音楽でストーリーを語り、物語で音楽を奏でていきます

日本バトルDJ界のレジェンドであり、「このミステリーがすごい!」大賞にて文庫グランプリを受賞したDJ宮島の異色のキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この仕事を選んだのか?このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

今回は、日本のDMCバトル部門・シングル部門の両方を制し、世界を舞台に戦ってきた日本屈指のターンテーブリストであり、スクラッチの概念を言語化して伝える「宮島塾」を主宰するDJ 宮島さんです。さらに今年は宝島社「このミステリーがすごい!」大賞にて文庫グランプリを受賞し、期待の新鋭作家としてデビューする宮島さんの、異色のキャリアを紐解きます。

ギターの速弾きからターンテーブルへ

SHUNSUKE:
まずは、宮島さんのこれまでの歩みを順に伺いたいのですが、楽器を持った最初のキッカケから教えていただけますか? 

DJ 宮島:
最初はヘヴィメタルのギターで速弾きとかをやってたんです。中学生くらいの時は尾崎豊とかも好きでしたけど、ギターをやり始めてからは、とにかく「手が早く動くこと」自体が好きで。特定のアーティストに憧れてというよりは、偶然家にあったギターを手に取ったのが始まりで、キッカケは友達でしたね。その友達の影響で、LOUDNESSの『CRAZY DOCTOR』とかに挑戦して、中3の時にはバンドのコンテストにも出ました。その時の曲はLUNA SEAの『WISH』でしたね。

SHUNSUKE:
そこから、ターンテーブルへと移っていくわけですが、何か決定的なキッカケがあったんですか?

DJ 宮島:
ターンテーブルも友達がキッカケなんですよ。ある日、友達が「ターンテーブルを7万円で売りたい」って周りに声をかけていて。僕はたまたま貯金があったから、そのみんなの輪の中で「ハイ」って手を挙げたんです。実はそれまで、ヒップホップなんて一度も聴いたことがなかったんですよ笑

SHUNSUKE:
え!ヒップホップを聴いたことがなくてターンテーブルを買ったんですか!?

DJ 宮島:
そうなんです。家にターンテーブルが届いた日(1996年6月27日)に、初めて聴いた最初の一曲が、Jeru the Damajaの『Come Clean』でした。そこから、やっぱりギターと同じで「手を早く動かしたい」ってなって、スクラッチにのめり込んでいきました。もちろん高校生の時なんかは『さんピン・CAMP』とかも見てますし、ヒップホップ的なファッションをしていたこともありますが、僕はヒップホップのカルチャーから入ったんじゃなくて、ターンテーブルを早く動かしてたら、それが結果的にヒップホップだったという形なんです。

QBert、D-Stylesへの対抗心と「間」の発見、そしてDMCへ

SHUNSUKE:
独学でスクラッチを始めて、まだ手本がない頃は何を基準に上達を感じていたんですか?

DJ 宮島:
当時は周りから「上手いね」とは言われていたんですけど、僕自身はDMCっていう大会の存在を知るまでに結構時間がかかったんです。初めて出たのは1999年の「ZEBRA COMPETITION」という大会で、DMCに初めて挑戦したのは2000年の関東予選でした。

SHUNSUKE:
そこから2002年のDMC日本チャンピオン(バトル部門)へと駆け上がっていくわけですね。宮島さんのスタイルといえば、世界的な有名DJであるQBertやD-Stylesたちからも「彼の何がすごいのか」という記事の中で、あえて音を鳴らさない「間」がすごいと絶賛されています。僕も動画などを色々見させていただいて本当にその通りだなと思ったんですけど、あのスタイルはどうやって磨かれていったんですか?

