パーティーを通して人の心を強く揺さぶり続ける人たちがいる。 彼らはなぜ、この仕事を選んだのか? このコーナーではパーティーというカルチャーに関わり続ける演出家たちの過去から現在まで続くキャリアを紐解いていきます。
今回のゲストは、90年代から30年近いキャリアを誇るアンダーグラウンドの重鎮・DJ SOOMAさん。大阪が誇る“オリジナル赤い目フクロウ”こと故・DJ KENSAW(ケンソウ)さんが掲げた「梟観光」の意思を受け継ぎ、圧倒的なスキルと音楽への知見で各地のフロアを揺らしてきたDJのキャリアに迫ります。

KENSAWさんのDJに
人生を変えられた高校生
レペゼン :
よろしくお願いします。早速ですがSOOMAさんのヒップホップとの出会いから教えていただけますか?
DJ SOOMA :
自分は大阪の北摂出身なんですが、今も大阪で活動してるDJ JAPONE(ジャップワン)が中学の同級生にいて、彼が通っていた高校で知ったヒップホップを「こういう音楽がある」と教えてもらったのが最初です。それと同時期くらいに、同じ北摂(大阪の北部のエリア)出身で、自分が一番影響を受けた存在であるDJ KENSAWさんの存在も知るようになります。
レペゼン :
SOOMAさんがDJ KENSAWさんのことを知ったのも、早かったんですね。
DJ SOOMA :
そうですね、ヒップホップを聴き出したのとほぼ同時期でした。「KENSAWさんっていうやばいDJがいる」っていう話を聞いて、実際にイベントに連れてってもらって。そこでKENSAWさんのDJや、茂千代(しげちよ)君とKENT WILD(ケントワイルド)君がやってたヒップホップユニット・DESPERADO(デスペラード)のライブを見て、一撃で魅了されました。そこからは、もうその人ら目掛けてクラブに遊びに行くという日々が始まったんです。ほとんど追っかけでしたね笑
レペゼン :
「追っかけ」だったんですね笑
そこから、自分でもDJをしたいと自然に思ったんでしょうか?
DJ SOOMA :
衝動的にやりたいと思ったのと、楽譜を読めなくてもやれる音楽、ということもあって「自分もできるかも」と思いました。
レペゼン :
DJをするにあたって、どこから手をつけていったんですか?
DJ SOOMA :
まずは機材を買うところからやけど、一気に揃えようとしたら当時15万くらいかかったんですよ。でもその15万を貯めるまで我慢できんくて、1台ずつ買っていきました。はじめはタンテを買って、部屋でレコードかけながらちょっとスクラッチとかもしてみたりして。そうやって少しずつ機材を揃えて練習しながら、同時にレコードも徐々に買っていきました。
レペゼン :
高校生ですもんね!実際にDJデビューした日のことは覚えていますか?
DJ SOOMA :
たしかライブのバックDJが最初でした。機材が全部揃った1年後くらいに、ラップをやってた友達で、後にINSIDE WORKERS(インサイドワーカーズ)として一緒に活動するようになったメンバーから誘われて、「まあ1年くらい練習してきたしいけるかな」って思って出ました。 それでもボロボロにミスったけど笑
レペゼン :
SOOMAさんにもそういう時代が…!
ちなみにINSIDE WORKERSは、SOOMAさんがバックDJやプロデュースをされていたとのことですが、どういったクルーなんですか?

DJ SOOMA :
90年代の終わり頃に、ラッパーのW-MOUTH(ダブルマウス)、G.A.S.S(ガス)、ZIMBACK(ジンバック)、SUPER-B(スーパービー)と1曲作ったっていうのがきっかけで、00年に結成しました。その後、00年代の大阪のヒップホップシーンを賑わせた存在じゃないですかね。知らんけど笑
【DJ KENSAW feat. INSIDE WORKERS – 蛇の目】
レペゼン :
改めて「90年代から活動するプレイヤー」というのは本当にすごいことですね。今なお最前線に立っている方は本当に少ないと思います。
DJ SOOMA :
でも、自分飽き性なんすけどね笑
若い頃はいろいろ挑戦したりしたけど、人生の中でこれだけ長く続いてるのはDJだけです。
レペゼン :
そうなんですか!笑
「何に対しても向き合い続ける職人」的なイメージがあったので、意外です。
「俺のこと信じて
一生ついてきてくれや」

