目 次
パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回はクラブDJ、エディター、DJ講師など多岐にわたり大活躍するDJ SLYさんの前編です!前編もチェック!
海外の人達を相手にパーティを作っていけたことが大きかった
SHUNSUKE:
これまでのキャリアの中で大きなターニングポイントってありますか?
SLY:
二つあります。一つは、活動拠点が渋谷から六本木・西麻布に移ったことですね。特に、Feria Tokyo、A-life Tokyo、西麻布MUSEでの活動です。インターナショナルな環境に身を置いて、海外の人達を相手にパーティを作っていけたことが大きかったです。今のようにインバウンド客で溢れかえる訳ではなかった時代に、お客さんの多くを外国人が占めるクラブでDJ出来た事はこれまでにない経験でした。それまでやっていた現場とは違う感覚を身に着ける必要がありましたし、お客さんの価値観や求められるDJのスタイルの違いにも驚きましたね。一言で言い表せない刺激があってすごく魅力的に感じました。今の自分のDJとしての大きな基盤はあの時に作られたかなと思います。色々思い出しますけど、とにかく楽しかったですね。
↑DJ BRAIZE氏との一枚。Feria Tokyoでも活動を共にし、今現在はZoukでも一緒にプレイしている。
あと、六本木、西麻布は、当時正直お金を稼ぎにくかった渋谷とは違い、しっかりとお給料をいただける環境でもあったんで、当時の渋谷のクラブシーンとの「頑張り方の違い」みたいなのにも気が付きました。あの時期がなければ、今どうなっていたか分からないなって思います。
もう一つは、最近のことですが、自分の活動を見直して、新しいことに挑戦し始めたことです。具体的には、2024年から海外に向けて発信していく取り組みを始めました。
↑西麻布ALIFEでの様子
SHUNSUKE:
去年から始めた発信についてもう少し詳しく聞いても良い?
SLY:
主に楽曲制作ですね。海外でのDJプレイを基準にしたリミックスやエディットを作ってます。EDMのアーティストのような楽曲とはまた違うんですよ。クラブの現場を意識した、限りなくクラブDJが使う曲、使いやすい面白い曲、っていうスタイルで曲を発表しつつ自分の名前を売っていくという発信方法です。国内でそういう事をゴリっとやってる人も多くないと思いますし。挑戦です。
SHUNSUKE:
手応えはどう?
SLY:
海外の有名なDJからフォローされたり、自分のエディットを使ってもらったりする機会も出てきました。国内でも自分の事をエディットで知ってくれたり、現場で掛けてくれている人がいるというのも耳にするので、上手く行っているのかどうかはそんなに実感はないですけど、徐々に変わってきてるのかなって思います。まだまだやらないといけない事は沢山あるんですけどね。
↑SLYのEDITは世界中のクラブDJが使うようなレコードプールにも取り扱われている
2回ぐらいDJを辞めようかなって思ったこと、ありますね。
SHUNSUKE:
ここまで話を聞いてきて、苦労もしつつ良いキャリアの積み重ね方をしてると思うんだけど、長くDJを続けてきた中で、「もうこれ以上厳しいな、辞めようかな」と思ったことはある?
SLY:
2回ぐらいDJを辞めようかなって思ったこと、ありますね。
SHUNSUKE:
あるんだ!全然知らなかった。
SLY:
一回は、結婚を考えていた時期です。彼女との結婚準備期間中に、あまり稼ぎがなかったので「このままじゃいけないな」と思ったことがありました。実際に結婚するっていうときは、ある程度自分で収入を得られるようになってたんですけど、結婚っていうのは大きな決断なのでやっぱり頭をよぎりましたよね。ただ、その頃周りには先に結婚して子供がいる先輩や、応援してくれる仲間がいて「自分もやってやる」っていう気持ちが持てたからこそ耐えて頑張れたのかなって思います。
もう一つは、コロナ前ぐらいの話ですが、ある先輩からとても大きな仕事、いわゆる音楽系の会社に入らないかというお誘いを受けたんです。誰でも聞いたことのあるような大きな会社での仕事でした。会社での仕事をDJをしながら続けられるのか?やっぱりやめた方が良いのか?とか、凄く考えましたね。でも、結局コロナの影響でその話は流れちゃったんですけど。
これまで本当に色々ありましたけど、しっかりとDJでお金を稼ぐことが出来るようになりました。気が付いたら「辞める」とかは全く考えなくなってましたね。
↑コロナ禍、惜しまれつつ閉店した西麻布MUSE時代の一枚。DJ O-mean氏、DJ Shinobu氏、現在大阪で活躍するダンサーRYOや日本を代表するビートメーカーのKM氏もDJをしていた。毎週末1500人を動員する大箱だった。
若手と言われているDJたちはどう若手を脱却するのか
SHUNSUKE:
今現在クラブシーンで活動する若手にアドバイスはある?