DJ 宮島:
それはね、真面目にちゃんと言うと、やっぱりQBertとD-Stylesって僕たち世代からしたら、ビデオに映ってる凄まじい技術を持ったアメリカ人ですよね。で、そういう風になりたくて練習してるわけなんですけど、自分がDMCとかで勝ったりすると、今度はそのQやDと実際に会う可能性が出てくるじゃないですか。その時に、QBertっぽくてもいけないし、D-Stylesっぽくてもいけない。基本的にバトルでは「音っていっぱい詰めた方がすごい」みたいな風潮があるので、ちょっと思い切って少なくしてみようかなって思ったのがキッカケです。QとDに対抗するためっていう所はかなりありますね。

SHUNSUKE:
その中でやっぱり、自分にしかない負けないものというか、そういったスタイルを作っていかないと勝負できないというような。

DJ 宮島:
なんか、似てると仲良くなれなくなっちゃいそうな気がして笑
どうせだったらそういう人と会った時にも楽しくやれたらいいなと思ってて。客観的に自分の立ち位置を作るための引き算というか、そんな感じですね。

↑2002年 DMC WORLD FINAL 会場だったロンドンでの1枚。この年、シングル部門でアジア人初となるワールドチャンピオンとなったDJ KENTAROと。

↑ワールドファイナルでの様子

↑バトル部門勝者のスタジアムジャンパーを着て。

挑戦を続けてきた理由

SHUNSUKE:
宮島さんは2002年に日本チャンピオンになって世界大会へ出て、2007年にはシングル部門でもう一度日本一、そして2015年にも入賞されています。20年以上にわたって今もシーンに名前を轟かせているわけですが、ずっとこういう大会という勝負の場に挑戦し続けられる、立ち続けられる秘訣みたいなものって何かありますか?

DJ 宮島:
えっとね、厳密に言いますと、2002年に出た時は学生が終わる時、だからもう就職するかどうかみたいな時に「最後に出とくか」っていうような感じだったんです。で、勝っちゃったわけじゃないですか。「おおっ」ってなって、なんとなくスクラッチの教室である「宮島塾」をやってたんですよ。だから本来はもう出る必要はなかったんですけど、2007年に出た理由っていうのは、おばあちゃんを亡くしたということでした。おばあちゃんが作ってくれた手作りのハチマキがあるんです。DMC 2002のWorldファイナルでも身に付けていたハチマキなんですけど、それをもう一回身に付けて出場しようと思ったんです。だから、その「勝ちに行く」とかっていうモチベーションではなくて、「ばあちゃんへの想いを込めて、もう一回ハチマキをして出場しよう」っていう事がキッカケなんですよ。2015年の時は結婚して、可愛い坊やが生まれたんです。子供を抱っこして舞台に立ちたいって思ったのがキッカケです。ステージに上がった時に何も覚えておくことができない赤子の時じゃなくて、なんとなく記憶に残るかもしれない2・3才の時に出ようと思って出場しました。だから、SHUNSUKEさんの思ってるような、なんか「ずっとモチベーションを維持して、そんな間が空いても常に勝負に出てる」みたいな感じでは実はなくて。事実としてはそういう家族の節目がきっかけでしたね。うん。 

SHUNSUKE:
常にギラギラ戦っているという感じでもなく、何かしら人生の大きなキッカケがあって出場してきた、と言う事なんですね。

DJ 宮島:
そうです。あんまり大きな会場に出る機会ないから、戦いというよりはどっちかというと「学芸会」みたいな感じの感覚があるんですね。だから勝とう!としたプレーをしてもいないです。出るからには自分の中で一番最強なことはしたいから。ただ、その時々の想いを抱えて出ているわけで。おばあちゃんが死んだときは「おばあちゃんにかっこいいプレイが届くように」って願ってやるわけです。なのでやっぱり、いいプレイができちゃって勝っちゃう、みたいな感じというか。そういう節目ってモチベーションになったりはしますけど、何もないときは人間なので、そんなに高いモチベーションが続くわけでもないです。2005年ぐらいの時にもうやめようと思って、引きこもった事もありました。

SHUNSUKE:
気持ちの浮き沈みはだれでもありますもんね。でも常にスクラッチの練習というか、そういうトレーニングみたいなのは?

