パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人達がいる。
彼らは何故、今の仕事を選んだのか?
このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
第三回は福生のクラブシーンを牽引し、ナイトクラブからスポーツの現場まで幅広く活躍するDJ YUMAさんのキャリアについてお送りします!今回も「DIG!かばんの中身」でもお馴染み、DJ SHUNSUKEがインタビューを行ってきました。
SHUNSUKE:
まずは自己紹介からお願いします。
YUMA:
DJ YUMAです。東京都立川市出身の年齢は39歳です。
DJを始めたきっかけは?
SHUNSUKE:
DJを志したきっかけを教えてください。
YUMA:
中学生の頃にスケートボードをやっていて、そういうときに聴く音楽ってメロコアかヒップホップだったんです。特にヒップホップが好きだったんで聴いてたら、中学2年生の時に友達が「レコードで聴いた方がかっこよくない?」と。確かにと思ってレコードプレイヤーをまず買ったんです。
それからレコードを買いに行くようになって。今でも鮮明に覚えてますが初めて買ったレコードはTribe Called Questの「Find Away」、Black Moonの「War Zone」、Big Lの「Ebonics」の3枚でした。当時はジャケ買いだったのでハードコアめな曲に「外れた」って思ったんですが、のちのちハマって今ではめちゃめちゃ好きです笑 その後、当時DJ AKAKABEさんがDMCで準優勝したニュースを見たんですね。DJっていうのがあるんだってその時に知って、俺もレコードプレイヤー持ってるしイケるんじゃないって思って、ジュクジュクやり始めたんです。
SHUNSUKE:
レコードプレイヤーから始めたんですね。
YUMA:
その後、中学3年生の時に2Pacが出てる「JUICE」って映画を観てすごい衝撃が走って。エンディングにNaughty By Natureの「Uptown Anthem」が流れたんですけど、それがクソカッケー!と思って。レンタルのVHSで観てたんですけど、デッキの赤と白の端子から音が出てたのは知ってたんで、それをカセットデッキに繋いでエンディングだけ録音していつも聴いてました。主人公のDJの子がストリートにのまれる物語なんですけど、DJカッケー!ってなって、それからDJをやろうって思ったんですよね。
高校生になったらすぐにアルバイトしてターンテーブルを買うって決めて。当時15万円くらいしたんで高校生からしたら大金だったんですけど、先輩が中古のセットを4万円で売ってくれることになったんですぐに買いました。それからDJをやりはじめて先輩に教えてもらったり、高校1年生の時に知り合ったLIL JUNが同級生で、中学生の頃から池袋でDJやってたんで、よく彼のとこまで教えてもらいに行ったりしてましたね。
SHUNSUKE:
良いですね!
YUMA:
高校生の時はバイト代を全部レコードにつぎ込んで、空いた時間はDJの練習をして。もちろん、友達とも遊びに行くけど「DJの練習しなきゃ」とか言って帰ってたりしてました。
SHUNSUKE:
すごくストイック。俺は大学生くらいからそういう生活をやりはじめたけど、高校生のときから突き詰めてたんですね。
衝撃を受けた楽曲は?
SHUNSUKE:
DJをやっていく中で、衝撃を受けた楽曲はありましたか?
