『「佐世保に行けば面白い音楽やカルチャーに出会える」と思ってもらいたい。』DJ SHIGEが守り、次世代へ繋ぐ佐世保のクラブカルチャー

DJ、そして佐世保FLEXのオーナーとして地元のシーンを守り続けるDJ SHIGEのキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この生き方を選んだのか?このコーナーでは、パーティーというカルチャーに関わり続ける表現者・演出家たちの過去から現在へ続くキャリアを紐解いていきます。今回のゲストは、佐世保FLEXのオーナーであり、DJとして佐世保のシーンを引率しつづけるDJ SHIGEさんにお話しを伺ってきました。海軍基地があり、独特の雰囲気がある佐世保の街でDJをしていくこと、ナイトクラブを運営する上で工夫していることなど、お話しを伺ってきました。

最初はポップよりのヒップホップから聞き出した

SHUNSUKE:
まずは、ブラックミュージックやヒップホップに衝撃を受けたきっかけや、当時夢中になっていた音楽について教えてもらえますか?
 
DJ SHIGE:
最初は中学生の頃ですね。当時流行っていたBlack Eyed Peasの「My Humps」あたりを周りのみんなも携帯の着信音にしていて、自分もそこから入りました。当時はビルボードのチャートに入っているような、いわゆるキャッチーでポップなヒップホップを聴いていた感じです。
そこから18、19歳くらいになって地元の佐世保のクラブに通い始めたんですが、そこで出会った師匠のような先輩DJのプレイに決定的な衝撃を受けました。当時Waka Flocka Flameの「Hard in da Paint」や「No Hands」といった楽曲をガンガンかけていて、「なんだこの音楽は!」と頭を撃ち抜かれたような感覚でしたね。
 
SHUNSUKE:
当時リスナーとして思い描いていたヒップホップのイメージと、実際の現場で鳴っていたサウスのヘビーな音に強烈なギャップがあったわけですね。佐世保という米軍基地がある街の環境も関係していたんでしょうか。
 
DJ SHIGE:
それは間違いなく大きいです。米軍の彼らは親の影響も含めて幼少期からブラックミュージックが生活に根づいているので、日本人が親の車でサザンオールスターズを聴いて育つような感覚なんですよね。だからクラブで求められる鳴りも選曲も全然違う。ポップな入り口から入った自分にとって、あの現場の空気感はものすごく刺激的でした。
 
SHUNSUKE:
リスナー側から、自分自身でDJをやろうと思った決め手は何だったんですか?
 
DJ SHIGE:
同級生がDJをやっていたこともあったんですが、やっぱり一番はその師匠の存在と、Waka Flocka Flameを筆頭とするダーティ・サウスの衝撃ですね。
当時はSNSも今ほど普及していなくて、地方ではビルボードのヒットチャートや90s〜2000年代の定番をプレイするDJが多かったんです。世間的にもピットブルやEDMの走り、テンポの速いダンスチューンが流行り始めた時期でした。そんな中で、その人だけは最先端のサウスにめちゃくちゃアンテナを張っていて、現地のホットな新譜を即座に投げていた。その世界観に完全にやられて、「自分もこれをやりたい」とDJの世界に飛び込みました。その人に出会っていなければ今の自分はいなかったと思います。

最初はなんでもやった。そして、動いた。

SHUNSUKE:
そこから佐世保の現場でキャリアをスタートさせて、自分でイベントをオーガナイズするようになっていったんですね。
 
DJ SHIGE:
はい。最初は師匠のイベントに呼んでもらって、キャッシャーやフライヤー配りなど裏方の仕事も何でもやりました。そこからすぐに自分でも定期的にイベントを打つようになって、とにかく自分で動いていましたね。
特に印象に残っているのは、米軍基地の黒人DJたちと一緒にパーティーをやらせてもらった時のことです。日本にいながら完全にアメリカの空気感で、ものすごいカルチャーショックを受けました。彼らは曲を本当によく知っているし、フロアのレスポンスや熱量がダイレクトなんですよね。そのバイブスを間近で体感して、「自分もこうなりたい、この空気感を作れるDJになりたい」と本気で腹を括りました。
 
SHUNSUKE:
地方だと集客のためにライブやショーケースを詰め込むイベントも多い中、DJメインの一晩を作り上げるスタイルにこだわっていたと。
 
DJ SHIGE:
そうですね。ゲストを呼ぶにしても、基本は一晩を通して音楽とグルーヴで楽しませる「パーティー」を作りたくて、5年くらいそのスタイルでオーガナイズを続けていました。
それに、東京の「FUNCTION」(DJ SHINTARO、FUJI、CHARIなど)や、九州の同世代である「UNIFIED MUSIC」(DJ RAYZ- RO、HATTAN、G-LAIYA)の存在にもかなり刺激を受けました。彼らは若手でありながら自分たちのスタイルを確立し、東京と九州を繋いでミックスを出し合ったりパーティーを成功させたりしていて本当にかっこよかった。自分も形は違えど、お店や仲間と一緒にアメリカ人も巻き込んだ強いパーティーカルチャーを佐世保で築いていきたいという大きなモチベーションになっていました。

自らオーナーを務めるFLEXが大切にしていること

SHUNSUKE:
そして2023年、佐世保にご自身がオーナーを務めるクラブ「FLEX」をオープンさせました。箱を持とうと決めたきっかけは何だったんでしょうか?
 
DJ SHIGE:
ずっと「いつか自分の店を持ちたい」という思いはあったんですが、最終的には勢いとタイミングですね。大きかったのは、沖縄の「HARVEL」でDJをやらせてもらった経験です。オーナーのRYUさんが若くしてプレイヤーとしてDJをしながら、自分のお店を持ってかっこいい現場を作り上げている姿を間近で見て、「自分も挑戦してみたい」と強く背中を押されました。それで物件を探してみたら良い場所が見つかり、一気に動き出しました。勢いって大事だなと思います。
 
SHUNSUKE:
実際に「FLEX」をスタートしてみて、現場の運営や音・空間作りで意識していることはありますか?
 
