Interview

2021.5.10 Mon

人生を振り返る:ユタからLA、そしてプロモーターへ/プロモーター:SHINインタビュー③

サンタモニカのセレクトショップからプロモーターへ...

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SHIN:
ここのグラフが一瞬下がってるところなんですけど。

レペゼン:
これはユタ州にいた時ですか?

SHIN:
そうそう。
ユタでバスケやってて、そのまま大学でもバスケやりたかったんですけど、左膝をやっちゃったんですよ。
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レペゼン:
それはバスケでやっちゃったんですか?

SHIN:
若い頃からバスケをやり過ぎて、疲労で膝の皿が歪んじゃったんですよ。だから今でも悪くて。

レペゼン:
何歳ぐらいの時だったんですか?

SHIN:
18歳ぐらい。
それでバスケも断念して、大学の進学もどうするのってなった時に日本に帰ろうかなって考えたんですよ。

レペゼン:
そうですよね…バスケしに行ってたんですもんね。

SHIN:
もう結構落ち込んでどうしようか迷ってたんですけど、学生ビザがまだ残ってたんですよ。
ユタ州って雪もめっちゃ積もる寒い州だったんですけど、たまたまカリフォルニアに1つだけ行ける大学があったので、そこ行くか迷ってる時期があったんですよ。

レペゼン:
暖かいとこ行きたいなーって感じですか?笑

SHIN:
そんな感じだね。笑

レペゼン:
サンタモニカカレッジですか?

SHIN:
そうそう!その頃って思春期じゃないですか。
だから服とかにも興味を持ってた時期なんですよね。それでバスケやってたからバッシュから入って、スニーカーもこれぐらいの時期からすごい好きでした。

レペゼン:
なるほど。

SHIN:
それでサンタモニカカレッジに入る前に、一応大学なんだけど日本で言う専門学校みたいなファッションだけ勉強できるとこがあったんですよ。そこに行けるってなったんで、とりあえず行こ!みたいな感じでそこに入学しましたね。

レペゼン:
それでLAに行ったんですね!
それでそのファッション学校はどうなったんですか?

SHIN:
通ってたんだけど学費がめちゃ高かったんですよ。
それでサンタモニカカレッジにもファッション学科があって、公立だから学費も安かったので編入をして大学ではずっとファッションの勉強をしていました。

レペゼン:
そうだったんですね。

SHIN:
日本で言うファッションマーケティング学科ってところ。
服を作る方じゃなくて、売る方とか自分のブランドの作りを学んでました。

レペゼン:
それが18~20歳くらいですか?

SHIN:
そうそう。それで3年ぐらい通ってたんだけど、さらにLAで気に入ってたセレクトショップに行ったら、店員にどこから来たの?って声をかけられたんだよね。
その当時ちょうどA BATHING APE(エイプ)とか裏原系ブランドやエビスが流行りだした時だったんですよ。Jay-Z(ジェイジー)がEVIS JEANS(エビス)のパンツ履いたとかいう時代。

レペゼン:
懐かしいですね!

SHIN:
それで店員と仲良くなって、「日本から並行輸入できるか?」って話になったから、「いいよ」って。

レペゼン:
軽いですね。笑

SHIN:
小遣い稼ぎになるじゃんって。笑
日本のブランドが馬鹿みたいに売れた時代だったから。それで日本の友達に送ってくれる?って連絡して。今で言う”転売ヤー”みたいなもんですよ。

レペゼン:
あーなるほど!先駆けみたいな感じですね。

SHIN:
そうしてたら店の人が手伝ってくれないかって。お金はもらってはいけないので、手伝いぐらいならということで…

レペゼン:
ビザの関係ですね。
でもそこで働いたんですか?

SHIN:
そう。でもそこで働いた事が結構デカかったですね。

レペゼン:
ハリウッドとかのお店ですか?

SHIN:
サンタモニカの方の「Fred Segal」(フレッドシーガル)で働いてましたね。

レペゼン:
そこで働いた事が大きかったって言うのはどういった部分で感じていますか?