YUMA:
DJをやり始めたきっかけも2pacでしたけど、やっぱり2Pacの「Life Goes On」ですね。英語の勉強もしてたんで、リリックを全部覚えることをやってて、彼のリリックを読み込んだ時にやっぱりすごく深いなと思ったし、曲調だけでは感じ取れないものをリリックから受け取ってました。
SHUNSUKE:
やっぱりリリックは調べますよね。
YUMA:
もちろん日本のラップも高校生の時にすごく聴いてて、そういうものから人生を学んだ部分もすごくありました。やっぱり社会的なメッセージとかアツいリリックが多いじゃないですか。部活とかバイトの人間関係からいろんなものを学びながら人としても成長していくと思うんですけど、音楽から学んだものもすごく多かったです。
SHUNSUKE:
深いですね。やっぱりヒップホップなんですね。
YUMA:
そうですね。初めて買ったCDはChage and Askaなんですけど笑 例え話で「無人島に持っていくなら」ってあるじゃないですか。持っていけるアルバムが3枚であればLauryn Hillの「The Miseducation」は絶対入れます。あとはUsherの「8701」とあと1枚は2Pacのどれかですね。
SHUNSUKE:
Usherのアルバムは一緒かもしれないです。「Confessions」と2枚持っていってもいいかな。両方一生聴けますね。
福生の街でプロのDJ YUMAが誕生
SHUNSUKE:
僕たちの世代からは「DJ YUMA=福生の若手を引っ張ってるDJ」というイメージを持たれていると思います。東京都内でも米軍基地がある福生は異色な街ですけど、その街でどういうことを感じながらDJとしてのキャリアをスタートさせたんですか?
YUMA:
高校生の時にはじめてDJをやったのが福生で、高校生のパーティーをやったりして仲間ができていきました。19〜20歳ぐらいの時に、日本で一番古いディスコのEDDIE’Sで半年ぐらいDJをやってたんですよ。僕には師匠がいるんですけど、兄弟子にあたる方に連れられてそこに行って。その人のDJがめちゃめちゃうまくて、当時EDDIE’Sには白人の人が多かったんですけど、すごくお客さんをロックするんですよね。でも僕がやると一発で滑ったりするんですよ。なんでダメだったんだろうって振り返ると、やっぱり音楽の曲調と内容で、僕はとりあえずBPMで繋げる感じでやっちゃってて、それだと通用しないことをそこで学びました。
いろいろあって半年で辞めたあとに、渋谷のNUTSとかその界隈でDJやったりしてて。やっぱり都会の方で頑張ろうかなと思ってたら、福生のCRUNKで友達が働いててイベントに誘われてDJとして出たんです。やっぱり僕は高校生の時から毎日ゴリゴリにDJの練習をしてたので他の人たちよりちょっと上手かったんですよ。それから呼ばれるようになって。衝撃的だったのはCRUNKのお客さんの9割ぐらいは黒人の人たちで賑わってて、僕の知らない楽曲でゴリゴリ踊ってるんですよ。
当時はテキサス州ヒューストンのMike JonesとかPaul Wallの曲が流行ってたんですよ。全然知らない曲で、みんな大合唱してることに衝撃を受けて。これは知らないとダメだと思ったんですよ。もちろん都会はきらびやかだし規模も大きいけど、やっぱりDJとして今学ばなきゃいけないのは技術や知識だから、僕はそれをここで学びたいなと思って、福生のCRUNKで黒人の人たちが踊るDJを学び始めました。リリックを調べるにはレコードを持ってないとできないから、名前も知らない楽曲を手に入れるのは大変だったんですけどね。
SHUNSUKE:
そうですよね。まず知らない楽曲を調べるところから始めなきゃいけない。
YUMA:
日本人に受け入れられてる楽曲ではなかったんで、それこそマンハッタンレコードでも端っこに置かれてる曲だったんですよ。中古でも全然ないけど、あったら300〜500円なんですよ笑 それを探し求めてレコードを買ってました。
後編に続く。
プロフィール
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東京に生まれ、高校入学と同時にDJを始める。 都内各地の大箱や六本木、福生、横浜などのインターナショナルなクラブでキャリアを重ねる。現在は全国多数のイベントにゲスト出演し、ファッションショー、ラジオパーソナリティー等様々な活動の幅を広げ、自身のレーベルS-Cut Recordsの代表、そしてCrunk Entertainmentの看板DJとして活躍中。 常にフロアを意識した選曲で日本人はもちろん海外からも熱い支持を得ている。BET 106&Parkでお馴染みDJ Relly RellとのMixTape"Foreign Exchange"が話題となりFunkmaster Flexがシャウトを送るなど活躍を海外まで届かせている。 インターナショナルな現場で養われた耳による選曲は同業のDJを唸らせるほど。 新譜MixCDの決定盤!King of MixTape!