目 次
パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。 彼らはなぜ、この仕事を選んだのか? このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。 今回は世界を飛び回るDJ RENさんにお話を伺います。

DJ SHUNSUKE:
出身地とDJ歴から伺っていいでしょうか?
DJ REN:
出身地は生まれが三重県鈴鹿市です。その後、獣医の仕事をしていた父親の転勤で中学一年まで札幌にいて、中学二年から高校三年まで広島に住んでました。大学進学後は京都と滋賀で生活して、東京に出てきたのは大学卒業後です。DJ歴は25.6年になります。
最初の「カッコいい」を広島のストリートで感じる
DJ SHUNSUKE :
記憶の中で最も古い音楽体験、覚えてる曲はありますか?
DJ REN :
家の環境的に、結構厳しいというか「勉強はしなさい」っていう親でした。中一まで札幌にいたんですけど、当時中学受験もしたし。中二で広島に行くまでは結構勉強を頑張りましたね。バスケ部には入ってましたけど、どちらかと言うと勉強の方に比重は置いてたかなって。だから、音楽って言ってもテレビで流れてるJ-Popを聞いてた程度でした。自分が初めて「この曲めっちゃカッコイイ!」ってなったのは広島に行ってから出会った友達の影響が大きかったのかな。広島では、スケボーやってる友達と打ち解けて。
DJ SHUNSUKE :
僕らの時代の思春期にそういうストリートカルチャーみたいなのってぶち当たってましたよね。スケボーもみんなやるようになって「音が煩い」とか言われだした時代ですね。
DJ REN:
学校さぼって、スケボーやりながらラジカセで音楽流すんですけど、その時流れてきたのがRancidとかGreen Dayだったんですよね。Rancidは‟Time Bomb”、Green Dayは‟Dookie”とか。「カッコイイな」ってはっきり思いました。それが最初のカッコイイ音楽体験ですね。映画の『KIDS』が出たくらいの時期で、「あっちのスケボーやってる現地の子らってこんな感じなんじゃないか」みたいな事も思ったりしてました。



↑広島時代の秘蔵写真。
多角的に衝撃を受けた一枚とは?
DJ SHUNSUKE:
カッコイイと思った音楽と衝撃を受けた音楽はRancidとかGreen Dayってことになるんですかね?
DJ REN:
衝撃はまた別にあるんですよ。曲っていうかアルバムです。高校三年くらいからレコード買って安いターンテーブル買ってDJの真似事みたいなことはしてたんですけど、高校卒業して、京都・滋賀で本格的にDJを始めた時にKanye Westの‟The College Dropout”がリリースされたんです。あればマジで凄い衝撃でした。当時、学生しながらDJして、週末はステューシーで働いてたんですけど、店に来る男の子の格好を見ると、みんなKanyeの影響でポロのラグビーシャツを着てたりボーダー着てたりして。音楽の勉強のためにレコード屋さんでもバイトしてたので、あのアルバムがどれだけヒットしたかも分かってましたけど、音楽だけじゃなくてファッションも含めてカルチャー全般に大きな影響を及ぼしてるのを目の当たりにして。凄まじいなって思いました。
勿論、アルバムの中身である曲の作り方も驚きの連続で。僕、当時MPC-2000を持ってたんですけど、Kanyeは多分MPC-2000XLを使ってこのアルバムを作ってたように思うんですよ。‟こんな作り方も出来るんだ…”ってほんとにびっくりしましたね。

DJを始めたキッカケとは?
DJ SHUNSUKE :
DJを始めるにあたってのきっかけって何だったんですか?
DJ REN:
ターンテーブルを買った時が最初ですかね。広島のパルコに機材屋さんがあったんですけど、そこでDJ Ta-shiさんのBEAT KNUCKLESのビデオが流れてて、凄くかっこいいスクラッチをしてるんですよ。それを見て、安いセットを買ったことでDJとしてのキャリアはスタートした事になるんですかね。
クラブDJとして現場でやりたいって思ったのは京都・滋賀の時代です。京都のWHOOPEE’Sというクラブで大先輩のDJ SANCONさんが主宰されている「ESSENTIAL」っていうパーティーをずっと見てたんですよ。
DJ SHUNSUKE :
超長寿パーティですよね?
DJ REN:
そうです。もう30年?とかになるんじゃないですかね。そのパーティにTHE LIFE ENTERTAINMENTの方々が来たんですよ。MASTERKEYさんYUKIJIRUSHIさん、当時はO-KENさん、あとCHRISくんだったり。KAORIさんも来ていました。その現場でMASTERKEYさんの2枚使いを見て、DJの凄さ、うまさ、みたいなものを感じて。「俺、DJちゃんと上手くなりたい」と思ったのがその時ですね。シンプルで、尚且つタイミングも良い。マイクのやり方も含めて、スゲエってなりました。

