目 次
パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この仕事を選んだのか?このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解きます。
今回のゲストは、日本のアンダーグラウンドシーンで30年近くにわたって活躍し続けるDJ O-NO(オノ)さん。これまでに東京→札幌→福岡…と拠点を変えながら、DJ、ビートメイク、そしてイベント企画を通して数々のムーブメントを起こしてきたレジェンド。圧倒的なキャリアとプロップスを誇る一方で、とことんローカルに還元する献身的な姿勢はまさに人間国宝!時を超え町を超え、エネルギッシュに活動し続けるその原動力に迫ります。
バンドマンからヒップホップDJへ

レペゼン :
ついにO-NOさんにお話を聞くことができて感無量です!まずは自己紹介からお願いします。
O-NO :
DJ O-NOです。1973年生まれ。東京の町田っていうところの出身です。39歳で札幌に移住して6年弱暮らして、さらに福岡に移住して、もう丸7年になります。
レペゼン :
様々な街でのご活躍について深掘りしていきたいのですが、まずは音楽との出会いからお聞かせください。
O-NO :
兄貴の影響で小学校の時にはもう洋楽をよく聴いていて、さらに中学校からバンドを始めました。
レペゼン :
DJの前にバンドもされていたんですね!では、当時聴かれていた音楽もロックが多かったんですか?
O-NO :
ロックでしたね。その中にラン・D.M.C.みたいなヒップホップ畑のアーティストも入っていたんですが、最初はそこまでハマることもなく。
レペゼン :
そこからヒップホップに傾倒していくのは、時代的な影響もあったんでしょうか?
O-NO :
そうですね。90年代から徐々にヒップホップのカルチャーが熱くなってきて。バンドもやりながらヒップホップのレコードも掘るという時期を経て、徐々にDJの方に本格的に進むことになります。
レペゼン :
現在、DJと並行して、ビートメイカーとしても活動されていますが、ビート作りはいつ頃から始めたんですか?

現在は福岡在住のDJ/ビートメイカーSUMICO PLUE(左)とのビートメイクユニット「SUNDAY LOOP SESSION」としても活動中。
O-NO :
2000年頃、3人組のプロデューサーチームを作ってビートを作りまくって修行し始めたのが最初ですね。
レペゼン :
今みたいにビートメイクのノウハウがどこかに載っていることもなかったと思うんですが、どういう風に作っていたんですか?
O-NO :
もうひたすら試行錯誤するしかなく、手探りでビートを作っていました。でもはじめのうちは、同じ曲をサンプリングして同じキーで弾いても、出来上がったビートが同じようにならなくてね笑
レペゼン :
そうだったんですか!ビートメイクは奥深いですね。
1人でNYへ買い付けの旅!?
レコード業界の洗礼

レペゼン :
そしてO-NOさんは、オンラインのレコードショップ「HIP TANK RECORD」も長く運営されています。DJ同様、若い頃からこの業界にいらっしゃったんですか?
O-NO :
そうですね。24歳の時、町田の老舗レコード屋のFREAKS RECORDS(以下 : FREAKS)で務め出したのを機に、レコード業界に入っていくことになります。当時レコード屋の店員ってカリスマだったし、そこで働くことは大きなステータスだったんです。
レペゼン :
そんな憧れのレコード業界、いざ入ってみていかがでしたか?
O-NO :
今とは全然違う働き方でしたね。入って1ヶ月くらいで、アメリカに買い付けに行かせられたりして笑
レペゼン :
1ヶ月で!?めちゃくちゃ即戦力じゃないですか!笑
O-NO :
そうなんです。3ヶ月くらい1人で東海岸に滞在して、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアとかを1人で車で回って……。
レペゼン :
“現場叩き上げ”のレベルが違いますね笑
キャリアを大きく変えた
ダンサーとの邂逅

レペゼン :
O-NOさんは、ダンスシーンとの親交も深いことでも知られています。ダンサーとの出会いのきっかけはいつ頃ですか?
O-NO :
だいたい2000年初頭くらいですね。その頃、僕らの下の世代達に地元の町田を盛り上げようという気運が高まっていたんです。そのムーブメントのさなかにいたTAKESABURO(以下 : TAKE)と出会い、彼が所属していたXXX-LARGE(*)のメンバーや周りのダンサーと繋がったのが大きいですね。それまで自分はダンスの現場に全然いなかったけど、どんどん活動の主軸がそっちになっていきました。
※ … 90年代から活動を続ける日本屈指のストリートダンサー。自身が手がけるバトルイベント、アパレルブランドからも無二の感性を発信中。
※ … 東京を拠点に活動するヒップホップダンスチーム。シンプルながらも爆発力のあるスタイルで多くのダンサーに影響を与えた。
レペゼン :
ダンサーと一番共鳴した部分はどんなところだと思いますか?

ヒップホップを通して繋がったダンサー達とは、今も交流が続いている。
O-NO :
彼らと会うまではDJブース前の人が首を軽く振るくらいだったんだけど、ダンサーはやっぱりDJタイムにがっつり踊ってくれるんですよね。TAKEやその周りと遊ぶようになってからはそれを特に感じました。彼らは彼らでヒップホップのことを知りたくていろいろ聞いてくれるし、あの当時はずっと一緒に遊んでいました。
NYのレジェンドとの楽曲制作

レペゼン :
これまでのキャリアの中で忘れられない出来事はありますか?
O-NO :
2006年頃、ジェルー・ザ・ダマジャが来日した時に一緒に曲を作ったことですね。
レペゼン :
え!すごすぎます…!一緒にスタジオに入ってレコーディングしたということですか?
O-NO :
はい。ただ、ジェルーが来る数日前にその話が決まったので、そこから急いでトラックを作りました。でも彼は当日まで自分たちのトラックを一切聴いていない状態で来たんですよ笑
レペゼン :
めっちゃラフですね笑

