「視覚障害になって、改めてヒップホップの魅力に気づいた。ヒップホップを通して“誰も取り残さない世界”を作りたい」

白杖ダンサーが伝える、PEACE、LOVE、UNITY、HAVING FUN

ライター:TARO

カルチャーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?このコーナーではカルチャーに関わり続けるプレーヤーたちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

今回はB-Boy編。ゲストは、目の内側を覆っている網膜という組織に異常をきたす進行性の病気、網膜色素変性症を持ちながら、 白杖を使用したブレイクダンスのパフォーマンスで多方面で活躍されている、白杖ダンサーのMORIKO JAPAN(モリコ・ジャパン)さん。

白杖ダンサー・MORIKO JAPAN。
視覚障がいのあるB-Boyのヒップホップキャリアとは?

レペゼン:
自己紹介をお願いします。

MORIKO JAPAN:
白杖ダンサーのMORIKO JAPAN です。埼玉出身、ブレイキンをしています。よろしくお願いします。

レペゼン:
よろしくお願いします。インタビューさせて頂くのを楽しみにしておりました。
まずはMORIKOさんのご病気について教えてください。

MORIKO JAPAN:
病名は「網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)」です。網膜の細胞が少しずつ死んでいくことで、徐々に視力が低下していく病気です。最初に現れる症状は、暗い場所で見えにくくなることが多く、次第に、メガネやコンタクトを使っても視力が出なくなり、見えている範囲が徐々に狭くなっていきます。さらに進行すると、明るい場所でも視界が悪くなり、光をまぶしく感じるようになります。これは白内障の影響によるもので、日光や室内の明かりが強すぎて、目が見えづらくなることがありますね。

レペゼン:
視力の低下はいつごろから感じていたのですか?

MORIKO JAPAN:
周りが異変に気づいたのは、幼稚園の頃ですかね。夜、母が迎えに来ても、暗くて母の顔がよく見えないと言っていたそうです。その後、小学校1年生の最初の視力検査でひっかかったのですが、家族や親族に目の病気の人がいないか聞かれ、「いない」と答えたため、特に詳しい検査はなく、ただ眼鏡を作るだけでした。でも、すでに視力は悪く、日常生活の中でも苦労することがありましたね。

レペゼン:
苦労というと?

MORIKO JAPAN:
例えば、歩いているとつまずきやすかったり、小さな子どもにぶつかったり。あとは透明なガラスに気づかずに衝突したりすることもありました。また、ノートに字を書くときは極端に近づいて書いていたため、周囲から「そんなに近くで書いたら目が悪くなるよ」と言われていましたね。

レペゼン:
学校からのサポートなどはあったんですか?

MORIKO JAPAN:
当時はまだ病気であることはわかっていなかったので特にサポートを受けることはありませんでした。黒板を見やすくするために、席を前の方にしてもらうとかぐらいですかね。

ブレイキンに夢中になった学生時代

レペゼン:
ブレイキンはいつ頃から興味を持ったんですか?

MORIKO JAPAN:
色々なスポーツをやりましたが、どれも合わなくて。そんな時にインターネットの動画でブレイキンを見つけて夢中になったんです。最初は中学時代の踊り場で、同級生と一緒に技を真似しながら楽しんでいました。

レペゼン:
良いですね!

MORIKO JAPAN:
それまでやってきたスポーツはどれも決められたルールの中で「こうしなければならない」と指導されることが多く、正直、自由を感じられませんでした。でもブレイクダンスだけは違って。むしろ、人と違うことをしてもいいし、自分なりのスタイルを追求できる世界だったんですよね。それで初めて「これは絶対に一生続けたい」と思えたんです。

レペゼン:
間違いないですね。ご出身の埼玉ではB-Boyシーンはあったんですか?

MORIKO JAPAN:
ありましたね。例えば、SIVA(シバ)やRHYTHM SNEAKERS(リズム・スニーカーズ) といったチームの方が埼玉にはいて。その先輩方に教わる機会もありましたね。当時は熊谷、鴻巣、高崎などが主要な拠点でよくイベントもやってました。そのあたりでバトルもよく出てましたね。

レペゼン:
良いですね。高校卒業後はどんな進路にいったんですか?

MORIKO JAPAN:
大学の薬学部に進みました。ただ大学ではより目の症状が悪化して、バドミントンとかしてもシャトルが見えなくなってきたんですよ。二十歳ぐらいの時ですね。その頃から少しずつ「大丈夫かな?」と思うようになりました。

レペゼン:
授業はどうしていたんですか?

MORIKO JAPAN:
授業も厳しくなってきて。ノートも友達が書いたのをコピーさせてもらってました。
そんなある日、コンタクトレンズを作り直そうと思い、近所の眼科に行ったんです。そこで問診票に「暗い場所が見えにくい」とチェックを入れたら、「一応、詳しく検査しましょう」となり、眼底の写真を撮ることになって。その結果、医師から「これは網膜色素変性症ですね」と診断されて、そこで初めて自分が病気だったことがわかったんです。

レペゼン:
その時はお医者さんからどのように言われたんですか?