DJ RENがキャリア初期に悩んだこととは?
DJ SHUNSUKE:
キャリアの初期に一番苦労したことは?自分の技術、立ち位置向上の為にした事ってありますか?
DJ REN:
大学の時、クラブでDJするようになって、いろんな人と現場を共にして、一番悩んだのは、「自分に他人とのプレイの違いを見出せない」ということでした。これは苦しんだし悩みましたね。
DJ SHUNSUKE:
他人との違いを見出せないと。個性がないって思ったっていう事ですか?
DJ REN:
そうです。自分には個性がないなって自覚して。じゃあどうやって個性を出すのか、個性とは何なのか?みたいなことを考えたんですけど、当時はインスタもYouTubeもないから、現場でヒントを得るしかなかった。で、東京のDJがゲストで来た時に何を回してるかを徹底的に研究したんですけど、気づいたのはいち早く新譜をプレイ内容に落とし込んでいるって事でした。そこで、自分もまずは個性としてそのスタイルを身に付けようと思いました。
DJ SHUNSUKE:
ネットもSNSもないから簡単に新譜の情報が手に入る時代でもなかったなと思います。どうやって情報を手に入れたんです?
DJ REN:
アナログ時代は新譜情報はレコード屋さんと現場でしか得られない面もあったので、この新譜の知識を身に付ける為に滋賀の「PIT RECORDS」っていうところに、「バイト代いらないから働かせてくれ」って飛び込みました。とりあえず、身を置かせてもらいたいっていう気持ちでした。結果、ありがたい事に働かせてもらえて。平日はレコ屋でバイトして新譜を毎日チェックして、金土日は洋服屋で夜まで仕事して他の店の店員さんやお客さんと繋がりを作って、そこからパーティー行ってDJして。終わったら店で寝るみたいな生活。
DJ SHUNSUKE:
若いからこそできるハードな生活ですね。
DJ REN:
でも、個性をアピールして、自分自身の立ち位置を変えていくためにはそれくらいやらないと分かってもらえなかったように思います。得る情報は凄く多かったし、大きな財産になった。最初は新譜の情報を得るためにPIT RECORDSで仕事させてもらいましたけど、新譜だけ知っててもダメっていうとこもあるので90年代やサンプリングソースもいっぱい勉強しましたね。D.I.T.C.から叩き込まれました。京都の「VINYL7」とかにも勉強しに良く行ったな。PIT RECORDSで繋がった人達とは今も連絡を取っていて、一緒にお仕事する人もいます。

クラブDJが出来なかった時にやった事が大きな武器に
DJ SHUNSUKE:
キャリア初期にやっておいてよかったなと思うことは?
DJ REN:
大学卒業時に就職するかDJかという選択で、僕は就職を選んで東京に来たんです。最初は広告の制作、デザイナーとかコピーライターですね。でも忙しすぎてDJができなかった。やっぱり音楽が好きだしそれに少しでも携わった職に就きたいと思って転職活動していたらDMRが募集してて。
DJ SHUNSUKE:
社員募集してたんですね、多分僕らが知り合ったのってその頃だったんですかね?最初はDMRでお仕事してるって感じだったような気がします。
あと、DMRを知らない方のためにお話しすると、渋谷宇田川町にあったDance Music Recordsが通称DMRと呼ばれていたお店です。今はHMVのアナログショップがある場所で多くの視聴機が設置されてるなど、初心者にもやさしいお店でした。
DJ REN:
さっきPIT RECORDSの事を話したんですけど、DMRの卸先でもあったんですよ。なので、面接のとき、社長に学生時代に卸先のレコ屋で働いてた話をしたら採用してもらえました。DMRで働きだしたことが音楽業界に入り込めたきっかけですね。でもプレイヤーとしては、DMRで働いてる時はDJができなかったんですよ。バイヤー担当だったので「私情を挟むのは良くない」という会社の方針で。東京のレコ屋スタッフだけのパーティとかは出ても良かったんですけど、現場でDJは基本やっちゃダメ。だからその時に「スクラッチ」を本格的にやろうと思ったんです。プレイできないから。

