“初期衝動”を忘れずに、燃やし続けることが大切

福岡を中心にクラブDJ、DJ講師として活躍するDJ LYMEのキャリアとは?

ライター:DJ SHUNSUKE

パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、この仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回は福岡でクラブDJ、さらにはDJ講師として活躍するDJ LYMEさんにお話を伺います!

SHUNSUKE:
まずは自己紹介をお願いします。

LYME:
出身地は熊本県熊本市、DJ歴は14年になります。

SHUNSUKE:
記憶の中で、最も古い音楽体験、覚えている曲はなんですか?

LYME:
宇多田ヒカルのAutomaticです。小さい頃に母親が車の中でいつも流してました。無意識に覚えてましたね、気が付いたら好きになっていました。

SHUNSUKE:
カテゴライズしてしまえばJ-Popではあるけど、R&Bが原体験なんですね。では、衝撃を受けた曲、インパクトを覚えた曲ってなんだったんですか?

LYME:
ブッダブランドの人間発電所です。
最初にトラックを聴いた時からなんだこれは!?ってなりましたね。ラップが始まっても言ってる内容が全然理解できなかったんですけど、とにかく「この曲はカッコイイ!!」って思いました。初めて聞いたときのインパクトは凄かったです。今でもカッコイイと思いますね。

SHUNSUKE:
日本のヒップホップ史に燦然と輝くクラシックですね。では、LYME少年がDJを始めようと思ったキッカケとは何だったんでしょうか?

LYME:
いくつかあるんですが、まず大きかったのは中学生の頃に聴いたDJ MASTERKEYさんやDJ KAORIさんのミックスCDですね。あれが最初の衝撃だったと思います。それまで自分の中では音楽を聴くといえば、一曲一曲をフルで聴いて、終わったら次の曲に移る、というのが当たり前の流れだったんです。でも、そのCDでは曲と曲が途切れることなく自然につながっていて、まるでひとつの作品のように展開していく。それを耳にしたときに「え、こんな音楽の表現方法があるのか!」とすごく興味を持ちました。自分にとっては新しい音楽体験で、そこから「DJ」という存在を強く意識し始めたんだと思います。

SHUNSUKE:
分かります。自分も初めてミックスされている作品を聴いたときは衝撃でした。ただ曲を選んで流すだけじゃなくて、流れを作っていく楽しさや可能性を感じますよね。

LYME:
そうなんですよね。そして、DJというものに関心を持って色々と調べていくうちに、YouTubeでDJ KENTAROさんの動画に出会ったんです。そこで見たのは、スクラッチや2枚使いといった、当時の自分には信じられないくらい高度なプレイで、「こんなことができるんだ!」と本当に驚きました。単純に「めちゃくちゃカッコいい!」と心を掴まれて、画面に釘付けになったのを覚えています。その瞬間に「自分もこんな風にやってみたい!」と強く思ったことが、実際にDJを始める一番のきっかけになったんじゃないかなと思います。

↑DJ KENTARO

SHUNSUKE:
DJを始めてから14年もの時間が経ちました。長くキャリアを重ねてきた中で、これまでにDJを辞めようと思ったことはありますか?

LYME:
辞めようと思ったことはないです。ただ、クラブDJとしてのキャリアをスタートした大学生の頃は「DJを職業にするぞ!これで食っていくぞ!」というような強い思いまでは無かったかもしれません。

SHUNSUKE:
スタートは割とライトな気持ちで始まった感じだったんですね。でも簡単な気持ちで14年も続けるのはちょっと無理だと思うんですよ。なんとなく続けてきたわけでは無いとは思いますが、続ける事が出来ているワケとかってあったりしますか?