DJ 宮島:
それはね、むちゃくちゃやってましたね。頭おかしいんじゃないかっていうぐらい、毎日朝練したりとかしてました。ずっと。ただ、この二年位は以前のようには練習していないです。後で話す話題の事もあって、すっごいサボってます笑

宮島塾と言語化、ターンテーブルとアナログレコードへの執着

SHUNSUKE:
僕自身、宮島さんのことをなぜ知っているかと言いますと「宮島塾」の存在は当然知ってました。そもそもどうして宮島塾を始めようと思ったんですか?

DJ 宮島:
最初に教室を始めたキッカケっていうのは、立川に「LINK」というクラブができまして。『マネーの虎』でお金を獲得して作った店なんですよ。その獲得したのが知り合いだったんです。で、「ここで教室してみませんか」って言われたのがキッカケなんですね。で、まあやってみるじゃないですか。やってみたらやっぱり最初よくわかんなくて、なんか「こんな感じだよ」つって教えてて笑
でもやっぱり僕の感覚的には「こんな感じだよ」っていうのが正解なんですけど、それができない人には、色々な角度で教えていくわけです。様々なタイプのできない人に対する、なんか「このタイプの人はこうだ」とかっていうのが教えながら教えるのもうまくなってきたっていう感じです。だから最初はもう適当でしたね、本当に。

SHUNSUKE:
適当だったんですね笑

DJ 宮島:
まあ今も適当なんですけど、適当な方がね、上手くなるんですよ。教科書みたいのをやってもダメなケースもある。日本人が学校で英語学んでるのに英語喋れないみたいな問題あるじゃないですか。ああいうのと一緒です。ちゃんとやってもダメで「このぐらい」みたいなのが大事だなっていう感じのままやってますね。
「今は絶対に練習してください」っていう時と、「今いっぱい練習しても変わんないから適当でいいです」っていう時とかあったりするんです。逆に全部の練習を頑張っちゃうと変な癖ついたりするから「あなたは今やってもあんま変わらないです」って言ってやんないように促す事もあります。いっつも練習しないで来る人がいても、「今だけは絶対に練習しなさい」って言ったりすると、ちゃんと定着したりとか。そういう加減も最近はわかるようになってきたなって感じはしますね。

SHUNSUKE:
教室を始める前後で人に宮島さんのプレイに変化とかってありましたか?

DJ 宮島:
人に教えるのと、自分のそのショーみたいなのをやる時っていうのは全く別ですかね。やっぱショーはね、自分のベストな状態を出せるかなんですよ。緊張したり、お客さんから「ウエー!」とかって盛り上がられて意識が乱れてしまうかとかもやっぱりあるので。「自分対自分戦」なんです、ずっと。だからうまくいったなって思えたら、人がシーンとしてても僕は「良し!」って思えるけど、人が「うおーっ」て言ってても、「いや、今日ダメだったな」って時があるんです。そういう感覚です。ただ、教えてると技術は高くなりますね。自分ができないと困っちゃうんで笑

敢えてアナログレコードで表現をしていくこと

SHUNSUKE:
現代はデジタルで音楽が簡単に手に入る時代になりましたよね。宮島塾のホームページを拝見させていただんですが「CDJなどを含むデジタルDJの教室ではありません。」と記載がありました。つまり、「アナログレコード」ですよね。アナログ、大きなレコードで物理的に手で操ることにこだわっている理由。もちろんデジタルでもスクラッチできると思うんですけど、それとは別に、あえてアナログレコードで表現をしていくことにこだわりを持っている理由だったり、それを使ってるからこう面白いんだよ、ということがあればお伺いしたいです。

