パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
第十七回は海外に拠点を置きつつ日本国内でも大活躍するDJ RAMさんのキャリア、後編をお送りします。
海外への移住
SHUNSUKE:
これまでのキャリアについての話から少し話を変えていこうと思います。今日本とカンボジアの2拠点での活動してると思うんですけどどういうきっかけがあって移住を決意したの??
RAM:
カンボジアで去年、SEA GAMES 2023っていうのがあったんです。東南アジアのオリンピックって呼ばれるような大会で。その大会のサウンドプロデューサーとして入ってくれないかっていう声がかかって、初めてカンボジアの地に足を運んだのが最初のきっかけです。東京オリンピックとかに比べると規模も小さいし緩い部分もあった大会でしたけど、色々と国の雰囲気や気候みたいなものも自分のリズムに合って。変に堅苦しくない。なんだか居心地が凄く良かったんです。自分自身、若い頃にニューヨークへ何度も足を運んだりした事や海外へ行くことが好きだったっていうのもあって、いつか日本以外でもDJしたいという気持ちはずっとありました。直感的にカンボジア、良いかもって感じたんですよね。ただ、当時の自分の状況としては、FC東京のオフィシャルDJをしているし、ベイスターズのオフィシャルDJもしている。ナイトクラブでもDJは沢山していたので仕事には全く困っていなかったです。順調だったのかもしれないですけど、40歳を手前にして自分のキャリアをリセットして新しい挑戦をしてみたいって思うようになりました。次のステージに進まないといけないって。
ビジネスの視点で言うと、カンボジアでは過去に「カンボジア大虐殺」という悲しい出来事があって。たった50年前の出来事なんですけど、今でいう影響力のある人間が年齢問わず処刑されてしまった。国の平均年齢が24歳で40代以降の人口が極端に少ないんですね。平均年齢24歳の国なんて他にはそう無いと思うんですよ。悲しい過去があったのは事実ですけど、若い人が中心の国はこれから経済的に国の大きな発展が期待できるので、エンタメの分野も伸びしろしかないって感じてます。日本で見てきたエンタメをカンボジアに持っていきたいっていうのもあります。
SHUNSUKE:
都心エリア当たりは東京と変わらないというか、しっかり整ってるイメージもある国だね。
RAM:
住めば都ではないですけど、生活環境はやっぱりよくてビジネスもしっかりできるって判断して最終的に移住を決意しました。ただ、そうするとベイスターズのスケジュールがこなす事が出来なくなる。長い間やらせてもらいましたけど、自分の次のステージに進むためにチームにお話しをして、後輩に引き継いだうえで送り出してもらいました。FC東京についてはホームゲームは月に2試合くらいなのでその都度帰国して仕事させていただいています。なのでFC東京のホームゲームで帰国しますけど、それ以外は拠点はカンボジアで活動をしているっていう感じです。
カンボジアのクラブ・音楽シーンとは?
SHUNSUKE:
国の様子や、クラブの状況ってどういう感じなの?
RAM:
日本に比べちゃうとやっぱり貧困な国なのかもしれないですね。貧困と言うか、高所得者と低所得者の差はかなり大きいと思います。中間層が全然居ないですね。クラブのシーンについて話すと、DJやアーティストと呼ばれる人は沢山いますね。箱は大箱で凄い照明のお店とか結構沢山あります。音楽的にはEDMやチャイニーズエレクトロという独特な早いビートの音楽が強いですね。いわゆるハードスタイルみたいな音楽も掛かってます。気になっているのが、クラブ、フェス、バーでどこでも同じ音楽しか掛かっていないという事ですかね。昔日本がニューヨークより5年遅れてる、と言われたように、カンボジアのシーンはそこからさらに10年とか遅れてる感じになるのかな、現段階では。DJも本当は色々プレイしたいっていう気持ちがあるみたいなんですけど、単純にお客さんにうけないという部分で恐怖感が強いみたいで。日本でも同じような経験がありますけど「DJが変えなきゃ何も変わらない!」と言う事とかもっと伝えていかないといけないって思います。自分自身、エージェント会社との契約をしていて、ものすごく大きなフェスとかにも出演させてもらってるんですが、クラブシーンにコネクションを持って移住したわけではないんです。なので、カンボジアのアーティストやDJに会った時は英語で話してミックスクラウドの情報伝えて、とか。若手だったロゴスの頃にやっていたようなプロモーションもしています。
クラブとは少し話がずれるんですが、暖かい気候の国なので、フェスとかはやっぱり強いです、お客さんやスタッフのテンションも高い。先日出演したフェスではいきなりヘッドライナーみたいなオオトリでDJをして、プレイ時間の延長を求められました。計3時間ですかね、もうメチャクチャ盛り上がってくれて。スタッフの人達も最後は物凄く遊んでました笑
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SHUNSUKE:
なるほど。ひと昔前の日本のシーンを思い出すね。世界的にヒップホップが流行ってるけどその辺は掛からないの?