LYME:
一番大きな理由は、やはり音楽が好きだからです。単純ですが、その気持ちが自分の強い芯だと思っています。そして、実際にプレイを重ねれば重ねるほどDJという行為自体がどんどん面白くなっていったというのも強いです。最初は曲を繋げるだけでも楽しかったのですが、少しずつ自分の表現ができるようになり、フロアの反応も返ってくる。そういう積み重ねの中で「もっとやりたい」という気持ちが強くなりました。さらに、自分よりも圧倒的に上手な同世代のDJや、尊敬する先輩たちが色んな事情で現場を離れていく姿を目の当たりにする度に「なぜ自分はまだやっているのか」「自分はどうするのか」と考えさせられました。そこで出てきた答えが、「自分は絶対に辞めずに続けよう」という決意です。最後まで残っていたい、続けることそのものに大きな意味があるんだ、という気持ちが芽生えました。だから、好きだから続けられたのはもちろんですが、それに加えて「自分がやり続けることの意義」を強く意識するようになったのも大きいと思います。

at bijou Fukuoka(2019)

SHUNSUKE:
どのタイミングで「DJを職業として本気でやっていこう」と考えるようになったんですか?

LYME:
そうですね…。先ほども少し触れましたが、クラブでDJを始めたばかりの頃は、まだそこまで「これで食べていくんだ」とまでは考えていなかったんです。手を抜いていたわけではなく、むしろ夢中でやっていたのですが、職業としての意識はまだ曖昧だったと思います。その頃、自分にとって一番の先輩であるDJ MESMERIZEさんからの言葉がが自分の意識に変化をもたらしてくれたように思うんですよね。

SHUNSUKE:
MESMERIZE君が一番の先輩に当たるんですね!どんな言葉が印象に残ってるんですか?

LYME:
クラブの営業が終わった後に、お客様と、DJ MESMERIZEさんと3人でご飯を食べに行ったんです。そこでお客様から「大学を卒業したらDJはどうするの?」と真正面から聞かれました。その時の自分はまだ将来のビジョンがハッキリしていなくて、思わず「どうでしょうね〜」なんて曖昧に返してしまったんです。後日、そのやり取りを聞いていたMESMERIZEさんから「お前にはあの場で『続ける』って言ってほしかったぜ〜」と声をかけられたんです。その言葉が胸に強く残ってます。自分の中で「答えを曖昧にしていたらいけない」と気持ちが切り替わった瞬間だったのかなって思いますね。それ以来、「DJを仕事として続けていこう」「この道で生きていこう」と腹をくくるようになりました。

SHUNSUKE:
どうしようか迷っているタイミングでその言葉は凄く響いたでしょうね。MESMERIZE君もきっとLYME君に期待している部分があったんでしょう。今は東京で活動するMESMERIZE君と会うとたまにLYME君の話になったりします。今も期待してるんだろうなって感じますよ。

↑DJ LYME.DJ MESMERIZE.DJ JACKASS.DJ TOMMY ROD.

SHUNSUKE:
ご自身、10年以上のキャリアを積み重ねてきていますが、その中で最も印象深く心に残っている出来事は何でしょうか?

LYME
やはり、自分が最初にDJをさせてもらっていたクラブ「WALNUT」が閉店することになった時ですね。

SHUNSUKE:
WALNUT、懐かしいですね。そういえばLYME君と初めて会ったのもWALNUTでした。僕も福岡へ行くたびにあのビルの前を通るんですが、いつも当時のことを思い出します。

LYME:
そうですよね。自分にとってWALNUTは、まさに“ホーム”と呼べる場所でした。DJとしての基盤を築かせてもらった空間であり、毎週のように足を運び、仲間や先輩、常連のお客様と過ごした思い出が詰まっています。だからこそ、閉店すると聞いた時の衝撃は大きかったです。同じ場所で「ensa」という後継のクラブ名での営業が続いたのですが、それもほどなくして閉店してしまいました。自分を育ててくれたクラブが立て続けになくなってしまうという経験は、本当にショックでしたし、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになりました。その後は福岡の様々なクラブでプレイするようになりましたが、自分にとっての原点は今もWALNUTにあります。だからこそ、2025年1月に現在自分がDJ統括として携わっている「GALA RESORT NAKASU」で「WALNUT NIGHT」というパーティーを企画できたことは特別な意味がありました。当時のオーナーの方と一緒に開催したのですが、当日は大盛況で、懐かしいお客様も同窓会のように集まってくださったんです。フロア全体が再会の喜びと音楽で一体になって、まさにWALNUTが蘇ったような空気でした。あの夜は自分のキャリアの中でも本当に心に残る出来事になりましたね。