↑DMR時代の一枚
DJ SHUNSUKE :
「RENくん=スクラッチ」のイメージは出会った頃からあるけど、現場出れないからこそ磨いた時間だったんですね、これは初耳です。
DJ REN:
2007年頃、DMRのバイヤーの間でたまたまスクラッチブームがあったんです。Vestaxの「No Tricks Scratch DJ Battle」っていう、スクラッチオンリーの大会に「出ようぜ」っていう事になって。僕はスクラッチそんなにやったことなかったけど、技ができないのがコンプレックスだったから、大会を見に行って色々研究しました。そしたら知り合いの先輩が1回戦で負けてて。まあ、なかなか勝てないんですよ、出場者の人みんな上手くて。あるタイミングで、出場者の人に「宮島塾(DJ MIYAJIMAのスクラッチスクール)」に行ってるよって聞いて。当時書かれていたメールアドレスをつてに宮島さんにメールして。場所が西東京エリアの立川だったんですけど家から1時間かけて通ってました。全くスクラッチ出来ないと入れないとか噂が結構流れてたんっですけど「全然ウェルカムだよ!」って言ってくださって。知識も技術も無いので、とにかくその環境に身を置いてみようと思ったんですよね。そこで磨いた技術は武器にする事が出来たのでやってよかったなと思います。「環境に身を置く」という事を大事にしてきたと思います。

DJを辞めようと思ったことは?
DJ SHUNSUKE:
25年のキャリアで、DJを辞めようと思ったことはありますか?
DJ REN:
「辞めよう」っていうのはなかったですね。うーん、一度もないかな。僕の場合、DJは趣味でスタートしているので、当初それだけで食べていくってことはあまり考えてなくて。流れの中で食えるようになってきた感じなんですよ。ただ、その時々でDJの頻度の増減はあっても、目の前の事を一生懸命にやってきました。好きだし楽しいのでそれが苦だと思わなかったし。だから、辞めようとは一度も思わなかったですね。
DJ SHUNSUKE:
自分のペースで続けていたら、周りも環境も変わってきたんですね。

↑中国吉林省XGAMESでの一枚。気温は何と-30°C。
2014年に大きなターニングポイントを迎える
DJ SHUNSUKE:
これまでの活動の中での大きなターニングポイントってありますか?
DJ REN:
DMRでの仕事を経て、レコード会社のA&Rをやったんです。その会社は土日祝日がお休みが取りやすいというか、自分の裁量で休めた部分があって。2010年位から渋谷のお店を中心にクラブでのDJ活動を本格化させました。渋谷アクシスやHarlemといったお店でDJさせてもらうようになります。まず、クラブでDJを出来るようになったというのは僕にとって大きなターニングポイントの一つです。
もう一つは、2014年にRed Bull 3Styleに出て勝てた事ですね。
DJ SHUNSUKE :
当時色々お話し聞いたと思うんですけど、なんでRed Bull 3Style出ようと思ったんですか?
DJ REN:
それも「環境に身を置く」という挑戦ですね。2010年にスクラッチの大会でタイトルは取ってたけど、Red Bullはコンセプトが違う。パーティーロック的な要素がとても強かったので、どうしたら勝てるのか、全く違う大会にチャレンジしたくなったんです。。
DJ SHUNSUKE:
RENくんがどうやって勝つための研究をしたか、聞いた覚えがありますね。
DJ REN:
めちゃくちゃ研究してました。週末クラブに行ってずっと人の足の動きを見てましたね。何がかかってどんな盛り上がり方をしてるのか。HARLEMに行っては後ろから、上から、毎週見てた。
DJ SHUNSUKE:
このRed Bullでの優勝は、やっぱり大きなポイント?
DJ REN:
そうですね。日本で勝てたことも勿論そうなんですが、世界大会に行って、いろんな国のDJと知り合って、海外に行く機会も増えた。圧倒的に知名度は上がりましたね。国内も海外の人も知ってくれた。