DJ 宮島:
ちょっと厳密な話すると、やっぱり本当のアナログレコードの音と、SERATO DJのような電子音で一応アナログ盤の形は全部一緒なんだけどパソコンの音が回ってるっていうのでは、実は結構違うんですよね。物理的にスクラッチ出来る事は出来るんですけど、本音を言っちゃうと別物ぐらい違うんです。なので、アナログレコードでできてることを完全に習得するためには、CDJやSERATO DJとか使っちゃうと再現するのは無理なんです。SERATO等のデジタルDJは、初期設定だとオーディオバッファーサイズのレイテンシーみたいなのが真ん中に設定されてるんです。あれだとアナログと同じ感覚でやると結構ずれるんですよ、レコードの動きとパソコンの動きと。「ぴったりモード」みたいな方に寄せると、まあほぼ一緒になるんです。で、それがもし数値が最初に話した真ん中だった場合、僕だとですよ、もうスクラッチができないんですね。もうターンテーブルに触れただけでも音が違うから、「あ、ダメだダメだ、パソコンずれてるわこれ」って、設定を直す。それぐらい実は違くて。普段SERATOでDJしている人が久しぶりにアナログで擦ってみたら「なんかパソコンよりアナログの方がやりやすい」とかって言ったりしますけど、そいうのを感覚でキャッチしてるんだろうなって思います。あとは単純にアナログの音を擦るのとデジタルの音を擦るのでは少し音も違いますしね。そういう意味でもアナログでやる事をデジタルで再現するのは無理なんです。
僕が得意なのはアナログレコードで使った時のこのなんか「絶妙な感覚」を教えるのが得意なわけですから「CDJなんですけど教えてください」とかってなった時には「それうちじゃなくても別で教室ありますよ」という形で、寄せないようにしてるっていう。拒むとかじゃないんですけどね。僕はその「絶妙な感覚」を大切にしたいし、それを知りたいと思ってくれる人に教えていきたい。

SHUNSUKE:
あえて差別化みたいな部分もあるんですか?

DJ 宮島:
時代や、みんなの希望に合わせてると、やっぱりよくわかんなくなっちゃうんですよね。だから「アナログとデジタルのスクラッチは絶対に同じではない」みたいなことはバシッと言いたいです。雰囲気とかニュアンスが全く違う。「アナログレコードでDJしている僕のここを見たら分かるよ」とか、そういうのを僕はやりたくって。なのでデジタルで教えるっていうことはしていないです。「アナログでやる」っていう方が生きやすい人とかもいるはずだから、そういうのもあってって感じですかね。

デジタルとアナログの違い問題みたいなのは、もう全部の業界がそうじゃないですか、今。絵とか描く人とかも。なんなら曲作る人とかもなんかね、アナログのサンプラーをこういう風にボンボンって押して作ってるか、画面に打ち込んでるかとかでも違うし。今ってなんかそういう時代ですよね。最先端の中に、あえてその質感を残すみたいな。

偶然が生むサックス・ルーティン

SHUNSUKE:
宮島さんの過去の動画で、サックスの音をまるで生き物のように奏でているセットがYouTubeに上がっていますよね。あれを拝見した時、単なるプレイという枠を超えて、音を通した「会話」やジャズミュージシャンのセッションのようなものを強く感じたんです。お客さんに何かを伝えようと言葉を喋っているようにも見えました。あの緻密なルーティンは、もちろん即興というわけではないんですよね?

DJ 宮島:
即興ではないですね。キーやテンポを合わせて構築していくんですけど……ただ、あれは本当に「偶然の産物」なんですよ。レコードからサックスの音が抜けている部分を見つけて、そこに合う曲をはめていく。偶然が重ならないと絶対にできないんです。

SHUNSUKE:
そういうルーティンを構築する時というのは、あらかじめ頭の中で鳴らすイメージを作ってから探すのか、それともレコードを触っているうちに「あれ、今いい音が鳴ったな」という発見からスタートするのか、どちらなんですか?

DJ 宮島:
どちらかというと後者ですね。レコードに吹き込まれているサックスのフレーズ自体は変えられないですし、ターンテーブルは右回転するから、いきなり二回転前には戻れない。つまり、物理的にその「溝の近辺」にある音しか使えないんです。そうなると、そこで作れるメロディーっていうのはある程度決まってきます。