↑WALNUT NIGHT

SHUNSUKE:
今LYME君が力を入れている事、未来へのビジョンがあれば教えてください。

LYME:
今は、福岡・中洲にある「GALA RESORT NAKASU」というクラブにメインで関わっていて、そこに自分のエネルギーを全力で注いでいます。どうすればもっとお客様に楽しんでもらえるか、どうやってシーンを盛り上げていけるかを常に考えながら試行錯誤している最中です。それと並行して、自分が主催している「R&B NIGHT」というパーティーにも力を入れています。名前の通りR&Bを主体にしたイベントなんですが、ジャンルの魅力をしっかりと伝えつつ、クラブに慣れていない人でも入りやすい空気感を作れるよう意識しています。まだまだ伸びしろのあるイベントなので、もっと規模を大きくして、多くの人に愛されるパーティーに育てていきたいですね。
未来へのビジョンとしては、今の自分の拠点は福岡ですが、活動を全国的に広げていきたいという思いがあります。単に福岡に留まるのではなく、色々な街、色々なシーンでDJをして、自分の名前をもっと知ってもらえる存在になりたい。そのために今は日々の現場を全力で積み重ねながら、着実に次のステップへ進めるように準備している段階です。

↑DJ G-LAIYA.DJ SHUNSUKE.DJ LYME(at PHASE3 2023)

SHUNSUKE:
最後に、今後地元福岡のクラブシーンに入ってくるであろう、若い人達にアドバイスがあれば一言お願いします。

LYME:

まずは、とにかく音楽そのものやクラブという空間、そしてDJという存在を心から好きになってほしいです。最初は純粋な憧れやワクワク感から始まると思うんですが、その気持ちを大事にしてほしいですね。自分自身もそうでしたが、初めて聴いたミックスや初めて見たスクラッチに衝撃を受けた、あの瞬間の熱量があったからこそ今まで続けてこられたと思っています。その“初期衝動”を忘れずに、燃やし続けることが本当に大切です。DJとして技術を磨いたり、知識を増やしたり、現場を経験していく中で、時には壁にぶつかることもあると思います。周りが辞めていったり、自分の進む道に迷いが出たりすることもあるでしょう。でも、その時に最後まで支えになるのは「好き」という気持ちです。だからこそ、その気持ちを糧にして長く続けていってほしい。シーンに新しい風を吹き込んでくれるのは、これからクラブに足を踏み入れる若い世代だと思っています。だからこそ、自分のペースでいいので、好きな音楽を追いかけながら長く続けていってもらいたいです。

プロフィール

  • DJ LYME

    DJ LYME

    2011年より地元熊本から福岡へ拠点を移しDJ活動をスタートさせる。2013年~2018年までBlack Musicをメインに発信するclub『WALNUT』でのレギュラーDJとして活動。2018年以降はclub『WALNUT』の後継となるclub『ensa』や、club『evoL』、club『INFINITY』など福岡のclub、また県外でのゲスト出演も含め様々な現場で活動。現在は中洲『GALA RESORT』,親不孝通り『PHASE3』でのレジデントDJとして活動中。2019年より島村楽器DJスクール(アミュプラザ博多店)の講師としても活動。HIPHOP,R&BからDANCE MUSIC,JAPANESE HIPHOPまで様々なジャンルを取り入れたALL MIXスタイルで抜群の安定感とグルーブ感溢れるMIXを得意としている。MIX作品制作においても積極的に取り組んでおり、2020年iTunes Storeでのキャリア初となる配信リリースMIXアルバム『R&B HOUSE NIGHT -TROPICAL & PIANO MIX-』を発表。iTunes R&B/ソウルチャートで1位、総合チャートにおいても13位と、MIXアルバムとしては驚異的なセールスを記録。その後も継続的に配信リリースを続け、2作品でiTunesダンスチャート1位を記録している。自身がオーガナイズするPARTYも多数開催しており、2024年には一晩通して1人でDJ playを行うワンマンイベント『ONE OF ONE -420min-』を開催し、成功させた。

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