レペゼン:
そっから実際にスタイリストMASAYAが誕生するわけですね。
MASAYA:
卒業する前に、スタイリストアシスタントの募集が学校に来てて、まずは現場体験みたいなのに行ってみたんです。いって見ないとわかんないし。
そこで出会ったのが後の僕の師匠になるんですけど。
レペゼン:
そこでその人に着いて行こうって決めたんですね?
MASAYA:
周りのみんなと違って、例えばメンズノンノに出てくるような有名アシスタントにつきたい!っていうのも特になかったんですよね。
普通アシスタント時代って、有名な人についてもお金はほとんどもらえないのが普通なんですけど、自分の師匠は、やったらやった分だけ渡すよっていうスタイルで。これ以上親に負担をかけるわけにも行かないので、それもあって、その師匠に決めたっすね。
だから、それも周りのみんなと師匠を選ぶ感覚はずれてたみたいです。
普通は、自分のファッションセンスに合うスタイリストを探したりするのが主流なんで。
レペゼン:
師匠はどんな人なんですか?
MASAYA:
人付き合いがめちゃめちゃうまかったんすよ。顔が広いっていうか。
それはすごく勉強になりましたね。
どこいっても知り合いめっちゃいる感じで、自分もこうなりたいって、この人についてよかったって思いました。
で、その人のもとで4年間アシスタントをしました。
レペゼン:
アシスタントの時に辛かったことはなんですか?
MASAYA:
お金と時間がなかったことですね。
師匠はやった分給料くれる人だったんですけど、とはいえ、はじめてから3ヶ月間は給料0でした。
そのあと最初にもらえたのが3万円。
しかも師匠がバイトをさせてくれなくて…
「バイトする時間はあげない。スタイリストの仕事に集中して。」
「その分お金は払う」とも言われたんですけど、3万円だったんで…笑
遊ぶ時間がない。友達とも遊べない。ってのは本当辛かったっすねー
「飲みに行こうぜ!」って誘われても行けないとか、行ける予定だったのに仕事が終わらなくて行けないなんてことはしょっちゅうありました。
その時代に友達も減ってると思います。
レペゼン:
そのお金でどうやって生活してたんですか?
MASAYA:
実家暮らしだったんで、飯だけは食えてたんで、なんとかなりました。
現場ではお弁当出てくるし。飯は食えてました。
でも、服が買えなかったっす。スタイリストなのに。
だからいつもめっちゃ偏った服装ばっかりしてましたね。
ヘインズのパックTシャツと、リーバイスの501を毎日のように着てて、ユニフォーム化してましたね。笑
オシャレしたいけど、お金ないんで。
大学の時に買いまくってたらそんなこともなかったんでしょうけど、大学の時はそんな学生でもなかったですしね。
まあ、もっと苦労してる人はいるとは思いますけど、つらっかったですねー
レペゼン:
なるほど。そんな苦労時代があって、いまがあるっていうことなんですね。
スタイリストMASAYA
Instagram : stylistmasaya
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