バースデーバッシュの御礼

バースデーバッシュをしてもらった話

ライター:DJ SHUNSUKE

カレンダーが4月を脱出し、ようやく平穏な日常が戻ってきた。私にとって4月は単なる新年度の始まりではない。いわゆる「誕生日月間」という、一年に一度の特殊な期間だ。

DJという稼業を二十年も続けていると、この一ヶ月は単なる「加齢の記録更新」では済まされない事は分かっている。業界の慣習として、バースデーバッシュだのセレブレーションだのと景気のいい名前を冠したパーティが開催される。ありがたいことに、今年は三度その機会に恵まれた。

四半世紀近く現場に立ち続けて、いまだにこうして祝ってもらえるというのは、心からの感謝以外にない。DJを始めた当初、この年齢まで現場に立ち続けられるとは微塵も思っていなかった。繰り返すが、本当にありがたいという気持ちでいっぱいである。しかし、その内実を一言で言えば「幸福な土砂崩れ」に飲み込まれるような体験でもある。

誕生日の主役というのは、お祝いに駆けつけてくれた友人、先輩、後輩たちが代わる代わるグラスを掲げてやってくる。彼らの手にあるのは、たいてい喉が焼けるような透明な、しかし純度の高い善意の液体だ。こちらの肝臓のスペックや翌日のスケジュールなど、祝祭の熱狂の中では野暮な懸案事項に過ぎない。ただひたすらに「めでたい」という大義名分のもと、その熱量を分かち合うべく、液体は心地よく胃袋へと流し込まれていく。もちろん、祝っていただけるのはこの上なく光栄なことだ。しかし同時に、忘れてはならない鉄則がある。どんなに祝杯が重なろうとも、現場の主役はあくまで「遊びに来てくれたお客さん」だということだ。

お酒をごちそうになり、共に乾杯の喜びを分かち合う。けれど、決して酒に飲まれてはいけない。フロアの熱量をコントロールすべき人間が、アルコールにコントロールされてしまっては本末転倒である。感謝の気持ちを全身で受け止めながらも、意識のどこかで常に冷静な「音の番人」であり続ける。そこには、華やかなパーティの裏側で繰り広げられる、自分自身との静かな、しかし熾烈な戦いが存在する。

結果として、今年の私はすべての夜を八割五分ほどは鮮明に覚えている。正直に言えば、パーティ終了間際の記憶は少しノイズが混じり、輪郭もぼやけている。けれど、完全なブラックアウトではない。そこには、とてつもない感謝の気持ちと、胸が熱くなるような感情がじんわりと立ち込めていたことだけははっきりと分かる。記憶を保つことに固執したのは、せっかくの好意を無駄にしたくないという気持ちと、プロとしての意地があるからだ。久しぶりに顔を見せてくれた仲間たちと交わした乾杯や、掛けてくれた言葉はしっかり覚えている。誰が来てくれたのか、どんな言葉をかけてもらったのか。それを覚えていないのは、プレゼントをもらっておきながら中身も見ずに捨てるような非礼ではないか。そう思うようになったのは、やはりそれなりの年齢を重ねたからだろう。それらの記憶は、多少のブレはあるものの、美しい色彩を持ったまま自分の中に格納されている。これは、どんな高価な贈り物よりも価値のある誕生日プレゼントになった。

四半世紀近くこの仕事を続けてこられた最大の要因は、間違いなく「人」だ。DJを長く続けてきたことで得られた真の財産は、レコードの数でもキャリアの長さでもなく、かけがえのない出会いそのものである。多くの先輩や仲間に恵まれ、支えられてきたからこそ、私は今日も現場に立つことができている。そして何より、不規則なこの仕事を理解し、背中を押し続けてくれている家族への感謝は言葉では言い尽くせない。

中年真っ盛り。体力的には二十代の頃のようにはいかないかもしれないが、心の方はかつてないほど充実している。愛すべき仲間たち、家族に支えられていることを再確認した今、これからも全力でこの道に取り組んでいきたい。三度目の狂騒を終え、私の肝臓はやっと一息ついているところだが、魂のボルテージは一段上がった気がしている。

さて、そんな充実感に浸っていた最後の宴の翌日、SNSにお祝いの動画がいくつか流れてきた。画面の中には、大勢の人に囲まれ、顔をくしゃくしゃにして笑い、勢いよくグラスを空けている「とても楽しそうな自分」が映し出されていた。客観的に見るその姿は、想像以上に浮かれていて、なんだか猛烈に恥ずかしくなった。記憶を八割五分保持している自負があっただけに、残りの一割五分に潜んでいた「油断しきった顔」を突きつけられた気分だ。私はたまらず、動画を上げてくれた親しい友達に「恥ずかしい!」と、少しばかりの自虐と照れ隠しを込めてメッセージを送った。

すると、すぐにパンチの効いた返答が届いた。

「いつも通りなので大丈夫です!!」

悲しいような、嬉しいような。いや、二十年以上かけて築き上げてきた私の「いつも通り」がこれなのかと思うと、中々複雑な気持ちである。どうやら私の中にある「色彩豊かな記憶」よりも、周囲の目に焼き付いている「いつもの私」の方が、よほど解像度が高いらしい。このあたりは、少しずつ是正して、いつかはもう少しクールな祝われ方を身につけたいと思う。

最後になりましたが、この一ヶ月、各所でお祝いしてくださった皆さん、各クラブ関係者の皆さん、そして何より遊びに来てくれたすべての皆さんに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

 

 

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