ヒップホップ好きのスポーツ選手や文化人にインタビューしていく「あの人も実はヒップホップ」。今月はラグビー・リーグ「リーグワン」の三菱重工相模原ダイナボアーズで活躍する知念 雄(ちねん・ゆう)選手に4回に渡ってお話をお伺いしました。
前回までの記事はこちら→ハンマー投げの選手からプロ・ラグビーに!?異色のキャリアのラガーマン 知念 雄とは?
東芝ブレイブルーパス東京で感じたラガーマンのかっこよさ
レペゼン:
ハンマー投げから転向されて、ラグビーの社会人リーグ、東芝ブレイブルーパス東京で活躍されてたと思うのですが、当時のチームの雰囲気ってどんな感じだったんですか?
知念 雄:
めちゃくちゃ良かったですね。
初めて練習に参加した時に練習前後の雰囲気がすごく良いなと感じたんです。練習中はマジで目の前で喧嘩っていう感じだったんですけど、練習終わりには風呂場でみんなでキャッキャしてて。
レペゼン:
それってめっちゃ良い関係性ですよね。
知念 雄:
言うべきことは言うけど、しっかり信頼関係もあるみたいな。
当時、所属してたメンバーはみんな年上だったんですけど、すごい良い空気だなって思いました。正直その空気感がハンマー投げから転向したきっかけの一つですね。
レペゼン:
というと?
知念 雄:
単純にラグビーをやりたいって言うよりは、東芝のメンバーの人たちと一緒にラグビーを本気でやりたいなってのがまずあったんです。そういう入り口でしたね。
ラグビーを始めて数年で日本代表に!?
レペゼン:
東芝ブレイブルーパス東京に入団されてから、すぐに日本代表になられたとお伺いしたのですが、どういった流れで日本代表に招集されたのでしょうか?
知念 雄:
東芝での1年目が終わってすぐに20歳以下の日本代表の子達と、オーバーエイジの数人がフィジーに3週間行って、そこで遠征試合を行うという機会があったんです。そこでありがたいことにオーバーエイジ枠で呼んでもらって。
レペゼン:
いきなりの世界デビューですね!
どういったチームと練習試合をされたんですか?
知念 雄:
フィジーやトンガ、あとはサモアなどの準代表レベル、いわゆる代表の1個下のカテゴリーのチームでしたね。そこから帰国したタイミングで、アジア・ラグビー・チャンピオンシップに日本代表としてピックアップされたんです。
レペゼン:
えー!!すごい展開ですね。
どういう感覚だったんですか?
知念 雄:
もうビックリしかなかったですね。
どうせラグビーをやるからには日本代表になりたいっていう野望はあったんすけど、「今!?」みたいな感じでした。
レペゼン:
すごいスピード感ですよね。
いきなり日本代表のユニフォームを着るわけですもんね。
知念 雄:
試合ではロッカールームに選手のジャージが掛けられてるんですが、自分の番号を見て鳥肌が立ちましたね。やっぱりこのジャージを着られるのは特別なことだし、すごく誇りに思いました。
日本代表の試合前に聴いていたヒップホップ
レペゼン:
ラグビーの試合前にはどんな曲は聴くんですか?
知念 雄:
僕は試合前はアゲアゲのを聴くよりは、なるべくスローな、落ち着いてる曲調を聴くようにしてますね。
レペゼン:
日本代表に選ばれた当時、試合前によく聴いていた曲はありますか?
知念 雄:
GADOROの「クズ」ですね。
レペゼン:
名曲ですよね。どういったところが好きだったんですか?
知念 雄:
ちょうどその時住んでた寮の部屋が古い6畳の部屋だったんですが、「クズ」のリリックの中でも、
家賃なら五千円の風呂なしのアパートでは
ろくすっぽ足伸ばして寝ることもできない
四畳半の部屋を電球が彩る
って出てくるじゃないですか。ある意味、住んでる場所が近い規模感だったってこともあって、そういった場所で日々やってる感覚を忘れたらだめだなと思わせてくれる曲でした。
レペゼン:
間違いないですね。当時、日本代表に招集されたことで周囲の対応や環境は変わったりしたんですか?
知念 雄:
プレーのためにやることは変わらなかったですが、グラウンドの外の環境は結構変わり始めたんです。
メディアとかの取材が増えたり、全然連絡を取ってないところを連絡が来るようになったり。
ただそこで調子に乗らないように意識はしてましたね。
レペゼン:
僕だったら調子乗っちゃいそうです。
知念 雄:
笑
東芝の監督からもも「ここで調子乗ってようじゃダメだ」とは言われてたんですけど、自分もそれは思ってて
それは一番ダサいなと思ってたんで。「クズ」はその意味でも、自分のハングリー精神を呼び起こしてくれる曲でしたね。
ラグビー選手として順調なキャリアを歩む知念選手。だが、そんな知念選手に怪我という大きな試練が訪れる。次回は怪我からの復帰を目指す知念選手が勇気をもらっている曲についても紹介するよ。