SHUNSUKE:
なるほど、盤面の物理的な制約が先にあると。

DJ 宮島:
そうなんです。「じゃあこの制約の中でどうするか」と決めてから、それにぴったり合う曲を探していく感じになりますね。だから作り方としては、自分の音楽観を先行させるというより、レコード盤に物理的に支配されている感覚に近いです。
ちなみにあのサックスネタのルーティンなんて、本当に超絶偶然ですからね(笑)。僕の生徒さんに、「家にある知らないレコードでいいから何でも持ってきて」って頼んだんです。それで持ってきてもらったやつをどんどん当てはめていったら、「あ、これめちゃくちゃいいじゃん!」って完成した。

SHUNSUKE:
へー! それは面白いですね。

DJ 宮島:
だから自分のレコードでもない、借り物なんです笑
返してないけど笑

SHUNSUKE:
借り物なんですね笑
でも、その「向き合う作業」こそが楽しさだったりもするんでしょうね。

DJ 宮島:
本当にそう。ルーティン作りの一番面白いところはそこなんですよね。本当に小さな音ですよね。レコード盤の上を何ミリ、あるいは零点何ミリしか移動しないような場所に針を落として、ピンポイントで「ペッ」って音を鳴らしたり。そういう細かな音を探して構築する作業が、とにかく楽しいんです。その「零点何ミリの世界をコントロールするのが楽しいんだ」っていう部分が広まると嬉しいですよね。「あ、なんかよく分からないけどカッコいいかも」って思ってもらえたら最高です。

「勝っちゃった人」の特権と、潜んで突き詰める覚悟

SHUNSUKE:
技術が大切なのはもちろんとして、長く愛される表現者であり続けるために、最も必要な「心の持ちよう」とは何だと思いますか?

DJ 宮島:
これははっきり言って、僕の世代で、あの時代で、あの時ちょうど僕の年齢が適齢期だったという「運」が大きかったと思っています。シーンにはQBertやD-Stylesといったレジェンドたちがちょうどいて、その中で偶然、僕がちょっと上手かったというだけのタイミングなんですよ。絶対にラッキーなんです。ただ、「勝っちゃったからには」という動き方は意識してきました。つまり、“勝っちゃった人”としての生き方ですね。
要するに、みんなが喜ぶようなキャッチーなスクラッチに流れることもしなかったし、なんなら一時期は表舞台から「隠れる(出ない)」という選択をしました。「勝っちゃった人で、スクラッチが上手い奴」というキャラクターのまま過ごそうと思ったんです。後輩たちが僕の背中を追っているのか、ただ見ているのかは自分では分かりませんが、とにかく僕は「余計なこと」つまり、スクラッチ以外はしませんでした。「僕はこれです」と一本に決めて、その代わりもっと凄くなる。そうやって余計なことをしなかったのが、今思えば大事だったのかなと思いますね。だからこそ、SHUNSUKEさんにもこうして見つけてもらえたんじゃないかと思います。

SHUNSUKE:
僕達クラブDJは宮島さんに対して、いわゆる普通のクラブDJをやっているというイメージはあまり持っていなくて。完全にスクラッチやショーケースの職人という印象です。

DJ 宮島:
一般的なクラブプレイはほぼやったことがないですし、なんなら出演回数自体もそんなに多くないですからね笑
職人と今言われましたけど、やっぱり、突き詰めないと到達できない領域があります。ただ、僕みたいに「表に出ずに潜んで突き詰める」というやり方は、誰もができることではないとも思うんです。「スクラッチがめちゃくちゃ上手い」とか「ジャグリングの達人だ」っていう圧倒的なものがあるからこそ許される特権というか。普通に潜んでしまったら、ただの「最近DJやらなくなった人」になっちゃうじゃないですか。「あいつ、最近見かけないな」で終わってしまう笑
だからこそ、その特権というか、大会で勝てたという絶対的なラッキーを、その後の活動にうまく役立てて、自分の役割を全うしてきたという感覚ですね。心持というか、そういうスタンスでずっと続けてきたのかなと思います。

「なんとなく」を信じて、ペンを握る

SHUNSUKE:
それでは、もう一つの顔についてのお話を聞いていきたいと思います。宝島社が主催する「このミステリーがすごい!」大賞で、文庫グランプリを受賞されたと言う事で。聞いた時に、僕、耳を疑いました。おめでとうございます!