↑Red Bull 3Style優勝の瞬間
音楽、DJをやってきて良かったと思った
DJ SHUNSUKE:
キャリアの中で最も印象深い出来事ってなんですか?
DJ REN:
最近の話なんですけど、札幌の小学校時代の親友と30数年ぶりに再会したんです。彼がABEMA(ABEMIX)を見てFacebookで連絡をくれて。彼は札幌でジャズのシーンを盛り上げる仕事をしてて。調べてみたらTAMAさん(DJ TAMA a.k.a SPC FINEST)が共通の知り合いだったんです。去年、札幌のエスコンフィールドでの仕事があったんですけど、TAMAさんと食事する事になって、お店行ったらサプライズで彼を呼んでくれてたんですよ、32年ぶりの再会です。お互い年取ったなと思いましたけど、彼も音楽に携わってるだけあって若々しかったです。
DJ SHUNSUKE:
32年ぶり!凄いですね!
DJ REN:
当時は小学生だし、二人とも音楽の仕事するなんて思ってなかった。SNSではたまに連絡を取ってましたけど、実際に会うのは本当に32年ぶりなので本当に驚きましたね。音楽とDJがまた繋いでくれた。やっててよかったと思いましたね。ここ最近では、この出来事が一番印象深いです。

↑北海道のレジェンドDJ TAMA、DJ REN、小学校時代の親友
世界を飛び回りDJする時の「軸」って?
DJ SHUNSUKE:
今、国外でもゲストとして呼ばれる事が多いと思うんですけど、DJ RENとして一貫して大切にしている「プレイの軸」って何ですか?
DJ REN:
お客さんが楽しんでるのが一番。これは絶対です。ただ、主催者が求めているものやイメージしているものがお客さんの求めるそれと違う可能性があるんですよね。SNSを見た人もいれば、Red Bull覇者としてのトリッキーなプレイを期待する主催者もいます。なので、現場のお客さんが求めている週末のパーティー感とのバランスをうまく取ることを最も心がけてます。多角的に自分を見て、こういうイメージを持ってるかも、っていうプレイはどこかのタイミングで披露するようにしてます。
あとは、プレイの軸ではなく、心がけてることなんですけど、海外のDJとローカルな付き合いをすることですね。日本人のゲストとして構えるんじゃなくて、ローカルの奴らの家に行ってセッションして、屋台で飯食って。ローカルに馴染んで仲良くなることを大切にしてます。言葉は全て通じなくても、そういう経験を通して価値観や考え方を感じる事が出来る。海外でスクラッチセッションとかすると上手いとか下手とかじゃなくてもう本当、楽しい感じになるんですよね。言葉を飛び越えて理解する事が出来たりします。


↑現地のDJ達とのセッション
未来へ向けて取り組んでいる事とは?
DJ SHUNSUKE:
今力を入れていること、未来のビジョンは?
DJ REN:
コロナ禍から本格的に始めたトラックメイクやプロデュースですね。CM、Dリーグの曲、ラッパーの曲、インスタのショート用楽曲とか。アーティストのプロデュース業ももっとどんどん広げていきたいと思ってます。
DJ SHUNSUKE:
活発にやってますよね。元々そういう事にも興味を持ってるイメージがあります。
DJ REN:
そうですね!MPCの話をしましたけど、最初から興味はあります。あとはまだ言えないんですけど、みんなが楽しめるようなプロジェクトを準備していたりお手伝いしてたりって言うのがあるので、SNSやホームページをチェックしてもらえるとありがたいです。

