レペゼン:
小学校で上がってからの中学で落ちちゃうんですか?
長嶺信太郎:
小6の時に洋服に興味を持ったおかげで、中学当時の見た目が大人びてたんですよ。でも入った中学校の校則が厳しくて、色々と言われてイライラしちゃって。笑
うるせーなって感じで。笑
レペゼン:
なるほど。笑
長嶺信太郎:
理不尽な事が嫌いだから、髪をセットしたりお洒落を楽しむのが何でダメなんだろうって。
中学校は明確な理由がない事を押し付けてくる所だなって思って、すごく嫌いで先生ともめちゃくちゃ仲が悪かったですね。
レペゼン:
納得いかなかったんですね。
長嶺信太郎:
もう本当に反発心しかなくて、起立って言われたら座ってるし、逆に着席って言われたら一人だけ立ってました。笑
レペゼン:
それはヤバい人ですね。笑
長嶺信太郎:
そうそう。笑
どうやって反抗しようかって事しか考えてなかったですね。それぐらい中学校は本当に嫌でした。
レペゼン:
中学の3年間がずっとそれはキツいですね。そのあとの高校はどうだったんですか?
長嶺信太郎:
中学が嫌だったから、高校は自由なとこに行こうっと思って、勉強を頑張って自分が行きたい高校に入りました。だから高校はまあまあ楽しかった。
レペゼン:
それは良かったです!!でも大学でまた落ちてますね…
長嶺信太郎:
洋服が好きだったので、専門学校に行くつもりでいたんですけど、親と相談をしたら、大学に行っても洋服に関する仕事にも就けるし、そっちの方が可能性が色々広がるんじゃないかって事で大学に進学を決めたんですけど…
レペゼン:
はい。
長嶺信太郎:
大学が全然楽しくなくて。正直何で大学に行ったんだろうって思いました。笑
レペゼン:
そのレベルで楽しくなかったんですね。
長嶺信太郎:
今思うと何をカッコつけてたんだろうって思うんですけど…。
チャラい事が大嫌いだったんで、サークルに入って楽しむとかって事に全く興味がなかったんです。やってた方が絶対に楽しかっただろうし、色んな人にも出会えてたと思うんですけど。
大学時代は本当に勉強しかしてなかった。
レペゼン:
大学時代に勉強しかしてないってすごいですね。
長嶺信太郎:
かと言って、勉強を一生懸命やってた訳でもなくて、本当に何もしてなかったんですよ。友達と遊ぶって事も全然してなかった。
レペゼン:
なるほど。
聞いていると平凡だし、挫折も多かったところから、どうやってファッションデザイナーになるかが気になるところですね…。
大学時代、就職活動はしたんですか?
長嶺信太郎:
就活は普通にして、アパレル関係の専門商社に就職しました。
レペゼン:
やっぱりアパレル関係の企業に入社したんですね。
そこから29歳までぐっとグラフが上がってますけど、何かきっかけはあったんですか?
長嶺信太郎:
VERBAL(バーバル)さんのインタビューです。
レペゼン:
ほう!
長嶺信太郎:
就活を終えてから、社会人のマナーだったり、有名な人のコラムが載ってるお便りみたいな物が、就職先から送られてきてたんですよ。
社会人になるまでの期間、これを読んで準備しておいてくださいって。
レペゼン:
そういうのありますよね!
長嶺信太郎:
その中の一つに、VERBALさんのインタビューが載ってたんですよ。
レペゼン:
何が書いてあったんですか?
長嶺信太郎:
「何でもまずやってみる事」。最初から派手な事とか、やりたい事はきっと出来ないけど、「え、あれが?」って事をしたおかげで、その後に繋がってくる事が自分には沢山あるって書いてあったんです。
レペゼン:
すごく大切なことですよね。
長嶺信太郎:
その頃VERBALさんの事は知ってはいたけど、もちろん知り合いではなくて。でもなぜか、すごく心に刺さったんです。
だからそれからは、「まずはやってみるか」って思うようになったんです。
レペゼン:
良い心境の変化ですね。
長嶺信太郎:
だから、それからは大学の時みたいに友達の誘いとかも断るのをやめて、興味がなくても乗っかってみる事にしたんです。それで友達に誘われて、初めてクラブに行きました。
レペゼン:
社会人になってから初めてクラブに行ったんですね!!どうでしたか?
長嶺信太郎:
僕は小学生の時にファッションに興味を持ってから、普通の男の子が好きな漫画やゲームに興味がなくなってしまって、友達と話が合わなくなっちゃって孤独な想いをしてきたんですよ。
でも、いざクラブに行ってみると自分と感性が近い人がこんなに沢山いるのかって思って、すごい衝撃でした。
「自分みたいな人間ってどこにいるんだろ」って、今まで漠然と思ってたけど、ここにいるじゃん!みたいな。
レペゼン:
なるほど、偶然にも居心地が良かったんですね!!
長嶺信太郎:
そこで会った人達は、自分で色々とやってて面白い生き方をしてる人ばかりで、すごく刺激になりました。
それから毎週末に色んなクラブに遊びに行くようになって、当時親切にしてくれてたDJが色んな人を紹介してくれて、爆発的に人脈が増えたんですよ。
レペゼン:
おー良いですね!
長嶺信太郎:
そこで出来た繋がりで、個人的に色んな仕事をもらうようになったんですよ。それが少しずつ膨らんできて、こっちで行けるんじゃないかって思うようになったので会社を辞めて独立しました。
その中には、VERBALさんとの出会いもあったんですよね。
レペゼン:
実際に出会ったんですね!?
長嶺信太郎:
「m-flo(エム・フロー)」の撮影の仕事を、VERBALさんから依頼された事があったんです。
レペゼン:
えー!!めちゃくちゃすごいですね!!
長嶺信太郎:
本人に僕が影響受けたインタビューのこと話したんですよ。VERBALさんの言葉を見て、それを自分の信条にしてたら実際に形になって、こうしてVERBALさんから仕事をもらえるようになりましたって。
レペゼン:
それはVERBALさんも喜びそうですね。
長嶺信太郎:
「俺そんな事言ってたんだ」って言って忘れてましたけどね。笑
レペゼン:
そうなんですね。笑
でも尊敬していた人と一緒に仕事ができるようになるってすごいことですね!!ちなみに個人で受けるようになった仕事っていうのは、どういったものだったんですか?
長嶺信太郎:
最初はクラブイベントのオーガナイザーみたいな事です。
人脈が増える中で知り合った友達が、一緒にやらないかって誘ってくれたんですよ。「何でもやる精神」だったんで、やろう!って事でやったら上手く行ったんですよ。
レペゼン:
初めてのクラブイベントで、いきなり成功したんですね。
長嶺信太郎:
それによって色んなクラブから、うちでもやってくれって話になって、そっちでもそこそこの収入があるぐらいになっちゃったんですよ。そういう期間が何年か続きましたね。
レペゼン:
それはそれですごいですね。
長嶺信太郎:
ただ、僕は音楽やクラブがめちゃくちゃ好きって言うよりは、そこに集まってる人や雰囲気が好きだったですよ。何をやってても感覚としてはファッションだったんですよね。
レペゼン:
なるほど。
長嶺信太郎:
その中にはそう言う業界の人達もいるから、ファッションショーの時のPRの仕事を振ってもらうようにもなりました。
あとは、アーティストのスタイリングの仕事をするようにもなったりと、最終的にはファッション的な要素の強い仕事が多くなりました。
▼長嶺信太郎 Instagram:hatch_mamf
el conductorH Instagram:el_conductorh
Interview:ABE HONOKA
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