DJ 宮島:
ありがとうございます!僕もびっくりしてるんですけどね笑
「このミステリーがすごい!」知ってました?

SHUNSUKE:
知ってました。僕もライターの端くれで、コラムとか記事を書くので本も読むんですけど、「このミス」で受賞のお話を聞いて本当にびっくりしました。趣味とかのレベルじゃないなと。6/3に本も出版されると聞いてさらに驚きました。

DJ 宮島:
DJが本を出すっていっても教則本でなく小説って言われたら自費出版とか思いますよね。今回はメジャー、いわゆる大手出版社である宝島社から出ます。

SHUNSUKE:
今まで音楽に命をかけてやられてきたんだろうなっていうのは感じているんですけど、今回楽器ではなくって「ペン」じゃないですか。ペンを持って物語を書いていこうと決めた一番のキッカケって何だったんですか?

DJ 宮島:
これもまた結局偶然になっちゃうんですけど、「書いてみたらちょっと書けた」っていうことなんですよ。書いてみたのが三年前。前から興味はあったというか、本は読んでて「書けるようになったらいいなぁ」なんて思ってたんですけど、結局、何を何のソフトを使って書けばいいのかとかってわかんないじゃないですか。パソコンでやって縦書きでやってみたりしたけど、なんかしっくりこなくって。「これなんで合ってるのかな。原稿用紙って時代じゃねえしな」つって笑
で、思い切ってスマホで書いてみたんですよ。で、そしたらPDFに保存できて送ったりできるから、それやって宮島塾の生徒さんに送りつけたところ「読めちゃいますよ」と。そんな反応してもらえるとこっちも嬉しいじゃないですか。「マジか」ってなって。「じゃあ書くわ」っていうのがキッカケです。それで一作目に書いた作品を「小説すばる新人賞」っていう集英社の企画に応募したら、結構いいとこまで行って名前が雑誌に載ったんです。それで「もう辞める選択肢はないな」と。「才能あるに決まってる」と思って笑

SHUNSUKE:
大きなキッカケはなかったっていう事ですか?

DJ 宮島:
そうですね。大きなキッカケと言われたらないです。それに、最初から「絶対に小説家になるんだ!」って固く決意していたわけではないんですよ。やってみたら書けたし、なんか良いところまで行ったから、やめる理由がなくなったという感じで。ただ、僕は一度ハマると凄くのめり込んでしまうタイプなので、面白くなっちゃって。1日10時間くらい書いていましたね。途中でなかなか受賞できない時期は、「ちょっとこれヤバいかもしれない、こんなに小説を書きまくって結果が出なかったらマズいな」という焦りもありましたけど。でも「ここまで来たら受かるまでやるか」と思って、とにかく新しい作品をどんどん書いて応募しまくっていました。

SHUNSUKE:
本格的に書き始められたのは3年ほど前から。それでメジャーな大賞で受賞っていうのは中々信じがたいです。これまでに何作くらい応募されたんですか?

DJ 宮島:
全部で5作くらい応募しましたね。1年目の年末か、あるいは3月くらいに応募して。その審査結果が出るのを待っている間も、ずっと次の作品を書き続けて、結果が出る前にどんどん応募して…というのを繰り返して、5作目でようやく実を結んだという感じでした。

SHUNSUKE:
応募された作品は、すべてミステリー小説ですか?

DJ 宮島:
いえ、全然ミステリーじゃないんですよ笑
今回受賞した作品も、ミステリーかどうかちょっと怪しいくらいで。それはSHUNSUKEさんも実際に読んでもらって、「これ、ミステリーじゃなくない?」と思ったら、ぜひ正直に言ってください笑

SHUNSUKE:
今回出版される本は何というタイトルになるんですか?

DJ 宮島:
『刑事の境界線』です。応募時は『馬と亀』というタイトルでした。

SHUNSUKE:
ネタバレしない程度でいいんですけれども、この作品を通じて、読者に一番伝えたかったメッセージ、また、特にこだわったシーンの描写だったりとか、お話しできる範囲でお伺いできますか?