↑東京2020での一枚
長く活動を続けるポイントとは?
DJ SHUNSUKE:
最後に、音楽業界に飛び込んでくる若い人たちにアドバイスがあれば一言お願いします。
DJ REN:
音楽やDJを嫌いにならずに、長く音楽業界で活動してほしいというのが、僕からの願いであり、アドバイスです。
昔って「音楽一本でやるのがかっこいい」という風潮があったじゃないですか。他のことをやっていたらダメ、みたいな。でも僕は、「平日は仕事をして、週末はDJをする」というスタンスを肯定しています。僕自身もそうやってきて、徐々に音楽の割合を増やしていきました。結果として今は音楽で生活させてもらっていますけど、音楽だけでやっていくことがすべてじゃない。しっかり仕事で自分の生活を保ちながら、やりたいDJを一生懸命やるというのは、すごく素晴らしいことだと思います。DJをするにあたっては、メンタル的にも音楽とのベストな距離感を保つことが、長く続ける秘訣かなと。生活のためのお金を稼ぐのは、必ずしも音楽じゃなくていい。その代わり、DJとしての目標や「こういう現場に出たい」という意志はしっかり持って、そこに向かって真っすぐ一歩一歩進んでいくのがいいと思います。たくさんの現場で場数を踏むことも大切だけど、どんな仕事であれ音楽以外の仕事をするということは、二足の草鞋になる。それを選ぶ以上は、なりたい自分を明確にして、そこに向かって最短距離で突き進まないと、時間はどんどんなくなっていきます。逆に言うと、音楽だけでやっていたとしても自分のやりたい事と違う事を仕事としていくとそれはそれで本質を追い求める部分での時間が無くなっていくんです。
若い頃、今話したようなことを先輩に言われて「はぁ……」となった経験が、自分にもあった気がします。でも今思うと、その人も実際に経験したからこそ、話してくれたんだろうなと感じます。結果的にどう進んでいくかは分からないけれど、仕事をしながら音楽を続ける人もいれば、僕のように音楽が職になっていく人もいる。とにかく、長く音楽業界で楽しく活躍する為にはいろいろな方法があるので、考えて取り組んでみてください。


プロフィール
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渋谷宇田川町にあるレコードショップの元バイヤーならではの豊富な知識から生まれる選曲を主軸に、スクラッチ、2枚使い、ビートジャグリングなどのギミックを、普段のDJプレイに心地良く織り交ぜるプレイスタイルに定評がある。 これまでThe Beat JunkiesやDJ Jazzy Jeff、Beatnuts、KENNY DOPE、DJ Spinna、Madlib、9th Wonder、DJ Scratch(EPMD)、DJ Spinbad、AG、Diamond D、DJ EVIL DEE、JeruThe Damajaといった数多くの海外アーティストのジャパンツアー、日本公演の前座を果たし、どの現場でもその確かなスキルと選曲で多くのリスナーの支持を得ている。 また、現在はCELAVI、VOYAGERなどにレギュラーDJとして参加するほか、RedBull BC One 2016 World FinalのテレビCM出演、J-Wave 81.3 FM RADIO『Hello World』や、InterFM『TOKYO SCENE』、USEN C-44『Manhattan Records HIP HOP + R&B』、インターネットラジオ『block FM』などラジオ媒体への出演、国内外有数のクラブへのゲスト出演、X GAMES、フェス、BMWやMARC JACOBSなどが開催するパーティーなど、年間150本以上の現場をこなしている。 さらにDJコンペティションにおいては、RedBull主催のDJ大会『RED BULL Thre3Style』の2014年度日本チャンプに輝き、機材メーカーVESTAX主催のスクラッチバトル『VESTAX NO TRICKS SCRATCH DJ BATTLE』においても2010年に優勝するなど、クラブDJとバトルDJの両面を持ち合わせるアーティストとして幅広いオーディエンスから確固たる支持を集めている。 DJのみならず、プロデューサーとしての評価も高い。2015年10月に発表されたPioneerDJのバトルDJミキサー『DJM-S9』の開発においては、設計段階から携わり、その実機は今や世界中のレジェンド・クラスのDJ達が愛用するほどになっている。他にも、クラブイベントや店舗プロデュース、DJスクール講師としてのオファーも多く、そのマルチな活躍は業界内でも話題となっている。 また楽曲制作においては、RIMOWAやadidas、HUMAN MADE、Johnnie Walkerなどの大手企業のCM、PR動画のサウンドプロデュースをはじめ、CYBER RUIや18scottなどの人気アーティストのプロデュース、そして日本発世界初のプロダンスリーグ”D.LEAGUE”のダンスチーム『SEGA SAMMY LUX』のコンポーザー(作曲者)として数多くの楽曲を手掛けている。

