その場にいる全員を楽しませる。大阪アンダーグラウンドの若きエース。

レペゼン大阪・アメ村のHIPHOPクルー「Tha Jointz」メンバーとしても活躍中。DJ JAMのキャリアに迫る!

ライター:ほりさげ

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。彼らは何故、この仕事を選んだのか?このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

今回は、大阪を拠点にしながら、徐々に全国にファンベースを広げ続けているHIPHOPクルー「Tha Jointz」のDJであり、ほぼ毎週末どこかのクラブでプレイされているDJ JAMさんにお話をうかがいました。生粋のレコードラヴァーであり、10代から大阪のクラブシーンで経験を重ねた彼がブースから見ている景色とは?

始まりはアメ村のレコード店。
高校生DJの誕生。

レペゼン : 
自己紹介をお願いします。

JAM :
DJ JAMです。大阪の岸和田市出身で、DJ歴は12年ほど。今はHIPHOPクルー「Tha Jointz」と、ビートメイクユニット「Paid in full」に所属しています。

レペゼン : 
DJを始めた年齢ときっかけを教えてください。

JAM :
修学旅行でアメ村に来た時に[uprise market]というレコードショップを紹介してもらって訪れたのがきっかけです。店内に飾ってあったD.I.T.C.のサインとかパーティの写真を見て、HIPHOPの世界に興味が湧いて。そこから[uprise market]に通うようになって、当時そこで働かれていたTSUGUさんやDJ IKKEIさんといった先輩方に、HIPHOP文化やDJのマナーについて教えてもらっているうちに「DJやってみたい」と思うようになりました。

レペゼン : 
ブラックミュージック自体はもともと好きだったんですか?

JAM :
親父の親友がレゲエ好きだったので、そこで自然と聴く機会がありました。高一になった時に、叔父さんが入学祝いでタンテを買ってくれて。と言ってもDJ用のじゃなく、Numark製のおもちゃみたいなやつですけどね。だからHIPHOPに出会う前から7インチのレゲエのレコードを少し買って聴いたりはしていました。

レペゼン : 
岸和田はレゲエの町としても有名ですもんね。初めてDJをした時のことは覚えていますか?

JAM : 
覚えてます!アメ村から少し離れた地域にある小さい箱のパーティで、Tha JointzのJASS君がブッキングしてくれて。その時は主に90’sのHIPHOPのレコードを中心にプレイしました。本番はもちろん緊張もしたけど、それよりも楽しかったことを今でも覚えています。高2くらいの時に、お年玉でちゃんとしたタンテを買って本格的にDJを練習し始めました。

レペゼン : 
では基本的にレコードでのDJが中心ですか?

JAM : 
いや、けっこうSerato(PCでのDJ)でやることも多いですね。Tha JointzのバックDJを任せられたのをきっかけに、PCとかスクラッチライブ、コントロールバイナルなどの機材を買ったんですけど、「せっかくPCあるんやったらデジタルでもDJやりたいな」と思って、PCでも回し始めました。現場の空気感に合わせて変えてるんですが、今はだいたい半々くらいかもしれないです。

レペゼン : 
デジタルでしかない音源もレコードでしかない音源もあると思うので、二刀流スタイルは音楽の幅もより一層広がりますね。

DJ歴問わず、人として
向き合う姿勢を学んだ。

レペゼン : 
かなり若い時からキャリアを積んできたということですが、これまで最も影響を受けたDJは誰ですか?

JAM : 
いろんな方にお世話になってきましたが、一番はDJ SOOMAさんです。

レペゼン : 
大阪アンダーグラウンドの重鎮、DJ SOOMAさんですね。今では、同じパーティで回されることも多い印象ですが、SOOMAさんとは何歳の時に出会ったんですか?また、どういった部分に影響を受けたんですか?

JAM : 
僕がDJ始めたての時に、普通に難波の飲み屋で出会いました笑。僕が着てたD.I.T.C.のベースボールシャツに反応して「D.I.T.C.好きなん?」って声をかけてくださって。さらにその1ヶ月後くらいにSOOMAさんのDJプレイを見て、かっこ良すぎて衝撃を受けました。さらにその半年後くらいに、パーティで一緒になるタイミングがあったんですけど、そこでも自分はD.I.T.C.を多めにかけていたので、「前にも会った若いDJやんな」って覚えてもらえて。そのあとありがたいことに、SOOMAさんがレギュラーDJの「TURN IT UP」という大阪のパーティに誘っていただきました。

レペゼン : 
まだ駆け出しだったJAMさんに対しても、きちんと向き合って接してくれたんですね。

針を落とす指が震える!?
緊張の味園ユニバース。

レペゼン : 
それにしても、DJに興味を持って練習しだしてから、割ととんとん拍子でクラブで回すことになったんですね。

JAM : 
大阪に若手のDJがほとんどいなかったからかもしれないです。当時は同世代のDJはまったくいなくて、割と最近まで自分がずっと一番若手って感じでした(笑)

レペゼン : 
今では大阪のパーティでほぼ毎週末DJされているJAMさんですが、今くらいのペースになりだしたのはいつからですか?

JAM : 
18くらいの時には色々と呼んでもらうようになりましたね。めっちゃ若手ですし、ノーギャラでも「出させてもらえて嬉しいです!」って感じだったので、逆にブッキングしやすかったと思います。そこからは途切れず、コンスタントにパーティでプレイしてきました。ほんまにありがたいです。

レペゼン : 
その中でも強く思い出に残っている現場はどこですか?

