私がメガネをかける理由

メガネDJであり続ける悲しい理由。

ライター:DJ SHUNSUKE

私DJ SHUNSUKEを知る人は外見的に見た時にメガネをイメージする事が多いようだ。私はおよそ20年前から常にメガネをかけてDJをしている為、そのようなイメージを持たれても仕方ないようにも思う。今日は、なぜ私がコンタクトでは無く「メガネ」をかけ続けているのかをお話ししよう。
世の中には、それを身につけるだけで「お、今日の服装いいね」と言われるような、一発逆転のファッションアイテムが存在する。私にとって、それはメガネだった。始まりは高校一年の初夏。当時付き合っていた、一つ年上の彼女(超美人だった)から言われた一言がきっかけだった。 「あなた、異様にメガネが似合うね」

“異様に”

人に向けるには若干の不穏さを含んだ副詞だ。褒められているのか、「メガネを外すと何かが不足する顔面構成ですね」という指摘なのかは不明だったが、当時の私は若く、そして単純だった。全国大会を目指して日々汗にまみれるような部活に所属しており、コートの上では裸眼でボールを追いかけていたが、教室に戻って授業が始まると、いそいそとメガネを装着した。視力を補うためではない。彼女から言われた「異様によく似合う」という状態を、一秒でも長く維持したかったからである。
大学時代になっても、メガネとの距離感は適度なものだった。かけたり、外したり。基本的には車の運転時など、本当に必要な瞬間だけケースから取り出すような、いわば「お助けアイテム」の位置づけだった。
潮目が変わったのは、時代の変化とともに、私のライフスタイルが大きくデジタルへと舵を切ってからだ。 DJブースにPCが導入され、薄暗い空間の中で光る画面を凝視する時間が爆発的に増えた。かつてのように外を走り回るのとはわけが違う。ブルーライトという名の不可視の光線が、容赦なく私の眼球を削っていく。気がつけば、あれよあれよという間に視力は坂道を転がり落ち、メガネなしでは街の看板の文字すら読めない体になっていた。
こうなると、周囲からは当然のように「コンタクトにしないの?」という質問が飛んでくる。特に、パーティ中動き回る人間にとって、顔面からズレ落ちるリスクのあるメガネは不便極まりないように見えるらしい。 だが、私にはコンタクトレンズを選ばない、否、選べない「ただ一つの理由」がある。

私の目は、細い。

どれくらい細いかというと、似顔絵を描いてもらうと目の部分は大体横線一本で表現されるくらいだ。この、一本の線のような眼球の隙間に、レンズという名の異物を滑り込ませるという行為は、私にとって「針の穴に特大のスイカを力ずくでねじ込む」くらい物理的に不可能なミッションだった。

実は過去に一度、意を決してコンタクトレンズを購入したことがあった。 しかし、世のコンタクトユーザーたちが鏡も見ずに片手でポンとレンズを装着しているのを真似しようとしても、私には魔術を使っているようにしか思えなかった。いざ入れようとするたびに目を開けることすらままならず、指先に載せたレンズが、頑なに閉じようとする上下のまぶたに阻まれ、ただただ目元の水分を奪っていく。装着までに気が遠くなるほどの時間を要するため、結果、ろくに使用することもないまま、レンズたちは引き出しの奥へと封印されることになったのである。
そんな中、ある現場の日、私は人生最大とも言える窮地に立たされていた。 よりによって、愛用のメガネをどこかで紛失してしまったのだ。予備のメガネはなく、現場の時間は刻一刻と迫る。背に腹は代えられない。私は引き出しの奥に眠っていた、いつのものかもわからない使い捨てコンタクトの残りを引っ張り出した。
右手を掲げ、左手でまぶたを限界まで上下に引っ張り上げる。その様はまるで、未知の生物の解剖現場のようだった。しかし、レンズが黒目に触れた瞬間に、人体が持つ防衛本能がマックスで作動し、まぶたがシャッターのようにピシャリと閉まる。格闘すること、実に三時間。気が付けば、すでに時刻は終電間際になっていた。三時間あれば映画を一本観て、さらにちょっとした自炊までできる。そんな貴重な人生の時間を、直径わずか数ミリのプラスチック片と睨み合うために費やすなど、我ながら馬鹿馬鹿しすぎると腹を立てていた。しかし、状況は最悪だった。手元に予備のメガネは無い。そのくせ、どういう奇跡か右目だけは「すん」とレンズが収まってしまっている。つまり、右目だけコンタクトが装着され、左目は裸眼のままという、どうしようもない状態で完全に詰んでしまったのだ。今さら右目のレンズを外す勇気も気力もない。よし、この調子で左目も、と悲壮な覚悟で意気込んだものの、左のまぶたは最後まで鉄壁の防御を誇った。何度やってもレンズは指先に戻ってくる。時計の針は無情にも進み、私は諦めて、その極めてアンバランスな状態のまま現場へと飛び出した。

結果は散々だった。 三次元の世界を生きているはずなのに、まるで「泥酔した状態で3Dメガネをかけさせられている」かのように足元がフラフラして、あらゆるモノとの距離感が狂い始めるのだ。機材を操作しようとしても、距離感が狂っているため、目的のボタンに手が届きすぎたり、逆に空振りをしたりする。あの夜の、頭がじわじわと痛くなるような強烈な不快感は、今でも忘れられない。上半身は真冬のダウンジャケット、下半身は真夏の海パンで、雪山に立たされているような、どうしようもないちぐはぐさだった。
それ以来、私は完全にメガネ派として腹を括った。 今では、私の自宅にはなんと20本以上のメガネたちが鎮座している。高校時代に「異様に似合う」と言ってくれた彼女の予言は、形を変えて私の人生に定着したわけだ。もちろん、メガネ生活も楽ばかりではない。大雨の日はレンズの水滴で前が見えなくなるし、冬場にマスクをして満員電車に駆け込んだ日には、一瞬でガラスが真っ白に曇って「何も見えないまま立ち尽くす完全な変態」が即時出来上がる。それでも、あの三時間の不毛な格闘を思えば、レンズを服の裾でキュキュッと拭く手間など、愛おしい平和そのものである。私の人生に、二つのプラスチック片が収まる隙間などハナからないのだ。今日も私はお気に入りのフレームを掛け直し、この細い目で、ブレない世界をしっかりと見据えている。たぶん。

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