RAM:
お客さんはヒップホップを知らないってわけではないですね。音楽シーン全体としてはヒップホップ、メチャクチャ流行ってます。街を歩けないくらいの大スターもヒップホップアーティスト。ただ、音楽を聞く場所では掛かっていないというか。だからカンボジアのクラブには外国人の観光客とかが全然居ないです。世界的なヒット曲は全然かからないから。外国人だけじゃなく、カンボジアのヒップホップアーティストも全然来ないんですよ。エレクトロとかしか掛からないから。だからこそ、そういう人たちが遊びに来る場所を自分が作りたい。そういう場所でカンボジアのアーティストが当たり前に遊びに来て、日本のアーティストがリンクして、曲を作って、みたいなビジョンがあります。地域をクロスオーバーした楽曲っていうのを作ってアーティストたちが交流する、そういった架け橋に自分がなればいいなっていうのが目標ですね。今、この国で自分しかやらないような、出来ないようなヒップホップ、オープンフォーマットスタイルみたいなのをどんどん侵透させていきたいです。これが当たり前なんだよというのが分かれば、絶対に真似しますし流行ります。絶対盛り上がってくるので、もっと日本のみんなカンボジアにも進出してほしいなとか思います、家賃も凄く安いし。首都でも路面店で渋谷や六本木の半額以下だと思います。SHUNSUKE君が出資してください笑
SHUNSUKE:
頑張ります笑
音楽シーンに願う事
SHUNSUKE:
今後もしかしたらクラブでの活動とか音楽自体の活動がカンボジアに寄っていくかもしれないっていう状況かもしれないけれど、これからの日本のクラブ・音楽シーンだったりヒップホップシーンに願う事はある??
RAM:
正直ここまで日本のクラブシーンで日本語のヒップホップが強くなるとは予想も出来なかった、こんなにも大きくなるとは。今は普通にクラブで邦楽感覚で聞ける状態になった事でヒップホップシーンに関しては圧倒的に良くなったんだろうなって感じてます。市場規模も広がったという事実は、簡単に言うと以前よりも一般化したって言えると思います。ただ、一般化した事でアンダーグラウンドな、コアなファンが現場に来るのが減ってるような気もするんですよね。それってやっぱり寂しい事で。そういう需要がある事も踏まえて供給バランスが取れるパーティも増えたら良いなと。クラブだけで言うとやっぱり自分達が若かったころの方が面白かったなって思ったりもします笑
だから、あの頃のような衝撃をうけるクラブシーンになっていくといいなと。市場規模はどんどん大きくなってるのでさらに一般化は進むだろうし、お金も動くようになる、それは良い事なので贅沢は言えないし悪く言う訳じゃないんですけどね!色のあるパーティというか。うん。
あとはラッパーの人たちがしっかり世の中からフォーカスされる時代にはなったものの、DJパフォーマンスへの注目はまだまだ薄いと思う。ヒップホップは流行ってるけど、DJの立ち位置は低いままだなって。DJはDJでやるべきこともあるんでしょうけど。シーンにおける重要度で言えば最重要な立ち位置なのに。例えばナイトクラブ一つとってもDJがいなければ成立はさせられない。有名なDJになるとか、そういう考え方もあるんでしょうけど、何て言うかな、もう少し空間を作っているDJという存在の大切さを理解して評価をしてほしいですね。
自分のキャリアを改めて振り返ってみると少し異色と言うか、あまり多くの人が通った道ではない事をやってるなと思います。先ほども話しましたけど、やっぱりそれはDJの価値を上げる事やクラブへの還元が根本にあるので、今後も自分の思う正しい事や楽しい事へ進んでいきたいなと考えてます。
SHUNSUKE:
確実に初めての道を進んでるように思います。他の誰にもできないような動きなので、苦労する事もあるだろうけど本当に応援しています!長い時間本当にありがとうございました!
プロフィール
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2001年よりCLUB DJとして始動。 数々のCLUB、PARTY、BAR等でDJをこなし、HIPHOPを軸にALL GENREな幅広い選曲とこだわり抜かれたミックスやスクラッチができるDJ。 2008年には、若くして誰もが知る横浜の老店CLUB LOGOSの週末看板PARTYの RESIDENT DJに大抜擢され頭角を現し始める。 その後、拠点を東京に移し都内各CLUBのレギュラーや日本各地でGUEST DJとして招かれる。 2018年には、数々の活躍が認められDENON DJ、DJCITY JAPANとパートナーシップを 結ぶ。 2021年には、Tokyo 2020 Olympicsにて野球、ソフトボールの横浜ラウンド全試合の DJを担当し、金メダル獲得の後押しに貢献した。 2022年よりFC東京のホームナイトゲームでパフォーマンスを開始。また、ラジオステーションInterFMにゲスト出演やWREP RADIOに開局時にレギュラー出演など、まさにオールラウンドプレイヤーなDJとして定評を受けている。