MORIKO JAPAN:
「この病気は5〜10年で視力が低下し、失明する可能性もある」と伝えられました。当時、自分はまだ20歳くらいで、そんな話を急に聞かされても「いや、そんなはずないでしょ」と信じられなかったですね。

レペゼン:
そうですよね…。

MORIKO JAPAN:
それまでは、日常生活で工夫すれば何とかやっていけるレベルだったし、白杖(はくじょう)を使うこともなかったので、「自分が視覚障がい者になるのは、もっと年を取ってからだろう」と思っていました。でも、実際には医師の言う通り、5〜10年で本当に視力が低下していったんです。

薬剤師として働くも、
悪化する目の状態

レペゼン:
大学卒業後はその後どういう進路に進まれたのですか?

MORIKO JAPAN:
卒業後は、薬剤師として働き始めました。視力が悪化する中、工夫しながら仕事をしていましたね。iPhoneや拡大読書器で処方箋を撮って文字を拡大して確認してましたね。ミスもなくやれてたんです。ただ視力が悪化してきて、そろそろ白杖を使わないと厳しくなってきたなと思い、会社の上司に相談したんです。すると、「会社や薬局には白杖をついて来ないで欲しい。病院の先生やスタッフ、患者さんに視覚障害のある薬剤師を雇っていることがバレたら、会社は終わりだ」と言われて。

レペゼン:
きついですね…

MORIKO JAPAN:
それでいろいろ考えたのですが、結局「目が見えないと仕事がない」という現実に直面したんです。当時、視覚障害者ができる仕事として挙げられるのは、あん摩マッサージや、音声ソフトを使ったパソコン入力くらい。どちらも自分が目指してきた薬剤師の仕事とはまったく違うものでした。それまで頑張って薬剤師として働いてきたのに、この2つしか選択肢がないのかと考えると、どうしても納得できませんでした。

白杖ダンサーとして、夢を与える存在に

MORIKO JAPAN:
そんな時に周りの人に相談する中で、僕がブレイクダンスをしていることや、目が見えなくなっていく中でもダンスを続けていることに興味を持ってくれて、「SNSで発信したら人気が出るんじゃないか」と言ってくれた人がいて。
その言葉がきっかけで、SNSで注目を集めることで何か新しい可能性が開けるかもしれないという気持ちになったんです。そこで、仲間たちに協力してもらって、白杖を使いながらブレイクダンスをする動画を撮影し、SNSにアップすると、思った以上に反響があって。

レペゼン:
おぉ!!

MORIKO JAPAN:
それがきっかけで、パラリンピックの閉会式や紅白歌合戦などの大舞台に呼ばれるようになったんです。それから「白杖ダンサー」としての活動が本格的に始まったという感じですね。

レペゼン:
それからお仕事の方はどうなったんですか?

MORIKO JAPAN:
仕事は薬剤師のテレフォンオペレーターという仕事に就くことができて。電話で薬の飲み合わせなどについて答えていますね。働きながら、ダンスも続けることができています。

レペゼン:
素晴らしいですね。改めてですが、今後の目標ややっていきたいことはありますか?

MORIKO JAPAN:
自分は病気になってから、改めてヒップホップの魅力に気づきました。PEACE、LOVE、UNITY、HAVING FUNの精神ですよね。普通の企業では経済的合理性が優先されがちですが、ヒップホップの世界ではPEACE、LOVE、UNITY、そしてHAVING FUNの価値観がすごく大事にされている。それを広めることで、よりみんなが一人一人の人権を守る方向へ行くと思うし、ヒップホップはその力を持っていると感じています。

レペゼン:
その信念を広めることが重要ですね。

MORIKO JAPAN:
僕がダンスを始めた2004年ごろ、義足のブレイクダンサーであるBBOY JUNIORが世界大会で大活躍していたんです。彼を見て「障害や病気があっても、こんなふうにぶちかまして、人に夢や希望を与えられるんじゃないか」と感じていました。今後は僕はジュニアのような存在になって行けたらと思います。そして「誰も取り残さない世界」を作っていきます。

レペゼン:
応援しております。
改めてこの度はありがとうございました!

MORIKO JAPAN:
ありがとうございました!

 

 

プロフィール

  • MORIKO JAPAN(Hitoshi Mori)

    MORIKO JAPAN(Hitoshi Mori)

    目の病気である網膜色素変性症と闘病中。普段は薬剤師として働きながら、 白杖を使用したブレイクダンスで多方面で活躍。パフォーマンスを通して 視覚障がい者への理解を広げるため活動中。 【経歴】neo NATION Zeebra Liveバックダンサー、Tokyo2020 パラリンピック 閉会式出演、第72回紅白歌合戦 2021 マツケンサンバⅡ 出演、True Colors Festival in アゼルバイジャン 出演