収集癖の回

小さなころから治らない収集癖の話

ライター:DJ SHUNSUKE

鼻の奥で爆竹が鳴っている。今年も奴らがやってきた。花粉である。
私の鼻粘膜は、もはやスギやヒノキの花粉にとって「聖地」と化しており、連日連夜、許可なきレイヴパーティーが開催されている状態だ。
私がこの花粉軍団に毎春攻撃されるようになったのは大人になってからだ。子供の頃、真っ赤な目で鼻水を垂れ流す大人たちを見て「前世でどんな大罪を犯せばあんな風になるのか」と高みの見物を決め込んでいた自分を、45口径のマグナムで撃ち抜きたい。人間、当事者にならないとわからないことがある。それは人類の歴史が証明している。
私の場合、発症してしまうととにかく目と鼻が、狂おしいほどに痒い。目玉を取り出して洗浄したい衝動に駆られ、鼻の穴にはアロンアルファを流し込んで完全封鎖したくなる。滝のように溢れ出る鼻水でティッシュの山はエベレストのごとく積み上がり、ゴミ箱はさながら「思春期を拗らせすぎた40代男性の成れの果て」のような様相を呈している。
あまりの痒さに理性を失い、「鼻毛という名の防衛網を全撤去すれば、敵の潜伏先がなくなるのではないか」という、知能指数2くらいしかない発想に至ったこともある。ブラジリアンワックスで鼻腔内を一掃した結果、待っていたのは解決ではなく、「ハイパー花粉症・覚醒編」への突入だった。鼻毛という防衛省を自ら爆破して「なぜ攻め込まれるのか」と嘆くようなものである。

↑自分史上最高に馬鹿な事をしたと思っている失敗のひとつ

とにかく毎年花粉症には苦しんでいるのだが、私にはそれ以上に長く、暗く、そして金のかかる持病がある。「収集癖」だ。
25年ほど前、DJがまだ重たいレコードバッグを抱えて腰を痛めていた時代。私はUSヒップホップの深淵に触れ、新旧問わずブラックミュージックは新譜からネタモノまで買い揃える事に命を懸けていた。あの「物理的な重み」こそが魂の重さだと信じて疑わなかった。結果、自宅に3,000枚、実家に3,000枚。合計6,000枚の黒い円盤が、我が家の床を物理的にぶち抜こうとしている。
スニーカーもそうだ。足は二本しかない。これは生物学的な真理だ。にもかかわらず、玄関には100足近い靴が、出番のない舞台俳優のように所在なげに並んでいる。自分でも何故こんなにあるのか分からない。しかし、収集癖とは、論理的な思考を超えた場所にある「業」なのだ。私はいつの間にか、モノを収集する事でしか満たされない悲しきモンスターへと成り果ててしまったのだ。

↑写真はAI。実際には箱に入ったまま収納している。そんなに持っていてどうするのだろうか。

そんな私がここ数年、新たな沼に足を踏み入れた。それは映画Tシャツ集めである。
30代までは、SupremeやApeといったストリートブランドのロゴを胸に掲げ、「俺は今、最先端の記号を身にまとっている」という満足感に浸っていた。もちろんそれらは今でもカッコいいわけだが、40代という坂を登り始めると「自分にはもう少し落ち着いた、別の選択肢があるんじゃないか」と、感じるようになってきた。きっかけは、友人からもらった『Back To The Future』のTシャツだった。「これなら大人の遊び心として成立する」などと思ったのが間違いだった。そこから症状の進行は早く、正規もブートも関係なく買い漁り、気づけばクローゼットは独り映画祭の会場になっていた。観客は私一人で、上映作品は毎日変わる。非常に満足している。たぶん健全ではない。末期だろう。

自分では奥ゆかしい趣味と思っている映画Tシャツ収集には一つ、高いハードルが存在する。「街で被る確率」だ。特に大手チェーンが手がける名作コラボは、そのキャッチーさゆえに、思わぬ場所で「双子」を生み出す。昨年、その大手チェーンが先述の『Back To The Future』のロゴTシャツを販売した。勿論、即購入し即着用、出掛ける際にウキウキで電車に乗った。するとどうだ。隣の席に、私と全く同じTシャツを着た「男性か女性か分からないけど多分オジサン」であろう人物が座っていたのだ。驚きを隠せなかったものの、即座にオジサン二人が同じTシャツを着て電車で隣り合わせる危険すぎる光景をイメージし、席を立ち去ろうとしたその瞬間、恐ろしい出来事が起きてしまったのだ。目の前の女子高生がクスクスと笑いながら小声で言った。

「あのオジ2人、ヤバ笑」

私の自尊心はパキーンと音を立てて粉々に砕け散り、安物のビニール傘が強風でひっくり返る時のような、無様な姿をさらけ出した。デロリアンに乗って、このTシャツを手に取った数時間前の自分に全力でドロップキックをかまし、そのまま何も言わずに去りたいと本気で思った。

↑Back To The Futureのタイムマシン。いつかは乗りたいものである。

結局のところ、花粉症も収集癖も、やっていることは大して変わらない。外から来たものに身体をかき乱されるか、自分から集めて振り回されるか。その違いでしかない。
つまり私は、何かに支配されていないと落ち着かないタイプの人間なのだ。主体性があるようで、だいたい無い。救いも特に無い。女子高生に笑われても、私は明日も映画Tシャツを着るだろうし、レコードも掘る。少し恥ずかしいハプニングが発生した所で、やめる理由にならないからだ。

今日も、映画Tシャツを着て、6,000枚のレコードとに囲まれスニーカーを眺めクシャミをしている。異常な状況だが、それでも「まあ別にこれでいいか」と思えてしまう自分がいる。

たぶん一番どうしようもないのは、そこなのだと思う。

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