ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人にインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月は山口県・下関市を拠点に農家ダンサーとして活動するノッポさんに4回に渡ってお話を伺います。
サラリーマンに馴染めず、田舎でダンスの情報も皆無。そんなノッポを救ったのは?
レペゼン:
学校を卒業後、どんな仕事をしていたか、またダンスを始めたきっかけを教えてください。
ノッポ:
高校卒業後、某電力会社に就職して、鉄塔の維持保守をしてました。
よく山に大きな鉄塔が立ってると思うんですけど、あれのメンテナンスですね。
レペゼン:
じゃあ会社員として働き始めて、その後にダンスを始めたと?
ノッポ:
そうですね。元々やってみたいとは思ってたんですが、田舎すぎてダンスのレッスンがなかったんです。ダンスはテレビの中のものというイメージでした。
レペゼン:
そうなんですね!
ノッポ:
そうそう。
だから僕にはもう無理だなって思ってました。それで社会人になってからはなんとなくスノボーや合コンに行ったりとかして、日々を過ごしてたんです。でもある時、このまま何にも燃えず人生が終わってしまうと絶望した時があって。その時に自分には「ダンス」しか残ってないと思ったんです。
レペゼン:
会社員とダンスの両立でしんどかったことってありますか?
ノッポ:
うーん、まず会社員ってみんなそれぞれしんどいことあると思うんですよね。
正直、僕は会社員時代は職場環境に恵まれなくて。結構、ブラックな人達に理不尽な扱いを受けることは多かったですね。
レペゼン:
一番嫌なやつですね…
ノッポ:
ただ僕が逆に良かったのは、いわゆる良い職場っていうのを知らなかったんですよね。
だから比較ができなかった。みんなこんな感じで大変なんじゃないかな?って思ってました。
レペゼン:
なるほど。
まわりと比較しないことで気持ちを保てたと?
ノッポ:
そうですね。サラリーマンとしても、ダンサーとしても田舎すぎて何も情報がなかったので。ただダンスに関しては、ずっと空気みたいに扱われてたっていうのが、本当にしんどかったですかね。
レペゼン:
空気というと?
ノッポ:
僕はダンスを始めてから10年近く結果を残せなくて。当時は今以上に厳しいシーンだったので結果が出て認められるまでは空気のような扱いでしたね笑
レペゼン:
一番しんどいじゃないですか。なぜそれで続けることができたんですか?
ノッポ:
正直何度も辞めようと思ったことはありました。
でも続けられたのは、やっぱ師匠と仲間のおかげですね。
何者でもなかった自分を支えてくれた仲間、そして師匠
レペゼン:
それは具体的に言うと、どなたなんですか?
ノッポ:
仲間で言うと、嫁のメグちゃんですね。
メグちゃんとはダンスを始めたタイミングが一緒で。
どうにもならない瞬間に、謎のサブエンジンみたいな感じで、起動してくれて、自分を前に運んでくれる存在でした。
レペゼン:
素敵ですね。
師匠はどなたですか?
ノッポ:
Majestic-5、TAKASAKI FUNK CLUBのリーダーのMALさんという方です。
何の芽も出てない自分に「お前はお前の踊りたいように踊れば良いんだよ」と10年近く背中を押し続けてくれたんです。このままでは終われないと思えましたね。
【Majestic-5のショーケース】
レペゼン:
どういった出会いだったんですか?
ノッポ:
22歳頃、島根県に住んでいた時に参加したダンスイベントでMajestic-5さんが出演されてたんです。そのイベント後の飲み会で、たまたまMALさんとご一緒する機会があって。
レペゼン:
めっちゃ良いですね!
ノッポ:
ただ僕からしたら芸能人に会ったみたいなものなので、4時間くらい何も食べずに最初から最後までずっと無言で座ってたんですよ笑
レペゼン:
笑
ノッポ:
やばいやつですよね笑
そしたら一番離れた席にいたMALさんが「お前さっきからそこずっと座ってるけどさ、何しに来たの?」みたいな感じにいじってくれて。それが始まりでした。
Majestic-5さんは九州のチームなのですが、九州に帰ったときも「島根に面白いやつがいてさ」って言ってくれたみたいなんです。実は僕のダンサーネーム「ノッポ」の名付け親もMALさんなんです。
【MALさんと】
レペゼン:
へー!
ノッポ:
当時はチューリップハットをよく被っていたのですが、MALさんがそれを見て「お前今日からノッポね」って言って。「わかりました」っ感じでした笑
レペゼン:
そういう理由でノッポって名前になったんですね!
ノッポ:
そうなんです。
そういった形で僕のこと理解してくれる人も周りにいたので、ダンスも続けることができた感じですね。
サラリーマン時代に励まされたカシミア・ステージ・バンドの一曲
レペゼン:
サラリーマン時代に励まされた思い出の一曲を教えてください。
ノッポ:
KASHMERE STAGE BAND(カシミア・ステージ・バンド)の「Scorpio」です。
【KASHMERE STAGE BAND「Scorpio」】
レペゼン:
カシミア・ステージ・バンドとは?
ノッポ:
1960年代〜70年代に活動したファンク・バンドですね。アメリカ・テキサス州ヒューストンの黒人地区で“カシミア地区”という場所があるのですが、そこのカシミア高校という学校の吹奏楽部の生徒によるバンドです。
レペゼン:
そういったグループがあったんですね!
ノッポ:
そうなんです。カシミア・ステージ・バンドを知ったのは23歳の時に読んだ「Funk 45 ‘s 」っていう本からです。一昨年亡くなったDJのRYUHEI THE MANさんっていう、僕が人生で唯一サインをもらった人が関わってらっしゃる本で。本の中でカシミア・ステージ・バンドの「Scorpio」が紹介されてたんです。僕Dennis Coffey(デニス・コフィー)バージョンの「Scorpio」は知ってたんですけど、カシミア・ステージ・バンドのものは知らなくて。
レペゼン:
聴いた時はどういう印象だったんですか?
ノッポ:
元々アメリカの黒人の方々ってすごい貧しくて本当にギリギリの状態から何か演奏してるみたいな先入観しかなかったんですけど。高校でしっかり吹奏楽で音楽を学んでるんだみたいに思いました。
その彼らの雰囲気にもとても励まされたんですよね。
レペゼン:
良いですね!
しかも1970年代というとまさにファンク全盛期の時代ですよね。
ノッポ:
そうですね。「Funk45’s」を通してアメリカには各州に応じたファンクのスタイルがあるってのも知って。ファンクって土地とかそういう部分から生まれるんだなって漠然と感じたのは今の自分のダンスにも繋がってますね。ダンスでもやはり自分のルーツを表現する部分が大事なのかなと思ってます。
とにかくカシミアスのScorpio、めちゃくちゃかっこいいのでオススメです。