ジェルー・ザ・ダマジャとO-NO
O-NO :
彼はスタジオに入ってからその場で僕のトラックを聴きながらリリックを書いていたんですが、1時間足らずで3バースくらいを一気に書き上げて、そのまますぐレコーディングが始まりました。
レペゼン :
かっこいい笑
そしてその後、ジェルーに会いにニューヨークにも行かれたとか?
O-NO :
そうです。そこで、せっかくなら当時一緒に動いていたダンサーも便乗して一緒に行こうという話になって。さらに現地で踊る様子を撮り溜めて作品にしようという事で、渡航前にシナリオやスケジュール、現地のカメラマンをある程度決めてニューヨークに行きました。


その後の映像作品のツアーのフライヤー
レペゼン :
一回のレコーディングの機会からそんな大規模なムーブメントにまで繋がったと考えると、めちゃくちゃ面白いですね。
39歳で訪れた1度目の転機。
札幌への移住

レペゼン :
2013年に札幌に移住されたということですが、それまでに何かしらの繋がりがあったんですか?
O-NO :
町田の後輩でもある山仁(やまじん)(*)が2007年くらいにTHA BLUE HERBのBOSS君と曲を作ることになった時に「トラックを作ってほしい」と言われて。で、そのあたりからBOSS君ともやりとりしだしたのが札幌と縁を持ったきっかけです。あとは一緒に東京でパーティもやっていたMETH(*)が北海道出身だったこともあり、札幌のシーンについて色々聞いたりすることが多くて。
※ … 長崎県出身・東京の町田を拠点に活動するラッパー。ヒップホップバンド「Loop Junktion」のメンバーとしても知られる。
※ … XXX-LARGEメンバーとしてシーンを席巻してきたストリートダンサー。ダンス以外にも、DJ、デザイナー、レコード店オーナーとしての面も持つ。
レペゼン :
活動の中で徐々に縁を感じていったんですね。そして移住後は、東京で主催されていたパーティ・SNAFU(スナフ)(*)を復活させ、札幌のシーンを活性化させたことも、O-NOさんのキャリアを語るうえでは欠かせないトピックです。
※ … ダンス、DJ、ライブと多様なプレイヤーが交差するだけでなく、幅広い世代・地域のプレイヤーを巻き込んだ。2018年、惜しまれながらも“一旦”休止。
O-NO :
楽しかったですね。自分が移住する前の年にはMETHも地元の斜里(しゃり)に帰っていたので、東京でやっていたものをどう札幌でやるかという話はかなりしていましたね。METHの下の世代のダンサー達にも手伝ってもらって。

朝方の集合写真。東京時代からの盟友・METH(写真右)もパーティ成功の立役者。
レペゼン :
写真からも幅広い世代が参加していたことがうかがえますね!
2度目の転機は45歳!
福岡への移住

レペゼン :
札幌の次は福岡への移住ですね。こちらの経緯はなんだったんですか?
O-NO :
もともと札幌から福岡に遊びに行く機会があったから友達も何人かいたし、発信もしやすいんじゃないかと思って。同時に札幌でもある程度やり切った感があったんです。
レペゼン :
前向きな動機だったんですね。福岡へ移住した後、新たなイベント・Sureshot(シュアショット)(*)を始められました。新天地でのイベント主催はいかがでしたか?
※ … ダンスカルチャーやヒップホップを軸として地元プレイヤーとゲストが交わるパーティ。老舗クラブ・Keith Flackで開催。
O-NO :
それまでは下の子たち含め周りのみんなが動いてくれてたおかげで、自分がすることが特になかったんですよね笑
でも今は、これまで経験したことを踏まえて全部1人でやっているのが変わったところかもしれません。
レペゼン :
いやいや、札幌時代も「特にすることがない」ことはないはずですが……笑
とはいえ1人で全てをこなされているのは、本当にすごいですね。ここでも毎回豪華なゲストダンサーを呼んでいるということですが、ダンサーにフォーカスするのは何か理由があるんでしょうか?

O-NO :
DJタイムに踊ってくれるダンサーには助けられてきたし、純粋にダンスを見るのが好きだからこそ彼らの地位を上げていきたいんです。でも、もちろんダンサーだけのイベントをやりたいわけじゃなく、ヒップホップのカルチャーがしっかり感じられて、そこにダンスもあるのが理想ですね。
リセットされるプロップス?
移住の難しさと面白さ

レペゼン :
東京、札幌、福岡…と拠点を変えながら活動されてきたO-NOさんですが、大変だと感じる部分はありますか?
O-NO :
まずは自分のことを分かってもらわないといけないことかなあ。イベントをやるにしても、まずは自分の知名度も上げないといけない。だからこそ1つひとつの現場で、ある程度“かます”必要がありましたね。最初に福岡に来た時はギャラもなかったし。「あ、またここからやらないといけないんだ」っていう笑
レペゼン :
これだけのキャリアを積んできたO-NOさんでもそうなるとは……!
O-NO :
でもヒップホップに出会ってなかったらそういう動きになっていないと思うんです。ヒップホップにはいろいろ助けられたし、一生のものなので、恩返しをしていきたいですね
レペゼン :
本当に素晴らしいです。O-NOさんの献身的な姿勢に周りが感化されて、大きなムーブメントに繋がるんだろうなと勝手ながら思いました。今日は貴重なお話をありがとうございました。
O-NO :
ありがとうございました。
Photo by …
・Yoshito Katsumata
・NANAKO
・Mayumi Yoshino(AZYFILM)

