元ヒップホップダンサーのそば職人、「そば処登喜和」店主、小川浩二とは?

仙台の老舗そば屋「登喜和」店主の異色な経歴

ライター:TARO

ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人のキャリアや仕事について全4回に渡ってインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月のゲストは宮城県仙台市で「そば処登喜和」をオープンされている、そば職人、小川浩二(おがわ・こうじ)さん。元ヒップホップダンサーという異色の経歴を持つ小川さんのヒップホップキャリアについてお伺いしました。Vol.1の今回は「そば処登喜和」について、そして小川さんの学生時代やダンスを始めたきっかけについてお伺いしました。

前回の記事はこちら→ 料理人であり、ブレイクダンサー。横尾秀樹のB-Boyイズムとは?

元ヒップホップダンサーのそば職人、「そば処登喜和」店主、小川浩二 

レペゼン:
自己紹介をお願いします。

小川浩二:
小川浩二(おがわ・こうじ)と申します。年齢は37歳です。宮城県仙台市のそば屋「そば処登喜和」でそば職人をしています。そば職人の前はダンサーをしてました。18歳からダンスを始めて、25歳ぐらいまではダンス漬けの日々を過ごしていましたね。

【登喜和のそば】

レペゼン:
ありがとうございます。元ダンサーの蕎麦屋さんということで、お話しを伺うのを楽しみにしておりました。
まずは経営されているお店「そば処登喜和」について教えてください。

小川浩二:
お店は今年で創業39年目になる蕎麦屋です。最近では自慢の蕎麦や天ぷらはもちろん、最近は唐揚げ、カレーなどのサイドメニューも増やしています。上は80代から下は10代まで幅広い層のお客様が来てくれていますね。

レペゼン:
インスタを拝見したのですが、創作蕎麦も作られているんですか?

 
 
 
 
 
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小川浩二:
そうですね。もちろん伝統的な蕎麦がメインなのですが、アヒージョのそば、トマトのつけ蕎麦なんかにもチャレンジしています。

レペゼン:
良いですね。
ちなみにダンスのジャンルは何だったんですか?

小川浩二:
ヒップホップやハウスダンスをしていました。特にミドルスクールのヒップホップダンスが好きで。当時で言うと、XXX-LARGE、S.A.Sとかのスタイルですね。そういう方々から影響を受けていました。

レペゼン:

2チームともめちゃくちゃ人気でしたし、ダンス番組の「少年チャンプル」にもよく出てらっしゃいましたよね。懐かしいです。今でもダンスを続けてらっしゃるんですか?

小川浩二:
今はほとんどしていないですね。たまに昔のダンス仲間と練習するくらいです。でも、夜に一人でお店で踊ったりもしています笑

ダンスにハマったきっかけはあのアイドルグループ

レペゼン:
ご出身やダンスを始めたきっかけについて教えていただけますか?

小川浩二:
出身は埼玉です。学生時代はサッカー部で、高校もサッカー推薦で入学したのですが、レギュラーを外されてしまって。それがショックで、サッカーへのモチベーションをなくしていたんです。そんな時に高校の文化祭でダンスを踊ることがあって、そこでダンスの楽しさを知ってハマっていきました。

レペゼン:
どんな曲で踊ったんですか?

小川浩二:
モーニング娘。の「LOVEマシーン」です。

レペゼン:

まさかの笑

小川浩二:
そうなんです笑
元々シャイだったんですが、モーニング娘。で人前で踊る楽しさを知りました笑
ちょうどその頃にテレビで「少年チャンプル」が放送されていて。チャンプルでヒップホップダンスってめっちゃカッコいいなと。サッカーへのやる気をなくしていたのもあって、「自分にはこれしかない!」と思って、高校卒業後、ダンスの専門学校に入学したんです。

レペゼン:
すごいですね!ほぼ初心者の状態で入学したってことですよね?
周りの同級生についていくのって結構大変だったんじゃないですか?

小川浩二:
最初は苦労したんですけど、サッカーで鍛えた足の強さもあって、ステップは割と早く覚えられましたね。

レペゼン:
すごいですね。
バトルに出場したりもしていたんですか?

小川浩二:
入学して1年後の19歳の時には地元の小さなバトルで優勝しました。

レペゼン:
すごい!!たった1年で!

小川浩二:
ダンスばかりしていたので。
睡眠時間は3時間くらいでしたね笑

レペゼン:
それでも1年で優勝するのはすごいです。
チームは組んでいたんですか?

小川浩二:
ちょっと恥ずかしいんですけど、「ワイルド・ウイルス」というチームを組んでいました笑

レペゼン:

良いですね笑
ミドルスクール・ヒップホップというと、90年代のラップミュージックを使う方が多いと思うのですが、音楽の方はディグったりしていたんですか?

衝撃を受けた 「A Tribe Called Quest – Find a Way」

小川浩二:
先輩とかダンスの先生から教えてもらっていましたね。最初はWu-Tang Clan(ウータン・クラン)とかゴリゴリのブーンバップで踊っていたんですが、ある時、A Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)の「Find a Way」を知って。あの感じのいなたい、少しジャジーなヒップホップもあるんだと知ったのは大きかったです。めっちゃくらいました。今でもトライブはほぼ毎日聴いてるかも。

レペゼン:
良いですね。今もトライブで踊ったり?

小川浩二:
踊りますね。もう37歳なので、トライブぐらいのゆるい感じがちょうど良いかなと感じてます笑
ウータンだとちょっと身体がついていけない笑

レペゼン:

ダンサーからいきなりそば屋の見習いへ!?

レペゼン:
専門学校を卒業後はどういった生活をしていたんですか?

小川浩二:
ダンスでは食べていけなかったので、通ってた専門学校で事務の仕事をしながら、夜はクラブで踊ったり、地元でレッスンをしていました。そんな時に地元のレッスンに生徒として来てくれていたのが、今の妻なんです。

レペゼン:
おぉ!!急展開です!!

小川浩二:
そうなんです。で、結婚することになって。

それでちょうど妻の実家の蕎麦屋さんの後継ぎがいないということで、そば職人見習いとして働かせてもらうことになったんです。

ダンサーからそば屋見習いになった小川さん。料理経験なしでいきなり厳しい職人の世界に入った小川さんは一体どうなるのか?Vol.2では見習い時代のエピソードや励まされたラップソングについて聞いていくよ!お楽しみに!

プロフィール

  • 小川浩二(おがわ・こうじ)

    小川浩二(おがわ・こうじ)

    そば職人。埼玉県出身。高校でダンスの楽しさを知り、卒業後、ダンスの専門学校へ。90年代のヒップホップやムーヴをベースとするミドルスクール・ヒップホップのダンサーとして活動する。20代後半から本格的にそば職人の世界へ。宮城県仙台市のそば屋「そば処登喜和」で修行を積み、現在は店主として店を運営している。オリジナルの創作そばやカレー、唐揚げなどの従来のそば店にはない独自性の高いメニューが話題を呼び、幅広い年代のお客さんが訪れる人気店となっている。

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