DJ 宮島:
担当の編集者さんにも言われたことなのですが、「悪というものの境界線、あるいは善人が行う悪」のようなものを書きたいという想いが根底にありました。僕自身、昔から冤罪のニュースなどが妙に気になるタイプで「何が本当の悪なのか」を深く考えてしまう癖があるんです。その視点が、作品の中に色濃く滲み出ていると思います。
こだわったのは、シーンというよりも「構成」ですね。この作品には二人の主人公が登場するのですが、同じ警察署に所属していながら部署が全く違うため、物語のほぼ最後まで一切面識がありません。お互いに出会うことなく二つの視点で物語が並行して進み、最後の最後でカチャッとピースが噛み合うように出会う。こういう構成を「モジュラー型ミステリー」と呼ぶらしいのですが、読者だけには「あっちでこれが起きている時に、こっちではこれが起きている」と全貌が見えている面白さがあります。このパズル的な構成が評価されて、受賞に繋がったのではないかと思っています。

SHUNSUKE:
選考委員の方々の選評も読ませていただいて、純粋に「読んでみたい!」と今思ってます!
ところで、宮島さんの「文章」と「音楽」の間には、何か絶妙な関係性があるんじゃないかと勝手に想像しているのですが、そのあたりはいかがですか?

DJ 宮島:
実は、もの凄く深い関係性があります。「音楽と」と言ってしまうと少し大げさかもしれませんが、DJのバトル・ルーティンを作る時の感覚と、小説を書く時の感覚がすごく似ているんです。 ルーティンを作る時って、「始まりはこんな感じで、終わりはこんな着地にする」というゴールを最初にきちんと決めて、その間を「しょうがないから、この音をこう繋げて…」という風に、つじつまを合わせていくじゃないですか。

SHUNSUKE:
物語の「起承転結」のような流れですよね。

DJ 宮島:
そうなんです。どこまでも自由にデタラメに音を増やしていくわけじゃなくて、「こことここの音の要素があるから、物理的にこう繋がっちゃうんだ」という制約の中で作っていく小説の書き方も全く同じです。小説には「プロット」という設計図があるのですが、それを作らずにいきなり書き始められる人はきっと天才なんですよね。僕はそうではなくて、きっちり設計図を作ってから書き始めます。 ただ、設計図通りに書いているつもりでも、「あ、ここちょっと展開がおかしくなっちゃったな、どうしよう。こう変えた方がいいかな?」と修正していくうちに、そのアドリブの部分が逆に面白くなったりする。この作り方は、バトルのルーティン作りと本当に全く一緒ですね。「しょうがないから、ここはこうするしかないだろう!」という追い込まれた中でのひらめきも含めて、すごく似ています。小説に関しては、僕はもう完全に「始まりとゴール」を決めてからしか書き始めないですね。ただ、その決まったルートを進む中で、ちょっとしたアドリブを入れていくんです。 文章の面白さって、やっぱり「伏線を張って、それを綺麗に回収する」ことだと思うんですよね。そこが思い通りにカチッと決まると、「よしよし、お見事!」って自分でも嬉しくなりますし、そういう仕掛けをやりたくて書いている部分もあります。

SHUNSUKE:
まさにルーティン作りと同じですね。

DJ 宮島:
似ていますね。純粋な「音楽」そのものと似ているかと言われると少し違うかもしれませんが、作品を構築していく作業としては、もの凄く近い場所にあります。 そういう「枠組みを構築していく作り方」が、僕自身の性に合っているんでしょうね。バトルのルーティン作りと小説の執筆は、自分の中では全く同じ感覚なんです。

人生の「二周目」開始。文字と音で紡ぐ表現の未来

SHUNSUKE:
宮島さんはその日本を代表するDJと、期待の新鋭作家としての二つの顔を今回のデビューによって持つことになりますよね。宮島さんの日常だったり、世界の見え方みたいなものっていうのは変化が出てきたり、宮島さん自身のマインド的なものに変化って出てきましたか?

