パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。彼らはなぜ、この仕事を選んだのか?このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回はカンボジアのプノンペンに位置する「JASMINE NightClub」のレジデントDJを務めるDJ SASAさんにお話しを聞きました。

サンボマスターの泥臭さに衝撃を受ける
SHUNSUKE:
今日はよろしくお願いします!付き合いもかなり長いけど、改めてこうやってキャリアを紐解いていくのは面白いね。まずは音楽的なルーツから。最初に「音楽」を意識した瞬間って覚えてる?
SASA:
こちらこそ、よろしくお願いします!実は僕、中学時代は卓球に全振りしていたので、音楽にハマったのは周りより遅い方だったんですよ。最初にのめり込んだのは「サンボマスター」でした。高校生の時にテレビで見て、いわゆる“かっこいいタイプ”ではない男性が、汗だくで熱い言葉を歌っている姿に食らっちゃったんです。当時「陰キャ」寄りだった自分には、あの泥臭さが刺さったんですよね。カラオケでも、イケメンたちがEXILEやジャニーズを歌う中で、自分だけロックを熱唱して。女子に引かれつつも「一石投じてやった」みたいな感覚がありました。

消防士とDJ、どちらを選ぶべきか。
SHUNSUKE:
そこからSASAは「消防士」という全く別の世界に進むわけだけど、音楽やクラブカルチャーとの出会いってどんな感じだった?DJに興味を持ったのは上京してからだったよね。
SASA:
そうですね。東京消防庁に入るために千葉から出てきました。最初の半年間は消防学校の寮で8人で共同生活を送っていたんですが、同期の年上の人たちにクラブへ連れて行ってもらった事で、DJという存在をはっきりと認識しました。当時めちゃくちゃ人気だった、渋谷・円山町のクラブ「VUENOS」の階段手すりから見えるDJブースが、とにかくかっこよく見えたんですよね。パンパンのダンスフロアの中、HAZIMEさんや、CELORYさん、KOYAさんがプレイしてる姿を今も鮮明に覚えてます。
SHUNSUKE:
そこから実際に、自分でもブラックミュージックを掘るようになっていったきっかけって?
SASA:
同い年の同期の高田君がカラオケで「RYO the SKYWALKER / 晴れわたる丘」、同じく同期の松浦くんが「Spinna B-ill & The Cavemans / ライオンの子」を歌っていて、「なんだこれ、カッケー」ってなったんです。そこからジャパニーズレゲエにハマって、本場ジャマイカのレゲエを掘るようになり、その流れでブラックミュージック全般にのめり込んでいきました。そこからCDを買い漁り、ターンテーブルを買って家で練習していくうちに「人前で回したい」という気持ちが生まれて、当時全盛期だったSNS「mixi」でDJ募集をしていたガールズバーでDJデビューしました。そこから「クラブでもDJをやってみたい」と思うようになり、mixiを通じて知り合った、現在HACHIYA CURRYのオーナーであるHACHIさんのイベントに出演させてもらったのがクラブDJとしてのデビューになります。デビューの場所は渋谷ATOMの4Fでした。
そこから何年かはDJと消防士を掛け持ちしていたんですが、色々やらかしてしまった時に、消防士の上司から「DJを辞めるか、消防を辞めるか、どっちかにしてほしい」と言われて、DJの道を選びました。
SHUNSUKE:
僕の学生時代の友達から「DJを頑張ろうか、消防士を続けようか悩んでいる奴がいる。危なっかしいから止めてやってほしい。」って真剣に相談を受けたことがあって、その「止めなきゃいけない対象」が、まさにSASAだったという衝撃の思い出があるよね笑
SASA:
そんなことありましたね笑
SHUNSUKE:
キャメロットでその話をしたのを昨日のように思い出すよ笑
消防士時代の二足のわらじは物凄く大変そうだったけど、その経験って現在のDJ活動や価値観にどんな影響を与えてる?
SASA:
全寮制での半年間と、その後4年間の消防署勤務でかなりしごかれたので、気合いや体力はそこで身についたと思います。当時はギリギリ体罰OKみたいな空気も残っていた時代だったので、引っぱたかれたりもしましたけど、ああいう環境を経験したことで、縦社会の要素もあるDJ業界を続けていく上での根性みたいな部分は、かなり鍛えられましたね。