SHIN:
単純に社会勉強が出来ましたね。人生で初めて働いて対価をもらうって経験をしたのそこでしたからね。
あとはたまたまその店舗がスニーカー屋だったんですよね。

レペゼン:
セレクトショップなんですよね?


SHIN:
フレッドシーガルはセレクトショップなんだけど、当時は「服」と「靴」って分かれてて俺は靴の方だったんですよ。

レペゼン:
そうだったんですね!

SHIN:
そこで色んな人に出会えたのも良かった。
そこのお店って当時はBritney Spears(ブリトニー・スピアーズ)の衣装提供とかもしてる有名店だったから、お客さんもお金持ちが多かったんですよ。扱ってる物高かったし。Talib Kweli(タリブ・クウェリ)とかがいきなり来て、俺が接客したりとか。笑

レペゼン:
ヤバいですね。笑

SHIN:
あとは俳優がフラッと来たり、そのマネージャーが衣装をリースだったり買いに来たりしてました。そういうのを間近で見られたってのは、ただ単にアメリカの大学にいても経験出来なかった事だなって思いますね。

レペゼン:
それこそ大学ではファッションマーケティングを学ばれていたので余計にですよね。

SHIN:
そうそう。他にもナイキの新作のレセプションとかにも行けたりだとか、色んな物を見られた事は本当に良かったと思います。

レペゼン:
めちゃくちゃ良い経験ですよね。
日本へ戻ってきたきっかけとかはあるんですか?

SHIN:
単にビザが切れたので日本に帰ってきました。
それでファッション業界に就職したいと思ってたところ、たまたま縁があってBEAMSにアルバイトで入ったんですよ。

レペゼン:
そうだったんですね。
帰ってきたのは何歳の時でしたか?

SHIN:
23歳だったかな。当時アメ村にあったBEAMS ストリート心斎橋店というところでした。

レペゼン:
アメリカから大阪に拠点を戻してアパレルで働いていたんですね。
クラブ業界と関わりだしたのはこの頃ですか?

SHIN:
地元の友達に面白いクラブあるでって連れて行かれたのが、当時大阪にあったUNDER LOUNGE(アンダーラウンジ)ってところで、「Soul Free」(ソウルフリー)ってヒップホップのイベントをやってたんですよ。そこで回していたのがDJ MINAMI(ミナミ)とかDJ BENKAY(ベンケイ)なんですけど。

レペゼン:
なるほど。

SHIN:
でも行ったらかかってる音楽とかが、アメリカと一緒だ!ってなったんですよ。

レペゼン:
体感としてそこは分かったんですね!

SHIN:
そうそう。音も箱の雰囲気とかもアメリカと似てるなって。
それまでにいくつかクラブ行ったんですけど、なんかちがうなって思ってたんですよ。けど、そこに行ってみたらハマったんですよね。

レペゼン:
では当時としてはまだ20代前半でBEAMSのアルバイトですごいクラブが好きな人って感じですね?

SHIN:
そんな感じです。

レペゼン:
そこからプロモーターに移り変わるのはいくなんですか?

SHIN:
UNDER LOUNGE(アンダーラウンジ)もアメ村にあったから、横の繫りで店員さんと仲良くなったんですよ。初めの方に紹介してもらったのがDJ KAZ001(カズ・ダブルオーワン)。それから毎回その人にゲストを取ってもらうようになったんです。

レペゼン:
なるほど!

SHIN:
そうしたらある時に、友達とかおったら呼んでくれへん?みたいな感じになって、アパレルの繋がりでSHINに言ったらクラブ入れるらしいでってなったんですよ。笑

レペゼン:
なるほど。笑
確かにアパレルで働いていてパーティー好きな人って強いですよね!

SHIN:
そこ以外のところでもBEAMSの先輩に飲みに行くぞって他のクラブにも連れて行かれたりして、色んなクラブで色んな人と知り合うようになっていきましたね。

レペゼン:
それで自然とプロモーター的な動きをしていくようになったんですか?

