「音楽のルーツはブルースやカントリーかもしれない。」

圧倒的な技術と知識でナイトクラブをロックし続けるDJ YUTAROのキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。

第十六回は圧倒的な技術と知識でナイトクラブをロックし続けるDJ YUTAROさんのキャリア、前編をお送りします。

 
 
 
 
 
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SHUNSUKE: 
こういうインタビュー形式で話すのは初めてだけれど、普段通り進めていきますね!まずは自己紹介からお願いします。

YUTARO: 
DJ YUTAROと申します。現在36歳、東京都八王子市で生まれ育ちました。

SHUNSUKE: 
DJを始めたきっかけみたいなのって何だったの??

YUTARO:
きっかけと言うかは分からないんですけど、物凄く食らったのは八王子にあったZONEというクラブでDJという存在を知った時ですかね。ZONEは500人くらい入る大箱でDJ PREMIERとかも来たりするようなお店でした。八王子ZONEで受けた刺激は大きかったです。

SHUNSUKE:
なるほど、その刺激を受けて実際にDJを始めたのはいつ頃だったの??

YUTARO:
高校2年生からDJそのものはやってます。17のときにガソリンスタンドでバイトしてDJ機材を買ってっていう感じでスタートしました。CISCO坂にあった機材屋さんでテクニクスのターンテーブルとEXというミキサーを買いました。まあ、きっかけは他にもたくさんあって、友達のお兄ちゃんがDJやっていたっていうのもきっかけの一つかもしれないです。小さなころから母親から「人とは少し違うことをしなさい」って結構言われて育ってきたんですけど、色々な刺激を受けて、地元の学校には全然やってる人がいないっていう事もあってDJをはじめました。

音楽のルーツはブルースやカントリーかもしれない

SHUNSUKE:
衝撃を受けた楽曲とかってあったの?

YUTARO:
母親が英語を喋る人だったので自然と洋楽が耳に入る環境がありました。エリック・クラプトンとかのカントリー系が多かったですね。皆さんもっとブラックミュージックとかのルーツを想像されるかもしれないんですけど、エリック・クラプトンには強い衝撃を受けました。洋楽そのもの、というより自分の根底に眠る音楽のルーツはブルースやカントリーかもしれないです。

SHUNSUKE:
確かに意外!完全にブラックミュージックがルーツなんだろうなと思ってた!じゃあ、ヒップホップで一番衝撃を受けた楽曲ってなると??

YUTARO:
ヒップホップで言うと、一番食らっちゃったのは、エミネムのStanです。単純にカッコイイ楽曲ですよね。当時の僕が感じたのは「なんでこんなにエモいのに凄くヒップホップを感じるんだろう」って事でした。あれは衝撃でした。さっき話に出たエリック・クラプトンでもチルっぽい、エモーショナルな楽曲が好きでした。Tears in Heavenとか。

SHUNSUKE:
エモーショナル。YUTAROの中に幼少期からずっとあるカントリーやブルースのメロウな部分と繋がってるように感じる。初めて買ったアナログレコードは??

YUTARO:
エリック・クラプトンのベストっぽいレコードです。DJを始める以前にアナログは買ってました。好きなものを買いたいなと考えた結果、クラプトンでしたね。今でも残ってます。

地元での下積み時代

SHUNSUKE:
もう長くDJを続けてると思うけど、ターニングポイントってあったのかな?

YUTARO:
10代の時、八王子ZONEでアナログで、見習いみたいな感じで、先輩たちに揉まれながらDJをしていました。当時は狭い地元の中でバリバリの縦社会で戦っていて。悔しい思いも本当に沢山してたんですけど冷静に「このままここに居ても上がれないんじゃないか?」っていう漠然とした不安を抱えてました。当時アナログからデジタルに移行するタイミングだったんですけど、地元にはアナログで続けるという先輩たちが多かったんです。ただ僕はデジタルに変わっていかなきゃいけないという必要性を感じてて。SERATO SCRATCH LIVEのインターフェイスを買おうと決めたんです。ただですね、若かったので僕はお金を持っていなかったんですけど、どうしても買いたかったので持ち金3万円しかないのにパチスロでお金を増やすという暴挙に出ます笑

SHUNSUKE:
え!?パチンコ!?一か八か!?
確かに当時8万~10万円くらいしたけれどギャンブルでお金を作ったの!?