↑消防士時代の一枚
渋谷CAMELOTで学んだ「職人」としての美学
SHUNSUKE:
消防を辞めてプロの道へ進んでからは、どんなキャリアを歩んだの?地道に頑張っているっていう印象が凄く強いんだけど。
SASA:
修業時代の話をすると、やっぱり厳しい先輩はいました。NYヒップホップからサウスに飛ばしてまたNYに戻すみたいなバラバラな選曲をしていたら「お前、ヒップホップ分かってんのか?」ってブチギレられたことがあります。それはそれはメチャクチャに言われましたね。でも、あの悔しさがあったからこそ、ブラックミュージックの文脈や歴史を死ぬ気で勉強しました。あの教育は今でも自分の財産です。
SHUNSUKE:
実際に職業としてDJをする事になるキッカケみたいなのは何だったの?
SASA:
消防を退職してからは、スーパーでバイトしながらDJをしていた時期もありました。それが修業時代に当たると思います。そこから、DJを始めて5年目くらいで、渋谷のナイトクラブ「CLUB CAMELOT」の社員DJになりました。そこからアフタークラブのレジデントや、渋谷のDJ BAR「VOYAGER STAND」のレジデントも経験しました。CAMELOT時代の先輩であるDJ TAKUMAさんから学んだことですが自分は派手さよりも、店を守るレジデントDJというか、その場に合ったプレイで空間をきっちり成立させる“職人的なDJ”に魅力を感じていたんです。それもあって、自分自身も、外部の現場では派手に盛り上げる主役タイプのDJの前後を担当する、バランサー的な役割に入ることが多かった気がします。
SHUNSUKE:
一緒にCAMELOTでやってた時も、そういうプレイをしてたなってイメージがあります。安定感があるプレイをしてたね。

↑2014年頃、渋谷キャメロットでの一枚
カンボジアという新天地へ
SHUNSUKE:
今、拠点をカンボジアに移してDJをしているよね。カンボジアに拠点を移した理由と、その決断に至るまでには何があったの?
SASA:
日本にいた頃は、多い時だと毎日DJをしていて、DJバー、ナイトクラブ、アフターと、1日3現場回ることもありました。そういう生活を続けているうちに、どこかマンネリを感じたり、DJが“作業”になってしまっている感覚もあったんです。ちょうど環境を変えるキッカケを探していた時に、お世話になっていたDJ BAR「VOYAGER STAND」のオーナー、REWさんから「カンボジアでDJやるの興味ない?」と声をかけてもらいました。話を詳しく聞くと、自分より2〜3年先に一人でカンボジアへ渡っていたDJ RAMさんが、プノンペンでナイトクラブ「JASMINE NightClub」を立ち上げるタイミングで、「立ち上げからレジデントDJとして入らないか」とオファーをくれたんです。こんなチャンスはなかなかないと思って、当時やっていた全ての現場に話をして、日本を離れる決断をしました。
SHUNSUKE:
話聞いたときは驚いたけど、個人的にはなんか「らしいな」って思いました。実際、カンボジアでDJをしてみて、お客さんから感じる事って?
SASA:
カンボジアのクラブに行ってまず感じたのは、若い世代のエネルギーがとにかく凄まじいことでした。過去の歴史的背景もあって、国全体の平均年齢が若いというのもあるんですが、その若さ特有の熱量がすごくて、好きな曲が流れた時のリアクションもストレートなんです。日本人って、良くも悪くも大人しい人が多いと思うし、そもそも音楽に合わせて自然に踊る文化が、そこまで根付いていない気がしています。だからこそ、海外でDJをしていて、お客さんがダイレクトに反応してくれる瞬間はすごく楽しいですね。
SHUNSUKE:
DJシーンの違いみたいなものってどんなものだった?
SASA:
日本のクラブって“みんなで一晩を盛り上げる”って感覚が強いので、DJも接客したり、一緒に飲んだり、集客したりすることが求められる場面が多いんです。営業後もなかなか帰れず、ミーティングで酔っ払った先輩に怒られたり、一発ギャグをやらされて滑って傷ついたこともありました笑
一方で、カンボジアのDJたちは、プレイ直前に来て、プレイが終わった瞬間に帰ったりします。良い悪いを言いたいわけではないですが、その辺はかなり違うなと思いますね。カンボジアでも、1日に何現場も回してストイックに頑張っているDJはたくさんいます。ただ、世界基準で見た時には、スキル的にまだこれから伸びていく部分が多いとも感じています。その中で、自分は日本で培ってきたスキルや、世界を視野に入れた選曲を見せ続けることで、少しでもシーン全体を引き上げる役割を担えたらと思っています。