SHIN:
いや、その時は単に楽しんでただけなんですけど、アパレルもどうしようかなって考えてたんですよ。その時にBEAMSのお客さんから、「仕事で人探してるみたいなんだけど興味ある?」みたいな話をされて、リクルートに入る事になったんですよ。

レペゼン:
ここでクラブじゃなくてリクルートなんですか?笑

SHIN:
うん。中途採用で探してるって言うから、給料もアパレルより全然良いしまぁ良いかなってノリで。笑
とりあえず奇跡的に入れて。笑


レペゼン:
それが何歳ぐらいのときですか?

SHIN:
25歳ぐらいだったかな。

レペゼン:
リクルート時代はクラブ活動はどうしてたんですか?

SHIN:
それはもう平日からずっと飲んでましたよ。笑

レペゼン:
本当にタフですね!笑

SHIN:
仕事終わってからクラブが閉まるまでいて、そこからまた朝仕事に行く。酒入ったまま行ってましたね。笑

レペゼン:
そこからリクルートを辞めるタイミングが来るんですよね?

SHIN:
入ってみたものの、ちがうなってなって。笑

レペゼン:
リクルートにはどのくらい在籍していたんですか?

SHIN:
1年~1年半ぐらいはやっていたような…

レペゼン:
辞めた後はまさかプー太郎ですか?

SHIN:
そうそう。プー太郎でクラブに行きまくってました。笑
そうしてたら人集めるの手伝ってくれない?って言われたのが今の仕事に至るきっかけですよ。

レペゼン:
そういう感じだったんですね。
この時はまだどこにも所属していないですよね?

SHIN:
そうですね。どこにも所属しないでフリーランスでやってました。

レペゼン:
フリーランスのプロモーターとして色んなクラブの仕事をしていたって事ですね。

SHIN:
単純に色んなクラブでお客さんを呼ぶ係みたいな感じですね。iPhoneとかもまだ無かった頃だったから、昼間にフライヤーを配りに行ったり、アメ村にポスター貼りに行ったり。

レペゼン:
地道な広告活動をしていたという事ですね。

SHIN:
元々アメ村で働いていた事もあって、みんな良くしてくれたんですよ。

レペゼン:
アメ村でアパレルの仕事していた事が、プロモーターの仕事にも繋がったんですね。

SHIN:
そう。それでこっちの方がおもろいわってなって、もうそっからはノリですよ。笑
それで段々と現場が増えていった感じですね。

レペゼン:
順調にプロモーターの仕事を増やしていったんですね。
リクルート退社してから大阪ではどれくらい活動していたんですか?

SHIN:
12年ぐらいやってたんじゃないですかね。

レペゼン:
じゃあ世の中の一通りの移り変わりは見てきたんですね。すごいですね。
それからWARP(ワープ)ですか?

SHIN:
WARP(ワープ)が出来るって話になって、入れさせてもらう事になりましたね。

レペゼン:
最初の肩書きはブッキングマネージャーなのかプロモーターなのか何になるんですか?

SHIN:
外タレを強化していくっていうので、外タレのブッキング担当で入社したんですよ。

レペゼン:
外タレすごいですもんね!

SHIN:
東京来たのも外タレを呼ぶからってのがきっかけだったんですよ。

レペゼン:
東京に来たのはいつですか?

SHIN:
WARPがオープンしてからなので約2年半前ですね。

レペゼン:
そこからは現在まで続いてるって事ですね。
それで今が最高潮ってとこですか?

SHIN:
いやいや、もっと行きますよ!笑

レペゼン:
ここまで聞いてバスケに始まり、スケボー、ファッション、スニーカー、クラブと一貫してストリートですね!

SHIN:
そうかなー?笑
ノリっす笑

…続く。

SHIN Instagram:shinsuke84
WARP SHINJUKU Instgram : warp_shinjuku

Interview by : bullmatic

日本のストリートをレペゼンしよう。

 

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