DJ 宮島:
めちゃくちゃありましたね。文学賞を受賞するなんて、普通に考えたらなかなかないじゃないですか。だから家族みんなで授賞式に行ってみたら、そこには「小説家」しかいなかったんですよ笑
今までの人生で小説家に会ったことなんて一度もなかったのに、映画化やドラマ化されているような著名な作家の方々がとにかくたくさん集まっていて。「世の中にこんな空間があるのか」と圧倒されましたね。ご本人たちはそこにいるのが当たり前だと思っているんでしょうけど。
でも、それってさっきの話じゃないですけど、DJの世界での僕とQBertの関係に似ているなと思って。QBertってバトルの世界では凄く有名な人ですけど、僕は彼が来日したら普通に遊んだりするんです。昔からそうだから、僕にとってはそれが日常なんですけど、普通のDJからしたら信じられないことじゃないですか。そういうギャップって、ずっとDJをやってきた自分の中ではなかなか気づけないんですよね。
ただ、今回こうして小説家になったことで「ああ、自分はめちゃくちゃフレッシュな一年生になったんだな」という感覚があります。DJを始めたばかりの頃、初めて機材を買った時のあのワクワク感を思い出したんですよね。授賞式の会場で多くの小説家の方々に囲まれながら、まさにその頃と似た新鮮な感覚になっていました。なんだか人生の二周目が始まったような感じがしています。
少しだけこれまでを振り返ってみると、自分の今日までの人生すら「下手したら、これは一つの物語だったんじゃないか」と思えるくらいの感覚になりますね。ここからこの記事を読んでくれた人たちが僕の本を一人2冊ずつ買ってくれれば、小説が爆売れして大金を掴む、という皆さんが想像できないような物語が本当に起こるかもしれないわけですし笑
まあ、それは冗談として「人生、本当に色んなことが起きるんだな」と、今すごく楽しくなっています。

これからのDJ 宮島について

SHUNSUKE:
最後に、これからの宮島さんの表現について、総括をお願いします。

DJ 宮島:
バトルDJの世界で音楽を奏でてきました。ラッキーな事に勝つ事が出来ましたが、とにかくそれに絞って一生懸命にやってきたのは間違いない事実です。数年前からペンを握ってひたすらに書いてきました。先ほど「才能あるに決まってる!」なんて言いましたが、今も書くということを一生懸命にやっています。ただ、音楽も小説も、最初は「なんとなく」だったのかなと思う事もあります。自分の中の『なんとなく』を信じてみよう、と思ってやってきたかもしれませんが、その信じた事をひたすらにこの先もがんばって表現していきたい。

僕は「音楽でストーリーを語り、物語で音楽を奏でていきます」

これは今のところ、僕にしか言えない言葉だと思います。

最後カッコつけちゃったかな笑

【編集後記】
ターンテーブルを回す手も、物語を綴る手も、宮島氏にとっては同じ「魂の出力」なのだと感じさせられた今回の対談。彼が描く新たな境界線が、どのような旋律を奏でるのか。6月のデビュー作『刑事の境界線』を心待ちにしたい。

プロフィール

  • DJ 宮島

    DJ 宮島

    1996年、偶然の出会いからヒップホップを知らぬままターンテーブルを入手し、スクラッチの世界へ没頭。独学で驚異的なスキルを磨き上げ、2002年の「DMC Japan Final」バトル部門で優勝し、世界大会へ進出を果たす。その後、2007年のシングル部門でも再び日本一の座に輝き、2015年の同部門でも3位入賞を果たすなど、20年以上にわたり日本のターンテーブルシーンのトップを走り続けてきた。 独自の「間」を活かした比類なきスクラッチスタイルは、世界のレジェンドからも絶賛される。また、感覚的な技術を言語化して教えるスクラッチスクール「宮島塾」を主宰し、多くのタイトルホルダーを輩出。さらに、2025年には第24回『このミステリーがすごい!』大賞の文庫グランプリを受賞し、ダブル主人公のモジュラー型ミステリー『刑事の境界線』で小説家としてデビューを果たす。音と文字の境界線を越え、唯一無二の表現活動を続けている。

タグ一覧