YUTARO:
そうです。もう完全に博打です笑
嘘みたいな話なんですけど、その時凄く勝っちゃって笑
その足ですぐ渋谷にSERATO SCRATCH LIVEを買いに行きました。冗談のような話なんですけど、この時SERATO SCRATCH LIVEを買ってなかったら、先輩に言われるままアナログレコードのDJを続けてたかもしれないです。パチンコで人生が変わったって言ったら語弊があるかもしれないですけど、SERATO SCRATCH LIVEを買えたというのは本当に大きな出来事だったんですよね。

SHUNSUKE:
でも、アナログを手に入れないとDJが出来ない、という状況からは一気に抜け出せる革新的なソフトの登場だったからね。当時のクラブDJ全員にとって、とんでもない大きな出来事である事には変わりはないよね。

YUTARO:
全く、その通りです。曲の振り幅がもう全く変わってくる事は分かってたんで、絶対に取り入れたいと思ってました。地元の先輩たちはインターフェースを嚙ませることで音が悪くなる事とかを不安がってましたけど、SERATO SCRATCH LIVEを使うこと自体は全然反対はしなくて「しっかり配線繋ぎ変えとけよ」くらいでした。ちゃんとやるならいいよっていう事は言ってくれて。SERATO SCRATCH LIVEが世界的な状況を変える事は、もしかしたら先輩たちも分かっていたのかもしれないですね。
あとはもう一つ。2012.2013年くらいにBig Beachっていうフェスがあったんです。そこのREDBULLブースでFour Color ZackとDJ IKUさんのショーケースがあって。とんでもないDJをしてるって思ったんですよ。

SHUNSUKE:
当時IKUが日本チャンプになった時だね。

YUTARO:
そうです。もうそれはそれは衝撃的でした。それまでグルービーなプレイを意識してましたけど「この人は全く違う頭を使ってる。全く違う次元にいる。」って思ったんです。あの遊び心のあるスタイルとか、全く通ってこなかった自分にとっては凄すぎるインパクトでした。自分もこういう事も落とし込んでいきたいって思うようになるんです。で、その後2年くらいDJを休みます。食らいすぎちゃって。

SHUNSUKE:
2年も!?

YUTARO:
はい。今のままじゃダメだってはっきり感じて。修行というんですかね。変わらなきゃいけないって。その後、DJCITYのワークショップでIKUさんとお話して、当時IKUさんが公開していたルーティンをコピーして、全く同じことが出来るって伝えて披露したりしました。そのあたりから仕事の流れも変わってきたなっていうのがあります。思い返してみても今のスタイルを形作る大きな出来事だったなと本当に思います。

プロフィール

  • DJ YUTARO

    DJ YUTARO

    2004年16歳よりDJキャリアをスタート、西東京を中心に都内で活動中。現在では各地方にも精力的に出演している。HIP HOP,R&Bを中心にスキルフルにプレイするのを得意とし、2013年頃からMixcloudをDJミックスをあげ始め、フォロワー数約6500人を超え(日本人一位)現在に至る。DJの大会「Redbull 3style」に2016年からエントリーし、2019年にはMIXCD「Sauce」をリリース。2017年頃からDJライブ配信を行なっており、現在17Liveでは24万人近くののフォロワーを獲得している。AbemaTV Homiesにも出演。また、地元八王子で八王子市と協力し、無形文化財を広める活動で舞妓、お囃子、などとイベントを行っている。自身のブランド「DUALSHOCK」としてアパレルも制作しており、また「DUALBEATZ」としてビートメイカー、トラックメイカーとしても活動している。

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