SLY:
今はSHUNSUKEさんや僕達の頃とは少し変わってきていて、ギャランティも貰いやすい時代になってきてます。ただ、そのギャランティの金額を上げるのが現状かなり難しいのも確かです。なんとなくですけど、DJの供給過多になりつつあるのかなと。そうなってくると、やっぱりどう他の人と自分を差別化するDJプレイをするのかとかを本当に真剣に考えた方が良いと思います。若手と言われているDJたちはどう若手を脱却するのか。年齢でなく、圧倒的な何かの評価で若手という枠を脱却出来たらきっとギャランティの金額にも変化が出てくるんじゃないでしょうか。
SHUNSUKE:
SLY自身はどうやって若手という枠を飛び出したと思う?
SLY:
僕は36なんで、年齢とともにっていう部分も多少はあるというか、結構あると思うんです。ただ何て言うんでしょうね、フロアにおいて最優先すべきことは絶対に忘れずにやってきたかなと。クラブDJとしての価値観ってフロアメイク、フロアロックっていうのが最も大事だなっていう考え方は大切にしてやってきました。キャッチ―な曲ばかりかけなきゃいけない環境の時もあったので、やりたい事とは少し違うような事を半ば強制的にやっていた時期もあります。ただ、そういうところで磨かれた「フロアをロックする力」みたいな部分を魅力として評価をしてくれたお店やプロモーターさんは結構いるんじゃないかなって感じる事はありますね。
SHUNSUKE:
なるほど。やっぱり、営業力や適応力も必要になってきますね。
SLY:
実際そうだと思います。ロック出来なければやっぱり売り上げも立ちにくくなりますしね。とは言えDJとしてパーティロックだけ、となってしまうと自分自身疲弊してしまう部分もあるので、クラブだけでなくレストランなどでもDJをしていて、いろんなジャンルの曲をプレイすることで自分の中での音楽バランスを取っています。そういう微調整も長く続けるためには大事なことかなと思います。
↑2016年1月の写真。六本木にかつて存在したCats Tokyoでの1枚。DJ O-mean氏、DJ SHINOBU氏と4人で。
身を置く環境が結構全てかなと思ってます
SHUNSUKE:
今後のクラブシーンに入ってくる人達にアドバイスがあればお願いします。
SLY:
偉そうなことは言えないんですけど、やっぱり自分が経験してきた事や、今現在の音楽の価値観だったりを思い返すと身を置く環境が結構全てかなと思ってます。なので、将来的に自分がどうなりたいのかっていうのを明確にするのと、自分が誰とやりたいのか、どこでやりたいのかをきちんと理解した上で環境を整えるっていうのが何よりも大事かなと思います。最初は、現場を見渡した時に「あの人みたいになりたいな~」とかそんなもんでいいと思うんですけど。そういうふうに思わせてくれるDJの人たちと一緒に活動した方が、楽しく、かつ刺激的にDJを続けていけるんじゃないかなとは思いますね。
挑戦する事を辞めず、とにかく前に進んでいきたい
SHUNSUKE:
SLYとしての今後のビジョンを教えてください。
SLY:
いくつかあるんですが、今現在の目標は海外でDJをやることですね。ちゃんと自分を評価してもらって海外に呼ばれるようなDJプレイをしたいなと。今、ツールとして海外の人達に知ってもらう手段は色々あると思うので、多角的なプロモーションについても、しっかりと考えて実行に移していきたいです。未来的な話ですが、もっと先の将来的なビジョンとしては、クラブDJとしてできるところまで挑戦しながら、制作は勿論、今もやっているDJカルチャーを伝えていくための講師活動等をより活発化させていくつもりです。いろんな角度からDJを世の中に知ってもらえるような取り組みをしたいなと思ってます。どんどん出来る事の幅を広げていきたいですね、挑戦する事を辞めず、とにかく前に進んでいきたいです。
プロフィール
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新旧問わずHIP HOP、DANCE MUSICからDANCE CLASSICなどジャンルレスなOPEN FORMATスタイルで都内屈指の大箱でのメインストリームなDJや、レストラン・DJ BARでのラウンジセットを得意とする。過去にferia Tokyo, a-life, MUSEなどインターナショナルなクラブでのレギュラーDJを経験し、現在は銀座のZouk Tokyoの木曜日のレギュラーDJを務め、渋谷VIZEL NIGHT CLUBでも活躍している。2024年にDJ SLYに改名し、制作面にも力を注ぎDJ御用達の音楽サイトHEADLINER MUSIC CLUBに自身のEDITが掲載されている。MIYASHITA PARKのレストラン「NEW LIGHT」天王洲アイル「RIDE」などのサウンドプロデュースも務める。2021年開催された東京オリンピック「TOKYO 2020」ではカヌー・スラローム競技のコンペティションDJを担当。2020年よりDJスクール「NEXTYLE DJ SCHOOL」を立ち上げ現在も運営している。