JAM : 
18歳の時に、味園ユニバースで開催されたダンススタジオの発表会で回させてもらった時はめっちゃ緊張しましたね。ステージの中央にDJブースが組まれてて、巨大なホールのフロアにはダンサーの方がパンパンに入っていて。それまでは、先輩のDJや音好きのお客さんの前で回していた自分にとっては初めての経験で、レコードに針を落とす指が震えるくらい緊張しました。

レペゼン : 
そこまで緊張する時もあったんですか!淡々とした表情で回すJAMさんからは想像できないです。

JAM : 
今でも緊張する時はしますしね。大先輩の次に回す時とか。

レペゼン : 
地方のイベントでもゲストとして呼ばれているイメージですが、そうやって関西以外からも声がかかり出したのはいつですか?

JAM : 
20歳の時に長野県の松本市のパーティに呼んでもらったのが、初地方DJでした。初めての土地だったんですが、遊びに来た人も他のプレイヤーの方もあったかくて最高でした。そこからは、Tha JointzのバックDJとしても呼んでもらうことも増えて、東北や九州、そして東京と、いろんな町に行かせていただきました。

 

DJだけでは物足りない!
ビートメイカーとしての活動。

レペゼン : 
最近ではビートメイクにもかなり力を入れているとのことですが、何かきっかけが?

JAM : 
ビートメイクは、DJを始めた当初から興味はあったんです。DJもかっこよくてビートもやばい人ってけっこういるなあと思って。DJ Premier(プレミア)とかPete Rock(ピート・ロック)とか。

レペゼン : 
それこそDJ SOOMAさんも、プロデューサーとしての顔もありますよね。

JAM : 
割と初期の頃に機材を買ったんですけど、難しすぎて一回断念したんです笑。コロナ禍を機にもう一回MPCを買い直して、改めてビートを作り始めるようになりました。でも、そもそもDJで忙しい中、ビートメイクも両立するのがなかなかできなくて。誰かと分担してビートを作ったり、一緒に活動をしたりだったらできるかなと思って、一緒にやる人を探してたんです。その当時ずっと一緒に遊んでて、音楽の話もめっちゃ通じるダンサーのAlbino(アルビノ)君を誘って、ビートメイクのユニット「Paid in full」を組みました。それが2022年くらいです。

レペゼン : 
3年ほど前からビートメイクも本格的に始めたわけですね。作ったビートは、例えば配信したり現場で流したりされてるんですか?

JAM : 
Tha Jointzや東京のSOUI君とか、ラッパーの音源にトラック提供することが多いです。

 

JAM : 
それからユニットを組んだ時に、まずは生でインストのトラックを聞いてもらえる場所として、Paid in full名義でパーティを主催して、その中でビートライブをしました。ちなみにビートライブの時は僕は立たず、Albino君一人で行います笑。僕は、DJとしてのみブースに立てたらと思っていて。

レペゼン : 
今はDJとビートメイクの活動の比率はどれくらいなんですか?

JAM : 
週によってだいぶ変わりますね。1週間に週末平日合わせて3回くらい現場がある時はその準備もあるので、なかなか時間が作れないですが、でもそうじゃない時は必ず1日に1トラック作るくらいのペースです。

パーティは、踊る時間も
乾杯する時間も大事。

レペゼン : 
最後に、DJする時に一番心がけていることを教えてください。

JAM : 
お客さんも演者も含め、その場にいる全員に楽しんでもらえることですね。でもあまり媚びすぎず、自分がかっこいいと思う音楽のラインはキープしつつ、聞いている人をいかに楽しませられるかを常に模索してます。

レペゼン : 
DJ中、フロアの様子もかなり観察したりしているんですか?

JAM : 
見ますね。でも回しながら楽しくなりすぎたら見れなくなってる時もありますけどね笑。あと意識していることでいうと、DJ Jazzy Jeff(ジャジージェフ)が、インタビューで「クラブにはフロアで踊る時間も必要だけど、ドリンクを買う時間も必要だ」って言ってて。その通りだと思って、それを聞いて以来、意識するようになりました。例えば僕の前のDJがガッツリ盛り上げた時は、ちょっと低めのテンションからスタートして、ゆっくりしてもらう時間を作ったり、「今みんなバーカンでお酒買ってるな」っていう時は、めっちゃ有名な曲はかけないようにするとか。そうやってパーティ全体を見通す癖はついてるかもしれないです。

レペゼン : 
興味深い。JAMさんの1曲ずつの選曲も楽しみながら、パーティ全体を見通すテクニックにも注目したいと思います。今日はありがとうございました!

 

プロフィール

  • DJ JAM

    DJ JAM

    97年生まれ、大阪ミナミを拠点とするDJ&Beatmaker。2014年に活動を開始。フロアへの快適かつ刺激的な音楽のデリバリーを常に追求し、パーティの色に合わせてレコード/データを柔軟に使い分ける。現在は大阪中心にDJをしておりPROPS/TURN IT UP /Return of the 90's等でレギュラーを持つほか アメ村レペゼンのHIPHOP集団Tha JointzのDJとしての顔も持ち、2022年にAlbinoとプロデュースユニット「Paid in Full」を結成。北は東北、南は沖縄まで日本各地のクラブに爪痕を残している。音楽へのリスペクトが深いDJこそが本物だという信念を持って、日夜指先を黒く汚す。