないけど、日本でDJやってる時はあんまり感じなかったことを、ニューヨークに行って感じるのはすごいですね。
DJ1本で生きていくと決めた30歳
SHUNSUKE:
DJで食べていこうと現実的に思ったターニングポイントは、いつ頃だったんですか?
NATT:
大学を卒業する時に、周りが自主でCDを出してたんですよね。1000枚出そうとしたら2〜30万円くらいかかって、当時はそんなお金もなかったから就職しながら、DJをする道を選んだんですよ。CDは出せたんですけど、やっぱりDJだけで生活してる人たちの方が圧倒的に多くて。昼に仕事してたのは、僕ぐらいだったんじゃないかな。
DJ1本でいくのがイケてるでしょ、それでなんぼでしょみたいな時代だったので、僕もやりたいけどできないのがすごく悔しくて。28歳ぐらいで会社を辞めて、そうなろうと思ったんですけど、なかなか辞めれず結局30歳になっちゃって。いよいよやばいぞと。その時はすでにDJでも稼がせていただいてたんですけど、仕事もしてDJやって家帰って寝る時に「今日が僕の最後の日だとしたら、過去を振り返った時に人生楽しかったって笑って死ねるかな?」って考えて。「これは無理だな」と思って、ニューヨークに行く決断をしました。そこからお金を貯めてビザをとって、実際に行ったのが31歳です。仕事もぜんぶ辞めて、DJを本業に生活していこうと腹くくったのがそこでしたね。
SHUNSUKE:
自分の中で問いがあったんですね。当時、昼に仕事しながら、毎日のように外に顔だしてDJもやってたから、いつ寝てるんだって思った記憶があります。
NATT:
1週間ほぼ毎日寝てないぐらいの忙しさでした。でも昼の仕事をやってるからあいつは駄目だとか、稼げないんでしょって言われるのが嫌で。言ってる人がいたかどうかわかんないですけど、勝手に自分がそう思ってて。でもそれがバイタリティになったし、絶対やってやんなきゃとずっと思ってましたね。
SHUNSUKE:
ニューヨークに行ったことより、行く決断の方が大きなタイミングだったのかもしれないですね。
NATT:
そうですね。30歳でそのまま日本にいる選択肢もあったんですけど、当時はただ仕事をもらってるだけだし、自分に対してなんか箔がねえなと思って。それで安易なんですけど、とりあえずニューヨークに行って箔つければなんとかなるでしょう!って、行くことを決めました。海外でDJしたい、海外に住みたいって夢もあったし、仲良いDJもみんなニューヨーク行ってたので、答えはニューヨークなんじゃねえかと思って行ったんですよ笑
後編に続く。