DJ SHIGE:
佐世保という土地柄、アメリカ人の喧嘩の対応やフロアコントロール、強い自己主張やリクエストへの対応など、タフな場面は日常茶飯事です笑
ただ、ありがたいことにオープン当初から米軍のコミュニティ内で「あそこは良い音がかかっている」と口コミが広がり、早い段階から足を運んでもらえるようになりました。
サウンド面ではヒップホップを軸にしつつも、アメリカ人と言っても、ラテン、カリビアンなどルーツは多様なので、ジャンルを決め打ちしすぎず、人種を問わず誰もが楽しめる空間を意識しています。
また、バーカウンターのお酒にもかなりこだわっています。アメリカ人はドン・フリオ(特にレポサド)や、リック・ロスでも知られるルック・ベレール(Luc Belaire)、ヘネシーなどを好むので、彼らが現場でリアルに求める銘柄をしっかり揃えています。東京や他所のクラブではなかなか出ないようなボトルも、うちでは日常的に空いていく。音楽とお酒が揃ってこそのパーティーですから、そこは一切妥協していません。
 
SHUNSUKE:
単なるプレイヤーから「ハコのオーナー」という立場になったことで、ご自身の意識や音楽への向き合い方に変化はありましたか?
 
DJ SHIGE:
正直なところ、今でも自分自身が「オーナー」だという堅苦しい感覚はあまりなくて、自分が現場で一番音楽を楽しんでいる自覚があります笑
ただ、若い頃は「ヒップホップ以外は認めない」みたいに尖っていた時期もありましたが、お店としてお金を払って来ていただく立場になり、「主役はあくまでお客さんであり、どう楽しんでもらうか」というお客さんファーストの視点がより深まりました。お客さんのルーツや好みに合わせて、新しいジャンルや多様な音楽を貪欲に勉強して引き出しを広げていく面白さを、今改めて実感しています。

次の世代へ繋いでいくこと

SHUNSUKE:
佐世保という街でカルチャーの拠点を守り、発信し続ける原動力は何ですか?
 
DJ SHIGE:
一番は、次の世代である若い子たちへカルチャーを繋いでいきたいという思いです。自分の弟子や若いラッパー、遊びに来てくれる若い子たちに、「日本にいながら本場のアメリカの熱量に触れられる、こんなに楽しい世界があるんだ」ということを伝えていきたい。お客さんや若いDJたちが深い音楽を知って楽しそうにしている姿を見るのが、今一番嬉しい瞬間ですね。
コロナ禍以降、全国的にも純粋なヒップホップのクラブや米軍系の箱が減り、地方でDJを長く続けるのはメンタル的にも簡単ではありません。佐世保でも毎週現場に立ち続けているプレイヤーは本当に少なくなっています。だからこそ、自分が急にいなくなってもカルチャーが途切れないよう、下の世代には県外での経験を積ませたり、時には赤字のリスクを背負ってでも自分でイベントを打つハングリーさを伝えたりと、コミュニティを育てていく意識を持たせています。
 
SHUNSUKE:
最後に、DJ SHIGEとして、そして「FLEX」として今後仕掛けていきたい展望や未来像を教えてください。
 
DJ SHIGE:
佐世保は福岡や空港からのアクセスがお世辞にも良いとは言えず、どうしても遠いイメージを持たれがちです。世間的には「ハウステンボス」の街という印象が強いかもしれません。
でも、基地の街だからこその濃厚なストリートカルチャーや音楽が息づいていて、他にはない特別な熱量を持った本当に魅力的な街です。若い才能も育ってきていますし、自分自身も現役プレイヤーとしてまだまだ負ける気はありません。「佐世保に行けば面白い音楽やカルチャーに出会える」と思ってもらいたい。全国の音楽好きや関係者がわざわざ足を運びたくなるような街にできるよう、FLEXを拠点にこれからも発信し続けていきたいです。
 
 
 
編集後記

米軍基地の街・佐世保で、本場アメリカの熱量と直結したリアルな現場を守り続けるDJ SHIGEくん。ドン・フリオが飛び交うタフなフロアを乗りこなしながら、「自分が一番音楽を楽しんでいる」と笑う姿に、本物の現場主義を感じました。地方でハコを構え、次世代へカルチャーを繋ごうと奮闘する彼の姿勢にはリスペクトしかありません。

そして今回、素晴らしい縁を繋いでくれた熊本のDJ AKIYAMAに心から感謝を。「佐世保に行けば面白い音楽に出会える」その熱量を体感しに、近いうち必ずFLEXの現場へ足を運びます。

 

プロフィール

  • DJ SHIGE

    DJ SHIGE

    長崎県佐世保市を拠点に活動するDJであり、ナイトクラブ「FLEX」のオーナー。 10代の頃に地元のクラブでダーティ・サウスの衝撃を食らい、DJとしてのキャリアをスタート。米軍基地がある佐世保ならではの環境のなか、現地の米軍DJやクラウドと一緒に夜を沸かせながら、本場アメリカ直撃のパーティーの空気感を肌で叩き込んできた。自ら現場でスピンし続ける傍ら、2023年には自身のクラブ「FLEX」をオープン。ヒップホップを軸にラテンやカリビアンまでクロスオーバーする選曲と、フロアのバイブスを逃さないプレイで、国籍を問わず集まるクラウドをロックし続けている。若い世代へのカルチャーの橋渡しにも力を注ぐ、佐世保のシーンに欠かせない重要人物。

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