アメ村・sound-channelのイベントにて撮影されたDJ KENSAW(左)とDJ SOOMA(右)のツーショット。
レペゼン :
ちなみに、実際にDJ KENSAWさんと話すというか、向こうから認知されたのはいつだったんですか?
DJ SOOMA :
KENSAWさんがしばらく大阪のイベントに出てない時期があったんですけど、ある日福井の友達から「KENSAWさんが福井のイベント出る」と連絡があったんです。その頃、ちょうど自分もビートを作り始めてた頃やったんで、それを10曲くらいCDに焼いて、電話番号を書いて一緒に福井に持って行きました。
レペゼン :
まずはデモ音源で自己紹介、というのも渋いですね。
DJ SOOMA :
イベントで本人を見つけて「大阪から来ました」って話しかけて、持ってきたデモを渡したのがファーストコンタクトです。
レペゼン :
どういう反応だったんですか?
DJ SOOMA :
渡した時は、「あ?大阪から来たんかお前」っていう感じで、小便ちびるかと思いました笑
一応、音源は受け取ってくれたけど、その日はそれっきりでそれ以上話すこともなく。でも数日後、知らん番号からかかってきて出たらKENSAWさんで、「デモテープなんか星の数ほど渡されるけど、電話かけたん久々やったわ。ええやんけ」って言ってくれて。
レペゼン :
うおー!実際に連絡がきただけでなく、ビートへの評価まで…!
DJ SOOMA :
周りにもKENSAWさんにデモを渡した件は言ってたから、「KENSAWやけど」って言われた時はイタ電かと思いました笑
その時、ちょうど自分らが大阪でレギュラーイベントを始めたときだったので、KENSAWさんをゲストとして呼ぼうという話になりました。後々、KENSAWさんから「年も離れてるからどんなもんかなと思って1曲目にR&Bかけたら、お前ら全員バーカンの方行って、そのあとラキムかけたら、お前ら全員フロア戻ってきよんねん。それで『好きにやってええんや』っておもたわ」って言われました笑
自分は、そんなことしたのは覚えてないですけどね笑
レペゼン :
KENSAWさんが、きちんとSOOMAさんたちのことを見ていたことが分かりますね!向き合っている感じがします。
DJ SOOMA :
2回目から、もうレギュラーで出てもらおうという話になって、自分らも学ばせてもらう日々でしたね。その後、KENSAWさんが「梟観光」を旗揚げするということになったのを機に、INSIDE WORKERSもKENSAWさんのビートで曲を作らせてもらったり。
レペゼン :
KENSAWさんから受けた影響は相当大きいと思いますが、その中でも特に衝撃だったエピソードを教えていただけますか?
DJ SOOMA :
一番はじめに思いつくのは、出会ってからしばらくして、ご飯に連れて行ってもらった時に「俺、裏表ない人間やから、俺のこと信じて一生ついてきてくれや」って言われたことです。そんなセリフを言える人間ってなかなかいないからね。かっこよすぎて痺れました。

大阪を代表するMC・茂千代さん(右)が掲げるのは、「梟」の一文字があしらわれたネックレス。
レペゼン :
日本中の多くのプレイヤーに絶大な影響を与えたと言われるKENSAWさんですが、その話を聞いていると納得できますね。
レコードを聴きながら
直感でビートを組み立てていく
レペゼン :
ビートメイクもかなり早い段階から始められていたとのことですが、何かきっかけはあったんですか?
DJ SOOMA :
たぶん99年に、なんとなくサンプラーを買ったのがきっかけですね。その後、00年くらいに、いわゆるメインストリームって言われるものが出てきたんです。やから自分はDJする機会があんまりなくて。「DJだけでは表現できる場も少ないし」ということでビートメイクにも力を入れ始めました。
レペゼン :
インストの作品も重厚で聞き応え抜群ですが、それこそラッパーへのビート提供もずっと行われていますよね。ビート作りをするときは、「こういうビートを作ろう」という着地点が見えてたりするんですか?
Tha JointzのJASSをはじめとする幅広いラッパーがSOOMAのビートで曲を制作してきた。
DJ SOOMA :
いや、始める時からゴールを定めて作ることはないですね。いろいろサンプリングソースになりそうな曲を聴くなかで、直感的に「ここを使ってみよか」と作り始める感じかな?たぶん自分の好きなメロディラインがあるから、元ネタがそのまま気持ちいいループやったらそのまま使うし、チョップして再構築するパターンもあるし……。結局ノリですね笑
レペゼン :
直感的に生まれたものが、時にインストとして、時にラッパーの音源としてヘッズに届くわけですね。面白いです!