やりたいことを選び続ける
SHUNSUKE:
「キャリア」という観点で見た時に、これまでの選択(消防士→DJ→海外移住)はどのように繋がっている思う?
SASA:
消防士という公務員を辞めてDJになって、さらに日本を離れてカンボジアに移住しているので、外から見たらかなり変わった選択に見えると思います。でも自分の中では、その時その時で自分が面白いと思える方向を選び続けてきた感覚なんですよね。あと、振り返ってみると、キャリアが変わるキッカケは全部“人”だったなと思います。消防士からDJに興味を持った時も、ブラックミュージックにのめり込んだ時も、カンボジアに移住したのも、結局は人との出会いが大きかったです。無理に浅い関係を増やす必要はないと思うんですけど、やっぱり人との良い繋がりは大切にしたいなと思っています。
SHUNSUKE:
今後の目標や展望はどういう事を考えてる?
SASA:
まずは、自分がレジデントを務めているJASMINE NightClubをもっともっと盛り上げること。また、DJとしても、もっと色んな国の人たちと繋がって、自分のスキルや選曲の幅をアップデートしていきたいです。あと、いつか自分のDJバーを持ちたいという気持ちもあります。自分自身、これまで色んな人との出会いや環境によって人生が変わってきたので、今度は自分が、誰かの環境を変えるキッカケを作れるような場所を作れたらいいなと思っています。
SHUNSUKE:
最後に、既存のキャリアから外れてカルチャーの道に進もうとしている人へ、伝えたいことがあれば教えてください。
SASA:
やりたいことがあったり、環境を変えたいと思うことがあるなら、ぜひ一度飛び込んでみてほしいです。
思い切って環境を変えることって、不安もありますけど、それ以上にワクワクの連続なんですよね。自分も、日本を離れて海外に来たことで、今まで出会えなかった人や景色、価値観にたくさん触れることができました。自分自身も、その時々で「やってみたい」「面白そうだな」と思った方向に進んできた結果、今こうして海外でDJとして活動していますし、その選択を後悔したことはないです。今の所は。

↑2016年頃、DJ SHUNSUKE主催でバーベキューをした際の一枚
プロフィール
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2010年夏、東京でDJキャリアをスタート。都内のナイトクラブシーンで着実に評価を高め、渋谷を代表するクラブ「CLUB CAMELOT」のレジデントDJに就任。5年間にわたり、クラブの中心的存在として活躍した。その後は「VOYAGER STAND」にてレジデントDJ兼プロデューサーを務め、同店を渋谷有数のナイトスポットへと押し上げることに貢献。月間約50本ものDJ出演をこなし、東京でも屈指の人気DJとしてその名を確立した。2025年3月にはカンボジア・プノンペンへ拠点を移転。2025年5月には、現地で新たにオープンした国際的クラブ「JASMINE NightClub」のレジデントDJに抜擢され、活気あふれるプノンペンでも特に注目を集めるベニューの一つで活躍している。HIPHOP、R & B、POPS、Latin、Dance Musicを自在に融合させるオープンフォーマットスタイルを武器に、あらゆる現場でフロアを掌握し、観客を魅了し続けている。