匙を投げることはいつでもできる
レペゼン :
DJとビートメイクの二刀流で活動されているSOOMAさんですが、パーティのない平日も何かと作業はあるんですか?
DJ SOOMA :
DJがない週はビート作ってるけど、基本的には週末に向けて準備する1週間ですね。例えば金曜と土曜の2回プレイするとしたら、月曜から家でレコードを聴きながら「これはこのイベントでかけたい」みたいに考えながら、2つのレコ箱に数日かけてゆっくり振り分けていきます。イベントによって選曲を予想するというか。
レペゼン :
めちゃくちゃ面白い!イベントのカラーだったりお客さんの層を想像して準備するんですか?
DJ SOOMA :
フライヤー見ながら出演者とかも見ながら「この感じが受けるんかなあ」とかイメージする感じです。バイナルやから枚数も限られてる分、本番がイメージと違った時に軌道修正もしにくいですけどね笑
「今日ちょっと滑ったかもな…」って思う時もありますよ。
レペゼン :
そういう時もあるとは、意外です!逆に「今日は狙い通りやった」と手応えを感じる時もあるんでしょうか?
DJ SOOMA :
回してる最中に、瞬間瞬間では手応えを感じたりすることもあるけど、終わった後はそこまで覚えてないです笑
知り合いのお客さんが「この曲なんですか?」って聞いてくれたりした時とかは、比較的覚えていますが。
レペゼン :
用意したレコードの枚数が限られているなか回すというのは改めて難しいことだと思います。DJ中に意識していることはありますか?
DJ SOOMA :
意識してることか……。まあフロアの雰囲気は回しながら感じ取ってるとは思いますね。ただ、基本的に自己満なんで、そこにフィールしてもらえるように願ってプレイしてます笑
レペゼン :
願いながらですか笑

DJ SOOMA :
あとは同じレコードでも、かける人や、かけ方、流れによって聞こえ方が変わるから、「このタイミングで俺がかけるから渋く聞こえる」とかは目指したいですね。でも、それも狙ってやるよりも無意識のなか偶然生まれるところも多いから…。
そういう意味では何も意識してないかも知れないです笑
レペゼン :
今、参加されている大阪のレギュラーイベントは、10年以上続いているものも多いです。やはり「大阪でやる」という意識はあるんでしょうか?
DJ SOOMAレギュラースケジュール
・「Layers」 … 毎月第三金曜
・「TURN IT UP」 … 奇数月 第一土曜
・「RETURN OF THE 90’s」 … 奇数月 第四土曜
・「PROPS」 … 年2回(夏・冬)
DJ SOOMA :
もちろん大阪生まれ大阪育ちなんで、大阪を盛り上げていきたいですね。地方とか海外から観光で遊びに来る人も多いんで、そういう時になるべく迎えられる環境をキープしたいです。時代が変わるにつれて、爆発的に盛り上がる時もあれば、そうじゃない時もある。でもパーティは続けていきたいです。匙を投げるのは簡単なんで。
プロフィール
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90年代から大阪を拠点に活動し続けるDJ・ビートメイカー。大阪の伝説、“オリジナル赤い目フクロウ”ことDJ KENSAWの薫陶を受けた “梟チルドレン”筆頭格としてのDJプレイはもちろん、大阪が誇る天才MC・茂千代とのタッグにおけるLIVE実演等、数々の伝説的な一夜を彩ってきた。DOPEな色気を漂わすセンス、保ち続けるグルーヴ、そして細部まで洗練されたスキルを武器にダンスフロアを席巻し、ひとたびブースに立てばそのプレイに陶酔するヘッズが後をたたない。その求心力は現場のプレイに収まらず、LOWでブレないミックスCD・ミックステープ、さらには「SAMPLING SNIPER」の真骨頂とも言える粋で味わい深いビートワークを通して、自身の音楽性を発信してきた。近年は関西を中心に、日本各地ひいてはアジア各国のイベントで圧倒的なプレイスタイルを見せるだけでなく、2020年には自主レーベル「M-13 RECORDS」を立ち上げ、音源やオリジナルアイテムを定期的にリリース。キャリア30年を目前に、その勢いはとどまるところを知らない。

